建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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正確に言うと寺家3丁目という住所になるようですが、私の周りでは単に寺家と言います。 通っていた幼稚園があったり、菩提寺があったり、友だちの家があったりして、なじみのある土地ではあるのですが、周りの比較的広い道路から、細い小径を入っていくと、中はまるで迷路。 家が所狭しと建っていて薄暗く、小径が無秩序にクランクしていて、行きたい方向に思ったように行けません。 一旦中に入り込んでしまうと、自分がどのあたりにいるのか、よくわからなくなってしまいます。 どの道を行くとどこに出るのかなど、未だにはっきりと覚えきれていません。 小学生の時、ここで友だちと「けいどろ」(刑事と泥棒に分かれてする鬼ごっこのようなもの)をしたことが、強く印象に残っていて、今でも夢に出てきます。 正直なところ、小径だけでなく、人の家の庭や、家と家の境のブロック塀や、排水溝の上を歩いたりもしていました(悪ガキですね。すいません…)。 夢でもやはり、同じように人の家の敷地を歩いたりしています。 シチュエーションはいろいろですが、なにかから逃げていることが多い気がします。 逃げている間に、いつの間にか、この迷路に迷い込んでしまっているのです。 ここに入ってしまえば、追跡不可能だと無意識に思っているのかも。 数年前、この寺家にある空き家を、どうにかしたいという相談を受けました。 使い方の提案や、借りたい人にマッチングなども試みたのですが、うまくいかず、思い切って、その空き家を買い取ってリノベーションをすることにしました。 リノベーションした後は、販売する予定です。 いわゆる買取再販というビジネスです。 それで、どのようなリノベーションをしたらいいか、デザインや使い方、なにか目玉になるアイデアはないかと考えています。 よくアイデアや創作のヒントは「原体験」から生まれるといわれますが、今回の場合、それはまさにこの「けいどろ」の記憶ではないかと思いました。 もしかしたら、何か浮かぶかもしれないと思い、先日そこを歩いてみました。 好天で、寒くもなく、風もなく、散歩日和の休日の朝。 菩提寺に車を停めて、(やや久しぶりに…)父の墓に参ってから、1時間ほど歩き回りました。 小学生のころと比べると、解体されたり、建て替えられたりした家も多く、少し明るくはなっていましたが、小径自体は、おおよそ昔のままです。 手を広げると、両側の家の壁を触れてしまうぐらい細い径があったり、公の道なのかもよくわからないような径もあったりします。 現在の法律では、家は車が入ることが出来る道路に接していないと建てられないので、新興の住宅街や、土地区画整理された土地では、このような風情はつくりだせません。 普段、車で通ることもある道から一本裏に入っただけで、こんなワンダーランドを体験することが出来るのは、古くからある町の魅力だと思いました。 一部、土地区画整理なのか民間事業の開発なのかわかりませんが、けっこう広い土地が、建物が解体されて造成されており、道路も広くなっているところがありました。 分譲住宅地になるのでしょうか? 時代に合わせた変化なのでしょうが、何となく残念な感じもします。 できれば、空き家になっている建物をリノベーションで活用して、この風情を少しでも残せないものかと思います。 もしくは分譲住宅地ではなく、バルセロナの旧市街のように広場をつくることが出来たらいいのに(以前の日記)。 そんな感じで1時間ほど、記憶をたどるまち歩きをしました。 肝心のアイデアは浮かびませんでしたが… #
by 3839ttsy
| 2022-12-01 13:51
| まちづくり
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co-ba kamaishi marudaiのギャラリースペースekoba(エコバ)で、初の展覧会が開催されています。 ギャラリースペースとうたっていたのに出来てから、5年目でやっと開催できる運びになりました。 出展してくださった心優しい作家さんは、陸前高田出身で在住の濱口芽(はまぐちめい)さん。 なお、ギャラリーを運営しているのは、釜石の地域おこし協力隊ローカルベンチャーの伊藤詩恩さんです。 伊藤さんの誘致で、濱口さんの出店が決まったわけですが、もともと私も濱口さんと知り合いでした。 劇団もしょこむの初期メンバーの菅野結花さんの同級生で、菅野さんを演劇に誘った人なのだそうですが、その関係でお会いしたことがあったのでした。 …人名が複数出てきてややこしいですが、この後の話では、出展者の濱口芽さんだけ覚えておいていただければ大丈夫です。 さて、今回の個展は「シルエットの感触」という題名で、一般的に家の中にあるような家具や日用雑貨などに「ある加工」をほどこしたものになります。 ある加工とは包帯を巻くこと。 白い包帯を巻くことで、色がなくなり形もあいまいになります。 対象は雑貨のような動かせるものから動かせないもの、つまり、建物そのものにまで至り、床置きの作品は濱口さんがご自宅で製作したものですが、会期中にはco-ba kamaishi marudaiの建物一部までも、作品になっていきます。 具体的には、もともとテントが張ってあった骨組みの鉄骨が、だんだんと作品に仕上がっていっています。 濱口さんが在廊されている日に、ライブで製作されます。 以下は、濱口芽さんご自身の解説になります。 物の形を浮き彫りにする。 見慣れたものの形、頭に描く、物の形、それはどんな形だっただろうか。 触って確かめながら面積を拡張させていくこれには、 どんな姿、形、線が見えてくるのだろう。 そもそもなぜいろいろなものに包帯を巻くのか、聞いてみたところ、骨折して入院した時に思いついたということでした。 どれぐらいの厚さまで巻くのか、全部巻くのか、部分的に巻くのかなど、いろいろと試行錯誤があり、現在の作品にいたります。 作品を見ると、熟練の技と言ってもいいぐらい、綺麗に巻いてあります。 勝手にイメージや解説を加えると、作家さんの意図とずれる可能性が高いのですが、以下はあくまで私の感じ方になります。 このco-ba kamaishi marudaiの建物は、空き家になっていたお土産屋マルダイをリノベーションしています。 建物を購入した時は、建物の中はクモの巣だらけで、お土産などの物品もそのままになっていました。 それを片付けて、壁の塗替えなどのリノベーションを行いました。 濱口さんの作品は、空き家のままさらに50年、100年ほおっておいた状態をあらわしているように感じるのです。 以前、広島の古民家で開催された同じシリーズ(?)の作品を見せていただいて「絶対にco-ba kamaishi marudaiの建物と合う!」と思ったのでした。 現代アート作品は、見た人がそれぞれ感じたままにとらえるものですから、私の感想はともかくとして、ぜひご覧になってなにかを感じていただければと思います。 ****************** 濱口芽個展「シルエットの感触」 会場:ギャラリースペースekoba 釜石市大平町3-9-1 開催期間:2022.11.4(金)~12.4(日) 閲覧可能時間:open 10:00~16:00 ※火・水 定休日 入場料:無料 ******************* ギャラリースペースekobaでは、アート作品の出展を受け付けておりますので、出展されたい方は、ぜひご相談ください。 #
by 3839ttsy
| 2022-11-08 16:16
| co-ba kamaishi
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この経緯については、過去の日記に書いてありますが、辿るのが大変なので、特にリンクは貼らないことにします。 Yさんは結果的に山形の大学に合格して、現在、大学生活をスタートさせています。 話は変わりますが、先月、ツイッターである投稿に目が止まりました。 それは、木造の一般建築(住宅以外の建築)のトップランナーである、シェルターという会社の投稿でした。 山形に大西麻貴さんの建築(大西麻貴+百田有希/o+h)が出来、その見学会を開催するというもの。 大西麻貴さんは、東松島にみんなの家を建てていて、それは当時、私が見た中では、特に気になるものでした。 以降、建築雑誌でもよく作品を見かけるようになり、若手の中でも注目の建築家になりました。 その建物コパルは、PFI方式でシェルターが主体になって、建てられたものということでした。 写真をぱっと見た瞬間、実際に見たくなってしまい、申し込みをしました。 山形県ということしか認識していなかったのですが、後で場所を調べてみると、それは山形市でした。 思い当たることがあって調べてみたら、山形市には知っている人がいました。 それは私が参加した花巻と、釜石のリノベーションスクールでユニットマスター(講師のようなもの)をされていた、佐藤英明さん。 佐藤さんがリノベーションして、運営しているBOTAcoffeというカフェは山形市にあったのでした。 それぞれのリノベーションスクールで、BOTAcoffeの話は聞いていたのですが、土地勘がないので、はっきり覚えていませんでした。 