建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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ほとんど壊滅した地域もありましたが、日本全国から復興の力が集まって工事が進みました。 現在では原発事故のあった地域以外は、少なくとも建物や道路、その他の建造物などは、復旧したように見えます。 一方でそこに何か新しい表現であったり、革新的な技術であったりを使った建築が生まれたかというと、そうでもなかったように思います。 原因として、最も大きいものは予算不足だったと考えています。 復興の工事が始まった当初は、バブル崩壊後の長年にわたる不景気やリーマンショックによって、建設単価は安かったのですが、復興需要とオリンピック需要により、人手不足が生じ、単価が上がりはじめました。 単価が年々あがっていくので、当初見込んでいた予算が不足しがちになり、建築家がいくら工夫しても、目新しいものは作れないという状況になりました。 また、建築家の見慣れない提案が、地域の人たちに嫌悪されるケースも、局所的には見受けられたように思います。 単に依頼されたものを設計するだけでなく、みんなの家という、小規模な集会所のような仮設建築を、建築家が自ら寄付を募って、建てて提供するという動きも生まれました。 みんなの家には、複数の建築家がそれぞれ知恵を絞って取り組み、個性的でユニークな建築が作られました。 しかしながら、現地の人からするとどう使っていいかわからないという感じで、私の見る限りでは、使用頻度はそれほど高くなかったようでした。 今では大半が解体されて、残っていません。 以上のことを考えると、建築家は東日本大震災の復興には、あまり手ごたえを感じられていないのではないかと推測します。 そもそも、現地にはスケジュール的にも、予算的にも、先進的な建築を作るのは難しい環境なのかもしれません。 さて、ここからが本題ですが、一昨日、能登半島に行きました。 今回もボランティアのつもりだったのですが(以前の投稿)、行ってみると少し様子が違いました。 きっかけはX(旧ツイッター)でフォローしている人の、ある投稿でした。 その人は、以前、co-baのオンラインイベントで知り合った人で、Xでは一方的にフォローしている状態でした。 当時は学生で、そのあとVUILDという会社に就職したようでした。 その人(Nさん)の実家が、石川県の能登半島だったらしく、被災したということを同じくXの投稿で知りました。 知っている人が被災したということで、さすがに気になっていたのですが、ある時、解体したお家の木材を搬出する手伝いを募集する投稿を目にしました。 以前ボランティアに行ってから、数か月たっており、またなんらかのきっかけがあれば、能登の被災地に行こうと思っていたので、この機会にと手を挙げることにしました。 場所は羽咋市というところでした。 前日、金沢に泊まって、翌日、向かう予定でした。 ところが、行く途中にタイヤがパンクしてしまい、朝、修理をすることに。 間に合わないかもしれないと思いましたが、なんとか集合時間の11時に間に合いました。 現地ではNさん以外に、VUILDの社員さんが2人と、大学生さんが1名、富山の工務店の方が1名いらっしゃいました。 作業内容は、解体して積んである、梁や柱の木材を、これから来るトラックに積むということでした。 その木材は、VUILDで設計する、東京のオフィスビルの材料として使われるということでした。 よく聞いてみると、そのアイデアがすごかったのです。 VUILDという会社は、デジタルファブリケーションで建築を作るという理念のベンチャー企業だという認識だったのですが、ある意味、当社と同業の建築事務所でもあるということでした。 例えば、花巻でお世話になっている、小友木材さんにあるShopBotは、VUILDが扱っている商品です。 ShopBotはコンピューター入力で、板材などを切断、掘り込み加工をする機械で、プラモデルのように組み立てる家具なども作ることが出来ます。 今回のオフィスビルのプロジェクトは、デジタルファブリケーションを活用しつつ、廃材を使って建築物を新築するというもの。 その使い方が斜め上で、構造材ではなく、コンクリートの型枠に使うということでした。 そして、単に型枠に使うというだけでなく、型枠をそのままばらさずに、仕上材として残すということでした。 構造材として使わないのは、廃材は強度が不明であり、さらにどのような大きさのものが手に入るかもわからないところから難しい。 一方、型枠であれば、ある程度、引き割ったり、切断するなどして、大きさを揃えれば、大抵のものは使えるというわけですね。 なるほど。 完成予想図を見せていただきましたが、有機的でありながら、構造的にも合理的で、ユニークな形状でした。 さらに廃材を使うことで、予期せぬテクスチャーが(例えばほぞ穴などの他、墨付けや、出荷の際の焼き印など)が表出する面白さもあります。 そのような面白いプロジェクトに立ち会えるとは、思ってもみないことでした。 