建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
全体 建築 プライベート 意匠 東日本大震災 Blanc-Co 尾崎100年学舎 足りない活字のためのことば展 戦争遺跡保存 劇団もしょこむ mori-to-tetsu 釜石大観音仲見世リノベーションPJ co-ba kamaishi 白血病からの復活(闘病日記) まちづくり アンビルト みちのく潮風トレイル 未分類 以前の記事
2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 07月 2024年 05月 2024年 03月 2024年 02月 2023年 11月 2023年 07月 2023年 06月 more... 最新のコメント
|
どうするシリーズとして続ける予定ではありません。たまたまです。 昨年、釜石大観音仲見世の空き家を、子育てママさんが働くスペースLIFULL FaM(ライフルファム)にリノベーションしました。 スキームとしては、当社ではなく私宮崎が別会社(合同会社ロータイド)を立上げ、空き家と土地を購入。 それを建設会社への発注と、DIYの合わせ技でリノベーションして、株式会社LIFULLに賃貸するという形でした。 別会社を立ち上げた理由は、融資を受けるのに地元企業でないと難しいということ、また仲見世再生の活動は釜石の復興のためなのだから、地元で会社を作るべきなんじゃないかと考えていたからでした。 元の建物の店舗部分は、商品の陳列用と思われる棚が、和風住宅のようなしつらえになっていて、杉皮葺きの庇がついていたり、丸太や床柱が使われていました。 解体の際に、その痕跡を残そうと思ったのですが、いまいちいい案が思いつかず、とりあえず丸太や、床柱の一部を取っておくことにしました。 大工さんに間違えて捨てられそうになったりしつつ、工事完了まで保存したのですが、結局、使い道が思いつきませんでした。 見栄えが悪いので、それを目にするたびに「どうする床柱?」と自問する日々。 そして、ある時、ベンチにしようと思いつきました。 ベンチというよりは、見た目は小学校にあった平均台のようなものです。 それなら簡単に作れる!と。 ちなみに、私のDIYは「簡単に作ることが出来る」ことを旨としています。 理由は単にめんどくさがり屋だからです… 一本の床柱を切って、座るところと、脚と、土台にして、かすがいで留めるだけ。 長さは1.5mぐらいで、大人二人、子どもは三人ぐらい座れます。 問題は木が固いことで、丸ノコの歯が立たないかもしれないと思ったのですが、やってみたら切れました。 かすがいも、ドリルで下穴をあければ打つことが出来ました。 一番苦労したのは釘を抜くことでしたが、釘の周りに下穴キリで穴を4つあけたら抜けることがわかりました。 なぜ固くて切れないと思ったかというと、一般的に建築構造材に使う杉やヒノキと比べて、床柱には固い木を使うことがあるからです。 唐木といって、外国から輸入したものであることもあります。 黒檀とかカリンなどがそうですね。 今回の樹種はなんなのかわかりませんが、すくなくとも杉やヒノキと比べると、かなり固くて重いです。 その分、外に置いておいても大丈夫と思われます。 3面が挽いてあって、1面が皮をむいただけのでこぼこな仕上げです。 (実は銘木的なものはほとんど扱わないので、名称とかわかりません…汗) 挽いてある面を上にしようと思っていたのに、間違えて、でこぼこの面を上にしてしまったのですが、座ってみたらむしろでこぼこが座りやすかったので、結果オーライとしました。 ちなみに、この床柱の値段は8000円だったようです。 裏に値札が残っていました。 #
by 3839ttsy
| 2023-03-29 10:33
| 釜石大観音仲見世リノベーションPJ
|
Comments(0)