地図で調べてみると近い(車で数十分)ので、佐藤さんにアポイントを取ってみました。 すると当日は残念ながら定休日ということだったのですが、少し時間を取って見せていただけることになりました。 BOTAcoffeの場所を調べながら、もう一つ思いついたのが、Yさんの大学のこと。 所在地を調べてみると、やはり山形市。 そこでYさんにもメールをしてみると、授業の合間に、見学会に参加するということでした。 なんだかどちらも、時間のない中、対応してもらったような感じで、少し申し訳ないところもあったのですが、無事、お二人とお会いすることが出来ました。 コパルの建築は素晴らしかったし、リノベーションのBOTAcoffeはとっても素敵でした。 佐藤さんにお会いして、さらにわかったのが、Yさんと同じ大学出身だということ。 その大学、東北芸術工科大学の先生に、リノベ界で有名な東京R不動産などを運営する馬場正尊さんがいらっしゃって、その薫陶を受けていたため、BOTAcoffeのリノベーションをすることになったそうです(※一部、独断的解釈が入っています)。 Yさんは、Yさんなりに空き家リノベーションや、リノベーションまちづくりに興味があって、調べたうえで、その大学を志望したのでしょうから、必然と言えば必然かもしれません。 でも、私としては全く違う場所で知り合った人同士が、行ったことのない土地でつながっていくということが、なんだか不思議でした。 YさんにはBOTAcoffeに行ってみるようにすすめてみました。 具体的には、全く想像はつきませんが、直接会うことでなにがか起こるかもしれないと思うとワクワクします。 #
by 3839ttsy
| 2022-06-15 11:53
| 建築
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引っ越しと言っても、借りたアパートは家具が一式揃っているタイプだったので、荷物はそんなになく車一台でやってきました。 東北自動車道を走ると、途中まで桜が咲いていましたが、宮城県に入ったあたりからは、まだ咲いてませんでした。 あのころの不安と期待の入り混じった心境は、今でも時々思い出します。 ちょうど40才になった年でしたが、知り合いは一人もいない、見知らぬ土地に来て、新しく会社で働く。 家業なので、もう就職することはないと思っていたのですが、下請けとしてカクタ設計さんに席をお借りすることになり、他の会社に転職したような気分でした。 季節もちょうど春で、新卒、新入社員の時の気持ちを思い出したりして、若返ったような気にもなりました(大いなる錯覚ですが)。 必要な雑貨関係は、近くの薬王堂で購入して、鈴子や青葉通りの仮設商店街でランチを食べる。 まだ、町中には本設のお店はほとんどありませんでした。 最初の仕事は、大槌の復興住宅で、県からの発注業務でした。 被災して家をなくした方々のお家を作るということで、自分が出来る最高のものを作ろうと思いました。 通常、当社で扱うよりも大きな物件だし、気候風土や慣例が違い、勝手がわからない所もありましたが、とにかく一生懸命やるという感じでした。 そういうフレッシュな気持ちで、仕事に取り組むことができたのは、本当に幸せだったと思います。 それから今に至るまで、釜石、大槌、山田、宮古で公共工事、民間施設の再建工事などを担当させていただきました。 仕事のやり方の違いや、デザインに関する感覚の違い、工事業者さんのマインドの違いなどに戸惑いましたが、それぞれ出来る限りのことをしたと思います。 基本設計を現地で私が行い、実施設計を鈴鹿のスタッフが行うというスタイルを考えて実行し、それはなかなかうまくいきました。 自分の仕事のためだけでなく、岩手沿岸の復興に貢献したいと思って移住したところもあり、最初はともかくボランティアをしました。 釜石の社会福祉協議会が運営している災害ボランティアに参加し、そこから仕事以外の仲間ができました。 チーム023というグループというかネットワークのようなものがあって、地元の人や、ボランティアにやってきた全国の人とのつながりができました。 さらに、東京在住のメンバーの一人が開催したイベントの手伝いを通して、応援で来ている市役所職員や釜援隊のメンバー、有志でなにかやろうとしている地元の人、Iターンで来ている人などとつながるようになりました。 それで始めたのが、尾崎100年学舎と、劇団もしょこむでした。 もともと尾崎100年学舎の壮大な復興、まちおこし構想の一部でもあった、釜石大観音仲見世のリノベーションをはじめたのは、その少し後。 釜石に来て3年経った頃でした。 