ところで、話は戻りますが、Nさんのご自宅は、なぜ解体することになったかというと、液状化のためでした。 羽咋市は能登半島の中では、根元に近く(震源地は先端に近い)、見る限り倒壊家屋は多くなさそうだったのですが、実は液状化のために、大きなダメージを受けている家屋が多いということでした。 Nさんのご実家は、中でも被害が大きく、倒壊はしなかったものの、復旧不可能と判断されたということでした。 辛い判断ではあったと思いますが、一方で会社のプロジェクトに材料を提供しようというところに、たくましさを感じました。 そこに住んでいたご両親も、運び出しの作業を手伝っていらっしゃいました。 再建する住宅は、同じくVUILDのセルフビルドユニットを使って、Nさんが建てるということで、その際も、お手伝いにもぜひ参加したいと思いました。 材料の選別をしていると、浜松から運送屋さんがやってきました。 積み込み作業は、運送屋さんのユニックで行い、約2トン半の木材が、神奈川の工場に運ばれて行きました。 さて、最後に冒頭で、ボランティアのつもりだったのが、様子が違ったと書いたのは、最後に、お手伝いの謝礼をいただいたことでした。 最初はお断りしたのですが、それはVUILDのほうからということだったので、ありがたく頂戴しました。 今回のVUILDの試みは、建築を作って被災地に貢献するというわけではなく、被災地から発生した材料が、別の場所で生まれ変わるという、ポジティブな逆転の発想だと思いました。 解体で発生する、木材を活用するという動きは他にもあって、作業の後、廃材をストックして販売する事業を始めようとしている事業者さんを訪問しました。 相当な材料が集まることが予想され、それを使う側のアイデアやデザイン力が、必要になると思いました。 #
by 3839ttsy
| 2024-07-08 21:58
| 建築
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前回よりも出店数が多く、またステージイベントなどもありました。 コロナ前の第2回と同じ程度の規模に戻ってきました。 これまでは運営メンバーが、直接、出店のお声掛けをするにとどめていたのですが、今回はインスタグラムの投稿による募集を行ってみました。 その結果、4店舗のご出店がありました。 いずれも、魅力的なお店ばかりで、募集して大正解でした。 なかには前回から気になっていて、参加したかったという出店者さまも。 銅線や花びら、お米などを埋め込んだ独創的なアクセサリーなどを作っている作家さまでした。 なぜ参加したかったのかうかがうと、えんむすびマルシェというネーミングがいいとおっしゃっていました。 その他、子どものホスピスを運営されている事業者さまも、たくさん出会いがあって、まさにえんむすびでしたと、何度も言っていただいたり、とても感激でした。 時々、婚活イベントと勘違いされる方もいて、名前を変えたほうがいいかな?と思うこともありましたが、このままにしようと決意しました(笑) ステージイベントに参加してくださった、釜石を応援するチアチーム「ちあ釜」さんの演舞もとても素晴らしかったです。 えんむすびマルシェは、釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクトが、公的な補助金などもなく、メンバーの手弁当で行っている事業です。 収入は出店者様からいただく出店料のみで、メンバーの持ち出しはしないようにしています。 たまに懇親会や忘年会の会費のおつりを補填したりはしますが。 そのため予算が限られているので、机やイスは、町内会や近くの高校からお借りしています。 また商店街の皆様や、釜石大観音さま、その他、多くの方から、ご協力、ご支援をいただいております。 釜石市さんからは後援や、広報などに、ご協力をいただいています。 心がけていることは、メンバーがやりたいことを楽しくやろうということ。 また、特に出店経験などなくとも、誰でも出店できるようにと思っています。 そんな感じなので、規模は小さめで、ルールなどにはゆるいところがありますが、その手作り感を、喜んでいただいているのかもしれないと思いました。 お越しいただいた皆様、ご参加いただいた皆様、ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。 #
by 3839ttsy
| 2024-05-26 15:05
| 釜石大観音仲見世リノベーションPJ