地方の一城主に過ぎなかった家康が、戦国の世でつぎつぎと訪れる危機的状況に「どうするどうする!?」と考えて切り抜けていくうちに、天下がおさまってしまうという。 …って勝手に予測していますが、そんな内容なのかどうかは、まだわからないですね。 というわけで(?)ついに買ってしまいました、寺家(鈴鹿市)の空き家。 もともと、白子地区で空家活用のためのグループBlanc-Co(ブランコ)が、ベルブという市内全戸配布のフリーペーパーに載ったことから、相談いただいた物件です。 相談いただいたのは6年前でした。 所有者様は市内の別のところに住んでいて、数年前にこの土地建物を相続したのだけど、使い道がわからないので、どうすればいいかということでした。 当初は、白子でDIYリノベーションして、伊勢型紙の体験スペースとなったある物件(ヒロモリ家)のような活用を提案したのですが、その後、しばらく連絡がなく、数年後に再び相談がありました。 その頃、ちょうどBlanc-Coのウェブページを見た方から、白子周辺で空家がないかと問い合わせがあったので、隣町の寺家にある、この物件を内見していただきました。 結果的にはリフォームにかなりお金がかかりそうだということで、辞退されました。 同じ頃、私は宅建士の資格を取ったばかりでした。 しかし、宅建士を持っていても、不動産の仕事が出来るわけではありません。 業を行うためには、宅建業の免許を取る必要があり、それには保証協会に弁済業務保証金分担金を60万円支払わなくてはなりません(実際にはそれ以外にも、なんだかんだで100万円以上かかることが後でわかります)。 少なくない投資ですが、古民家などの再生を志向することになって10年以上、実際に再生することが出来たのは数えるほどでした。 いろいろなハードルがあります。 まず空き家を所有している人が、貸したり、売ったりしようとしない。 貸したり、売ったりしようと思っても、法律上の様々な問題があって出来ない。 経験のない人が賃貸事業をするのは面倒だし怖い。 また、売りたい人は最近、割と増えてきたのですが、(今回のように)買いたい人がいない。 私の経験からはどんな建物でも、リノベーションすることは出来るのですが、それをイメージできる人はプロの中でも、その経験のある人だけです。 つまりプロでなければ、空き家を見ても「こんな建物はもう使えない」と思うのが普通です。 私の場合でも、子どもの時からボロい家だと思っていた(失礼)、材木屋をやっている同級生の友だちの家が、見事にリノベーションされ、見に来た人が「こういう家に住みたい」と口々に言うのを見たのが原体験でした。 正直言って、リノベーションする前は、当時すでに建築士であった私でさえ、壊したほうがいいのではないかと思っていました。 それで考え方が「コロっと」変わったというわけなのです。 だから、空き家を見て壊したほうがいいと思う人が多いのはわかります。 最近は、テレビなどで古民家を再生して、カフェや宿泊施設やパン屋さんなどにリノベーションしている事例は、よく見るようになりましたが、それは「元がいいからでしょ」といわれるのがオチで、目の前の空家とは違うものだと思われがちです。 以前、長野市で古民家をリノベーションしたおしゃれなカフェを見学に行ったのですが、リノベーションする前の写真をみて驚きました。 元がいいどころか、戦前に作られた安普請の(失礼)せまい長屋だったのです。 材木屋の友だちの家に続いて、さしずめセカンドインパクトといったところでした。 その後、現在、当社の社屋としてお借りしている、白子の古民家のリノベーション、Blan-Coメンバーでセルフリノベーションしたヒロモリ家、釜石でリノベーションしたco-ba kamaishi marudaiなど、自分でリノベーションを手がける経験を得ました。 それでビフォアからアフターをイメージできるようになりました。 ただ、やはり前述したような理由で、自分以外の人にリノベーションを勧めるのは、依然として難しいです。 特に売りたい人はいるんだけど、買いたい人がいないという問題。 厳密に言うと、土地付きの建物なら、値段次第で買いたい人はいます。 しかし、そういう人の多くは、古い建物を解体して、新しい建物を建てたい人です。 最近は白子周辺でも、空家が売れるようになってきていて、それはリノベーションのためでなく、空家を解体して、建売住宅を建て、販売するためでした。 Blan-Coメンバーで調査して、所有者様にアプローチしていた建物も、次々と解体されて、建売住宅が建ったり、コインパーキングになったりするところもあります。 私は地元に古い建物を残したい、伝統のある街並みを残したい、また建売住宅やハウスメーカーの作る住宅よりも、古民家のほうが魅力があると思っています。 あくまでも単に空家を解消するというだけでなく、活用するためにはどうすればいいかと考え続けた結果、買取再販がいいのではないかと思いつきました。 そこで、最初の話に戻りますが、寺家(白子の隣町)の家を買取再販することに決めました。 