釜石全体としても、ある程度インフラも整いつつある中、生活や文化や産業について考え始めた頃ではないかと思います。 個人的にも、建設や建築工事が軌道に乗り始める中、建物を設計することによる貢献度はあまり大きくないと感じるところもあり、本質的な課題を模索し始めたところでもありました。 そして、なりわいや文化の復興なくして、地域の持続は難しいと思うようになっていました。 尾崎100年学舎ではトレッキングや漁業体験による観光の推進、劇団もしょこむでは演劇や文学の振興、そして釜石大観音仲見世の復興による観光の再生をめざすことにつながりました。 ただし、尾崎100年学舎と劇団もしょこむについては、私がリーダーではないので、あくまでも私の思いとしてということですが。 その後、NEXT釜石さんが開催していた勉強会に参加し、島根県の海士町の視察に行ったことで、市内高校の魅力化ということについても貢献したいと考えるようになってきています。 海士町の山内元町長は「まちづくりはひとづくり」という理念のもと、島の高校の魅力化に取り組んだそうです。 まさにその通りと共感しました。 文字通り身一つでやってきた釜石ですが、結婚もして会社として不動産を持つことにもなりました。 全く接点のなかった職業や属性の人から、さまざまな刺激を受けました。 多くの人との出会いと別れがありました。 震災から11年を経て、釜石で出会ったIターンの人たちは、次々と地元に戻ったり、他の地域へと移り住んだりして、かなり少なくなりました。 私自身も、復興工事と呼ばれる建築工事がほとんど終了し、本業の設計が少なくなる中、現在も行っているコワーキングスペースの運営も含めた、仲見世の不動産事業で「稼ぐ」ことが出来るかが生命線だと思っています。 とはいえ得意なのはもちろん建築設計なので、もし設計のお仕事があれば、ぜひご依頼いただければと思います。 最後がどうも綺麗じゃないですが、仕事がないと続けることができない、これが単純かつ動かしがたい復興支援のリアルです。 釜援隊からフリーランスとなった妻ともども、お仕事お待ちしております。 また、コワーキングスペースco-ba釜石の会員、仲見世でお店を始める人もひきつづき募集しております。 冒頭の写真は、引っ越した年に薬師公園から見た、桜と市街地の風景でした。 #
by 3839ttsy
| 2022-05-01 15:00
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今回は異例づくしのお仕事でした。 まず、企画からさせていただいたこと。 通常、設計業務を受託するときは、何を作るかが決まっているものです。 住宅を作るとか、事務所を作るとか、工場を作るというように。 あるいは商業施設に入居するテナントの店舗デザイン(インテリアデザイン)ということもあります。 当所で設計させいただいたところだと、釜石市の魚河岸テラス内にある、ヒカリ食堂(飲食店)さんなどが、それにあたります。 いずれも、住宅や店舗や工場を作る、飲食店をデザインするなど、工事の内容は明確であり、予算も決まっています。 その事業の範囲の中で、デザイン提案を行うことはあります。 例えば、前述のヒカリ食堂さんにおいては、目の前が物流のための港湾施設なので、コンテナ倉庫風のインテリアを提案しました。 つまり、あくまでも何を作るかということと予算は決まっている中で、可能なことを提案するものです。 ところが、今回の依頼ではそれはありませんでした。 何を作るかも予算も、明確には決まっていなかったのです。 そして、もう一つは、設計だけでなく工事も請け負ったことです。 当所は従来、設計だけを行う設計事務所であり、工事は行いませんでした。 工事は工事業者が行い、その選定や、契約の補助、また設計図通りに工事が行われるよう監理を行います。 そういうスタイルの設計事務所は、建物を建てる工事を手掛ける場合は、一般的だと思うのですが、一方でテナント工事(インテリアデザイン)の世界では、設計(デザイン)と工事を一括で行う会社が多いようです。 今回はテナント工事ではないけれど、商業施設内の小規模かつ、短期間で完成しなければいけない工事だったので、後者の業態を真似てみることにしました。 ご依頼の内容は、サンフィッシュ釜石のお客さんや、テナントさんが増えるように、提案と工事をしてほしいということでした。 予算も提示いただきましたが、内容によっては予算を増やしてもいいということでした。 最初は従来の業務と違って、とっかかりがないため、なかなか手を付けることが出来ずに、フラフラと現地を見に行ったりしていましたが、ある時ふと思いつきました。 シェアキッチンのようなものを作ってはどうだろうかと。 