現物を見てよさがわかるように、リノベーションしてしまえば、欲しい人が必ずいるはず。 買取再販業には宅建業の免許が必要です。 60万円かかりますが(実際には100万円以上かかりました)、宅建業も取ってしまおうと。 それで、寺家の家の買取と、宅建業の免許申請を同時に進行していたのですが、買取のほうで問題が発生しました(宅建業は取れました)。 土地は相続されて所有権を現所有者様に移転されていたのですが、2棟ある建物のうちの1棟が、所有権が移転されておらず2代前のおじいさんのままになっていたのです。 1代前なら、まだ相続権のある人の人数は少ないのですが、2代前ともなると、戦時中の「産めよ増やせよ」の時代をまたいでいることもあって、かなり多くなり、また亡くなっている人も多いため、その子孫まで辿るのが難しいのです。 所有権を移転するためには、その権利を持っている人、全員から同意を得なければなりません。 これこそ空家活用をはばむ、大きな障壁の一つなのです。 それで、いったん購入を見送りました。 それから、1年半が経ち、昨年の秋、所有権の移転が出来たとの連絡がありました。 最初に思ったのは、正直なところ、気持に勢いのあった2年前と違って「え、どうしよう」という感じでした。 実はその後に、別の物件を購入しようと計画して、銀行の融資が難しいことがわかりました。 ある程度の金額なら、政策金融公庫から借りられそうなのですが、リノベーションの費用まではなかなか難しいのです。 しばらくどうしようかあれこれ考えたのですが、具体的な事業計画は作れず、約束していていつまでもお待たせできないので、今月初めに購入してしまいました。 築150年の古民家。 立地は駅からややはずれますが、伊勢街道沿いの風情あるまちなみの一角。 以前の所有者様は、伊勢型紙職人で、屋根裏の倉庫(つし)には「当て場」と呼ばれる作業台もありました。 かまどや井戸も残っています。 とても魅力的な物件で、リノベーションすれば間違いなく素敵な物件になります。 アトリエやワークスペース、店舗としても利用できるかも。 それは間違いないのですが、融資を受けるのだけが難しい。 さあ、どうするこの古民家!? (次回に続く?) #
by 3839ttsy
| 2023-03-13 11:17
| 建築
|
Comments(0)
2015年に劇団もしょこむの旗揚げに大道具スタッフとして誘われ、気づけば8年も経ってしまいました。 現在の団長、小笠原景子さんと、当時新聞記者だった菅野結花さんが、こむろこうじさんの作「平行螺旋」を上演するために結成されました。 平行螺旋は、釜石の平田にあった元仮設商店(当時は空きスペース)で公演した後、あちこちからオファーをいただき、雫石、盛岡、遠野、東京と約1年で計5回公演を行いました。 その次の年は、菅野さんが盛岡に転勤になり、残ったメンバーでON AIRを、釜石地方森林組合さんの事務所をお借りして公演。 ON AIR以降は、少しずつ私も舞台に立つようになり、もしょこむは年1回程度のペースで、公演を行ってきました。 なお、菅野さんは2017年に上京して俳優養成所に入り、プロの俳優になりました。 現在は舞台だけでなくテレビにも出演中のようです(今調べてわかったことも…) 平行螺旋を除くと、1つの演目は1回きりの公演(1日に2回することもありますが、それは1回とカウント)、毎回オリジナルストーリーです。 近年、メンバーの入れ替わりもあって、本を書く人がいなくなったりして、毎年公演が困難になりつつあったのですが、今年は公演することが出来ました。 プロになった菅野さんが、帰ってきたのです!(なんだか鮭みたい?) …といっても、本拠地は東京で、一時的な感じのようですが。 その菅野さんが書いた本を、菅野さんの同級生で、昨年、co-ba釜石のギャラリースペースで作品展示を行った、濱口芽さん(過去の日記)が主演で公演を行うことになりました。 やや話が複雑になるのですが、実は濱口さんが釜石で作品を制作や展示するようになったのは、菅野さんの紹介があったからなのでした。 そして、濱口さんはもともと菅野さんを演劇に誘った、なんなら演劇の先輩でもあったということです。 俳優とアート、多才ですね。 今回は釜石JCの理事長となった、団長、景子さんは役者をせずに(JCが忙しいので)、演出を担当することに。 私は時期的に釜石にどれぐらいいられるか見通しが立たなかったので、出来れば役者を辞退しようと思ったのですが、菅野さんの本ではすでにキャスティングされているし、公演前の1週間の稽古でなんとかなると言われ受けることに。 実際は1週間では無理だったし、結局公演前の3週間、釜石にいて、しかもけっこうヒマだったので…ことなきを得たという次第です。 その間、かつてないほどみっちりと稽古がありました。 平行螺旋をやっていたころは、景子さんと、菅野さんの演技や、セリフのみならず、事細かな小道具の使い分け、早着替えなどの舞台裏を見ていて、とても役者は無理だと思っていました。 それに舞台セットや小道具の作り込みがすごい。 VHSビデオテープでビデオレターを作り、本番中にビデオデッキを動かして映像を出したり、景子さんの役が遺跡が好きな設定なので、本物さながらのハニワを紙粘土で作ってインテリアに飾ったり。 暗転時にも、時間の経過を表す無言の劇が続きます。 約1時間、ひとつの間違いなく、全部の動きを覚えるのは、人間業じゃないと思いました。 2作目以降の作品は、菅野さんがいなくなったせいもあったのか、作(脚本)演出の小笠原梓さんのやさしさのせいか、そこまでハードな内容ではありませんでした。 それで、私でも出演出来たところはあります。 ただし、3作目「華とワカメとヒーロースーツ」のヒーロースーツなど、美術の精巧さは磨きがかかりました。 今回の「絵未本」は平行螺旋に回帰するような、小道具の多さ、インテリアの凝り具合、暗転時も気を抜かない演出を求められ、首の振り方からまばたきまで、細かい演技にまで至る指示がありました。 菅野さんというプロがいて、経験豊富でアーティスト気質(というかアーティストの)濱口さんのこだわり、そして団長が演出に回るということで、求められるクオリティが違いました。 幸い、私は菅野さんのやさしさか、セリフが少なめだっため、何とかなったという感じです。 主役の濱口さんは、演技だけでなく、本番中に絵本を描き上げるという離れ業を求められていました。 会場は菅野さんと濱口さんの地元ということで、陸前高田になりました。 陸前高田では、もしょこむは無名です(釜石でも有名ではないですが)。 また、キャストが足りなかったので、陸前高田のSETという団体さんにヘルプを頼んだところ、山本康平さんというイケメンがジョインしてくれました。 山本さんは演劇の経験はなかったのですが、NHKのドラマ「拾われた男」を見て、役者をやってみたいと思ったとか。 初めてとは思えない迫真の演技でしたが、練習の熱心さを見ていれば納得でした。 本番当日、果たしてお客さんが来てくれるのか不安でしたが、陸前高田の役者のみなさんのお知り合いを中心に100名近い方のご来場をいただきました。 セットに使った小道具やインテリア、家具類は3月にオープン予定の「泊まれる古本屋 山猫堂」さんからお借りしました。 山猫堂さんには古本だけでなく、空き家の整理で出てきた、古道具も販売する予定で、濱口さんがスタッフとして関わっていることもあり、レトロな小物や家具が揃っていました。 ここまでの状況説明で、やや疲れてしまいましたが(読む方もだと思いますが…)、以下感想です。 まずなによりも、当時は舞台の外から見ていた、平行螺旋をほうふつさせるクオリティの舞台に立てたことを、とても光栄に思います。 (終わってから知ったことですが)テレビにも出ている菅野さんと共演したのは、あらためて恐れ多いことでしたが、貴重な機会になりました。 演劇はもしょこむで初めて接することになったのですが、たぶん、もしょこむというのは普通ではない劇団なのだと思います。 他の演劇関係の人と接して感じるのは「ダメ出しが好き」ということです。 しかし、私はダメ出しされるのが大嫌い。 なので、普通の劇団では、おそらくつとまりません。 1から作って、楽しんで作って、それぞれがアイデアを出してどんどん積み上げていくのがもしょこむであり、そんなもしょこむが、改めて好きなんだなと思いました。 ダメ出しというのは減点法ですが、もしょこむは加点法なんですね。 ある意味ゆるいですが、その分楽しい。 ひょっとすると、プロの菅野さんあたりは、歯がゆい部分もあったかもしれませんが、終始ニコニコと楽しそうにしていたのでありがたかったです。 個人的には新人の山本さんがいてくれたおかげで、演出の景子さんの矛先…いや熱心な演技指導がそちらに向きがちだったことも助かりました。 もしょこむが特殊かもしれないとはいえ、演劇はやってみて面白いと思います。 