予算にも合いそうでした。 なぜキッチンを作るのか、まず自分自身の体験による2つの目的が浮かびました。 ひとつは去年からハマっている釣りからの着想です。 三陸は魚が豊富で、釣れるものもおいしいです。 釣れた魚は持って帰って、家でさばくのですが、アパートなのでキッチンが小さいし、まな板などもペラペラなものしかなく、3枚おろしなどがやりにくいのです。 まな板は買えばすむことですが、大きいキッチンはのぞめません。 また、それでも私は釣り場から家が近いからいいですが、遠くから来ている人は、家に帰ってからさばくのも大変だろうと思います。 釜石に釣りに来ている人は内陸(盛岡、花巻、北上など)の人が多いそうなので、釣った魚をすぐにさばいて、一部はその場で刺身で食べられるような場所があったら、嬉しいだろうと思いました。 ではお店になんのメリットがあるかと言うと、家族の期待を背負って内陸から釣りに来て、釣果が思わしくなかった場合は、魚を買いたす人もいるのではないかと。 最近釣りブームで、釜石にも釣り人が増えており、釣り人が立ち寄るようになることで、来場者が増え、売り上げも伸びると考えられます。 もうひとつは、遠方から来る友人などのアテンド(案内)をしたときに思ったことです。 釜石の魅力は季節によって、旬の食材があって、それがどれもおいしいことです。 でも、その食材をどこで食べられるのか、食べるところがあるのか、地元に住んでいても、なかなか把握できません。 居酒屋の黒板メニューにはあるのでしょうが、入ってみないとわかりませんし、その日にあるのかどうかもわかりません。 一方、サンフィッシュ釜石にいけば、海産物の旬の食材があるかどうか一目瞭然だし、ほぼあるだろうと確信できます。 それを買って、その場で調理をすれば、それ自体も楽しい体験になるし、確実に旬のおいしいものを食べることが出来ます。 お店のメリットとしては、直接的に食材が販売できるし、そうしたお客さんと関係を結ぶことで、定期的にお取り寄せの注文が受けられる可能性もあります。 実際、以前サンフィッシュ釜石に案内した鈴鹿の友人が、後でお取り寄せをしていたこともありましたので、そのような効果は大いに期待できるはず。 以上は、観光や釣りなど遠くから来る人をターゲットにしています。 さらに地元の需要喚起として思いついたのが、キッチンがあれば魚をさばける人を育成できるのではないかということ。 我が家もそうなのですが、ある程度の年齢層より若い夫婦の家庭だと、加工していないそのままの魚を買ってきて、さばくということをしなくなってきているのではないかと思います。 魚をさばくことが、そもそも出来ません。 長い目で見ると、このままでは、いつか加工していない魚は売れなくなるのではないでしょうか。 するとサンフィッシュ釜石の中の鮮魚店さんは、売り上げが先細ることも予想されます。 キッチンを作ることで、魚をさばける人を育成するための施設として、活用できるのではないかと思いました。 自前で魚をさばく教室を開くことも出来るし、教室でなくとも購入の際に、鮮魚店さんからさばき方を教えてもらえるとなれば、買いに来る人も増えるかもしれません。 また、自前でなくても、持ち込み企画として料理教室を開いてもらえば、食材も買ってもらえて一石二鳥です。 そして長い目で見ると、魚をさばける人を増やして、永続的に魚を消費する流れを作ることが出来るのではないか(出来たらいいな)と。 そんなことを考えて、魚がさばけるように大きくて、汚れても水で流せるような、ステンレスでプロ仕様のキッチンを作ることを、ご提案しました。 プレゼンはなかなか緊張しましたが、サンフィッシュ釜石の組合やテナントの皆さんに賛同いただき、設計から工事までを一括で請け負いさせていただきました。 自分が魚をさばいた経験から、使いやすいと思うキッチンを設計し、オーダーメイドで発注。 棚や配管工事は地元の工事業者さんに依頼しました。 そのキッチンが先週完成し、引き渡しさせていただきました。 今回のご依頼はチャレンジングではありましたが、結果的にいい形で実現できたと思っています。 復興工事が大部分完了して、新築工事がなくなるなか、新たな事業の可能性が広がったようにも思います。 関係者のみなさま、本当にありがとうございました。 今後はサンフィッシュ釜石さんのほうで、運用に向けて準備する流れになると思いますが、そちらにもご協力させていただきたいと思っております。 なにより運用開始が楽しみです! #
by 3839ttsy
| 2022-03-14 19:31
| 建築
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