基本的にものづくりが好きなのですが、決まりきったものを作るのではなく、未完成でも新しいものを作りたい。 職人ではなくクリエィターでありたい。 演劇にはその欲求を満たしてくれる、自由さがあると思います。 建築の世界には昔はルネサンスやゴシック、日本なら書院造りなど「様式」がありました。 それが近代になってなくなり、建築家の仕事は今までにないものを作ることになりました。 演劇もオペラや歌舞伎のようなものがありますが、現代の演劇は比較的自由なように感じます。 そのあたり、似ているところを感じます。 今回の公演では、最初は役者だけやって、大道具やセットにはタッチしないつもりでした。 直前になってインテリアをまとめるように投げられ、ちょっとドタバタしました。 限られたもので、短時間で考えるミッションも、それはそれで楽しかったですね。 100均で飾り付けを買ったり、流木を拾ってきたり。 セットはおおむね好評でしたが、一役買ったところはあったのではないかと思います。 カウンターは、co-ba釜石のギャラリースペースでイベント用の什器として使っていた部材を使って、釜石ローカルベンチャーの伊藤詩恩くんに作ってもらいました。 セットのほうもいいのですが、今までほとんど気にしていなかった、音楽や照明も奥が深くて面白いと思いました。 今回は古株の音声照明班が参加出来ず、団長と比較的新しい団員の岩城さん(岩ちゃん)、そして大道具として助っ人に入った伊藤詩恩くんが担当。 前日にはじめて機材に触るのと、照明計画が固まっていなかったので、実は前日と当日の2日間は役者より大変だったかも。 役者も面白いですが、音楽や照明にももっと凝ってもいいと思うし、脚本演出にも興味が出てきました。 来年、公演するとしたら…ですね。 公演の準備は長く地道で、本番は緊張、終わった後の一瞬が楽しい。 翌日からは数日ロスになります。 週末になって、ようやく復活してきました。 最後になりましたが、ご来場いただいたみなさま、ご協力いただいたみなさま、メンバーのみなさん、ありがとうございました! #
by 3839ttsy
| 2023-02-24 21:41
| 劇団もしょこむ
|
Comments(0)
rakraは北東北の情報誌で、盛岡の出版社が発行しています。 教えていただいた連載小説「潮風の速さはどれくらい」は、みちのく潮風トレイルを舞台にしており、作者は盛岡在住の、南海遊(みなみ・あそう)さん。 2人の男女が、それぞれ北と南からみちのく潮風トレイルを歩き、岩手県の宮古市の岬で出会うかもしれない!?というお話だそうです。 青森在住で、南下コースを辿る楠川翠と、宮城県石巻在住で、北上コースを辿る神原健次の物語が、交互に掲載されています。 この企画の面白いところは、ストーリーもさることながら、二人のインスタグラムのアカウントが実在して、物語の進行に合わせて写真が投稿されているところです。 興味を持ったので、読んでみようと思ったのですが、購入するまでもなく、その最新2巻を、先日いただいてしまいました。 2022年11・12月号と2023年1・2月号です。 そのうち2022年11・12月号は楠川翠の回でした。 舞台は田野畑村の北山崎から明戸海岸のあたり。 物語の中で、吉村昭の短編「梅の蕾」が紹介されます。 それは、無医村だった田野畑村に赴任してきた医師の妻が植えた、実在の梅の木をテーマにした物語ということでした。 この物語を読むと、みちのく潮風トレイルにも行きたくなりますが、本も読みたくなるんですね。 最後に訪れた場所の説明や、梅の蕾が収録されている短編集「遠い幻影」の紹介もありました。 なかなか見つからなくて、けっこう探してしまったのですが、名古屋の書店で発見。 (本当は盛岡で買うべきなんでしょうが、行くタイミングがなく…) 遠い幻影の最初に掲載されている梅の蕾、読んでみました。 いつの時代なのか、はっきりわからないのですが、当時の村長が現代にも通づる酪農を推進した話や、三陸鉄道と思われる第3セクターの鉄道が出来た話などが出てきます。 当時の田野畑村村長の悩みは、村の診療所に医師がいないことで、各方面に誘致を働きかけていました。 ある時、一流の大学を卒業した、千葉県の癌センターにつとめる優秀な医師が、診療所に来てくれることになりました。 2年間、田野畑村で診療を続けるうちに、村人の信頼も得、医師の妻にもたくさん友だちが出来ます。 あることがあって、一旦その医師は、関東に帰ってしまうのですが、その時、村人たちがとった行動に心を動かされ、再び田野畑に戻ってくるというお話でした。 とても感動的な物語ではあるのですが、程度の違いこそあれ、もしかすると私たち他県からの移住者も、多かれ少なかれ同じような気持ちになって、岩手から離れられなくなったでのはないかと感じました。 それは岩手の人のあたたかさ、口には出さないけど、態度にあらわれる人懐っこさみたいなもの。 思い返すと、私も初めて会ったばかりの人に何度か「いつまでいるんだ?」と聞かれて、ちょっとびっくりしました。 その言葉の中に「ずっといてほしい」というようなニュアンスを感じたからです。 会ったばかりなのになんで?と思いました。 劇団もしょこむのメンバーで、京都から来ていたMさんは、住んでいた仮設住宅から、劇の小道具で使うためにテレビを運んでいたら、同じ仮設の人たちに「京都に帰るの?」と心配されたそうです。 ほっこりするエピソードです。 災害ボランティアを含め、さまざまな理由で岩手を訪れてた人の心をつかんで離さず、時には移住まで決意させてしまうのは、そんな岩手の人の親密さや、愛情深さのせいではないかと思います。 梅の蕾の具体的なエピソードとは違うけど、なんとなく通づるような体験が、それぞれあるではないかと感じたのでした。 #
by 3839ttsy
| 2023-01-30 19:09
|
Comments(0)
以前、白血病からの復活(闘病日記)というカテゴリーで、連続で50話投稿しました。 2017年の7月から12月まで、急性骨髄性白血病で入院し、退院後も、検査のための通院をしていました。 毎月の検査が、3ヶ月に1回になり、半年に1回になり、頻度は少なくなったものの、定期的に大船渡病院に行っていました。 検査はまず採血を行い、それから結果が出るまで時間がかかるのか、1時間以上待ちます。 診察室から呼ばれると、中に入り、先生から結果を聞いて、次の日程を決めます。 待ち時間や採血も楽しいことではないですが、地味に一番つらかったのが、診察料が毎回1万円ぐらいしたことです。 薬も何もないのですが、血液検査がお金がかかるようですね。 そうやって通院を続け、退院した2017年の12月から、2022年の12月で5年となりました。 その間、口内炎が治りにくかったり、謎の頭痛がおこったり、風邪で熱が出たりすると、「もしかして再発かも?」と不安に思ったこともありました。 実際には検査の結果は毎回良好で、12月の血液検査の結果を、昨日(2023年1月11日)聞きに行ったところ、今回も問題なし。 先生はいつもより声のトーンが高い感じで「これで終診となります」とおっしゃいました。 診察室に入って、座る間もないほどの早さでした(笑) 先生も忙しいのでしょう。 入院していたのは盛岡の岩手医大付属病院で、通院は大船渡病院だったのは、盛岡より近くて、毎週水曜日に岩手医大から先生が来るからでした。 最初の4年ぐらいは、一連の「白血病からの復活」シリーズに登場する、K先生やO先生だったのですが、最近はSK先生という、見たことはあるけど、担当してもらったことはない先生でした。 看護師さんも入院時にお世話になった方々とは違うし、喜びを伝えるような感じでもなく、あっさりと退出しました。 その後、診察券を返してくれた、窓口の女性はなんとなく嬉しそうな顔をしていたように思いました。 いつもなら、次の診察の予約券をもらうのですが、今回はなし。 返してもらった診察券を支払いの機械に入れたところ220円でした。 これは嬉しい誤算。 今回は血液検査がないから安いんですね。 そんなわけで、おかげさまで病院通いは終了しました。 まだ可能性がゼロではないですが、ここまで再発がなかったのは、本当に幸運なことだったと思います。 現在では治る病気とは言われていますが、再発を繰り返して、亡くなる人も少なくはありません。 支えてくれた家族、お見舞いに来てくださった皆様、仕事や活動をフォローしてくださった皆様、ご心配下さった皆様、改めて本当にありがとうございました。 昔であったら命を落としていた病気であり、もともとなかったものと考えて、残りの人生を有意義に、人の役に立てるよう努めてまいりたいと思います。 #
by 3839ttsy
| 2023-01-12 17:51
| 白血病からの復活(闘病日記)
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||