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実はその前の週末にも、行こうと思ってボランティア受け入れ情報を調べてみたのですが、適当な受け入れ先が見つかりませんでした。 実態は不明なままですが、いろいろな人から聞く話を総合すると、公的機関によるボランティアは、石川県が直接運営するもののみで、受け入れ人数が限られているということのようです。 ボランティアの延べ人数が、熊本地震の時の1/6ぐらいという話も聞きますね。 いずれにしても、昨年、秋田で参加したボランティアや、それ以前にも参加していたボランティアと比べて、容易に参加できない印象です。 そこでその週末は見送ったのですが、今回参加したのは、先週、釜石で自然学校を主宰しているIさんがフェイスブックで投稿しているのを見たのがきっかけでした。 Iさんは、すでに一定の期間、能登半島にボランティアに行っていて、次の週末からまた行くということでした。 そこで、私も参加できますか?とコメントしたところ、参加できることになったのでした。 しかも、素晴らしいことに宿泊も可能だということでした。 私は金沢に泊まって、1日だけボランティアをしてそのまま帰ろうと思ったのですが、現地で一泊して2日参加することにしました。 受け入れをしていたのは、RQ能登という団体です。 母体は一般社団法人RQ災害教育センターで、東日本大震災をきっかけに結成され、災害時はボランティアをしますが、普段は子どもに防災教育などをしたりしている団体のようです。 RQ能登は現地のメンバーが立ち上げ、輪島市門前町剱地というエリアで、ニーズを集めて、空き倉庫などを使い、ボランティアセンターを立ち上げたということです。 やはり民間の活動なので、スタッフも限られており、活動の規模もコンパクトと言えばコンパクトですが、その分、地域に溶け込んでいて、顔が見える関係が出来ていて、とてもいい雰囲気でした。 金曜日の夜に金沢まで一泊し、23日の朝、現地に行きました。 途中の道の状況がわからないので、3時間以上前に出たのですが、2時間かからずに着きました。 ところどころ、道路はつぎはぎで補修したようなところや、ちょっとした段差、土砂崩れで片側交互通行のところがありました。 途中のエリアでは、屋根瓦が落ちている家はたくさんありましたが、倒壊した家屋は見ませんでした。 門前町の立地は、輪島市の中でも、朝市などで有名な中心地とは30㎞ぐらい内陸よりだったため、イメージより早かったというところもあります。 活動するのは各3名の3班で、私は地震の被害があったお家の、家具などを運び出すグループになりました。 センターから歩いて行けるほど近くで、活動はいずれもその程度の距離に限られるようでした。 お家のほうへ行くと、家の玄関には応急危険度で「要注意」の黄色い紙が。 和風建築で、田の字型の座敷がある、2階建てのお家でした。 ちなみに、私の見た限りでは、門前町の地域の建物は、全て入母屋などの黒い施釉瓦と、下見板張りの外壁の和風住宅でした。 かといって、古民家ばかりというわけでもなく、平成の初めぐらいに建てられたと思われる建物もあります。 今風の薄い屋根材やサイディングの外壁は見かけません。 景観が整っていて、自然の風景とも溶け込んだ街並みでした。 日本にもまだこんなところがあるのかという感じです。 家の中は、柱や梁に漆が塗ってあります。 建具も本漆塗のものが多く、全般的に仕上のグレードが高いです。 三重県では、建具に漆が塗ってあることはあまりありませんし、柱や梁に至ってはゼロに近いと思います。 家の中は、建具のガラスが割れていたり、動かなくなっていたりしていて、ラスボードの壁もところどころ落ちていました。 一部、柱が土台から外れているところがあり、外から風が入ってきていました。 どうやら、それが黄色の紙の理由のようです。 作業は家具などの処分と、その土台から柱が外れた部分に、風や雨が入らないようにブルーシート張りでした。 また、青森の人から支援で届いた、りんごジュースをお渡ししました。 このように、全国から支援があることを伝えることも、被災した方の心の支えになるということでした。 作業は16時ごろに終わり、届いた支援物資の荷下ろしがありました。 支援物資は、愛知県の渥美半島から届いており、大量の水とブルーシートでした。 運んできたのは田原市の農家の方と、絵描きさんでした。 比較的震源地から遠く、内陸に近い門前町でも、水道や下水道はまだ完全ではありませんでした。 お風呂は自衛隊が提供していて、ボランティアも入ることが出来るそうなので「いいのかな?」と思いながら行ってみることに。 ちゃんとした銭湯か温泉施設のようになっていました。 着替えの棚とカゴがあって、中に入ると洗い場にシャワーがあり、シャンプーやボディソープも置いてあります。 浴槽は4,5人入ることが出来るものが、4つ並んでいました。 地元の方と思われる方が、次々といらっしゃっていましたが、十分なキャパシティがあるようでした。 お風呂に入った後は、宿泊施設に移動しました。 団体で借りている建物で、みんなで食事をして寝袋で就寝。 その日は、今までになく人が多かったそうで、20名近くいました。 持って行った鈴鹿のお酒「作(ざく)」の一升瓶が、その晩の内に空きました(笑) 翌日は、やはり前日と同じように、家具の運び出しでした。 3名のグループでしたが、私は年長だったのでリーダーになってしまいました。 いつものことですが、出来れば平メンバーのままでいたいですね。 午後は、グループの組み替えがあって、倒れたコンクリートブロック塀の片付けでした。 こちらはなかなか重労働でした。 ところで、このボランティアに誘ってくれた釜石のIさんは、ボランティア作業ではなく、コーディネーターをされていました。 何か作業をしてほしい人の「ニーズ」を集めて、各地からやってくるボランティアに、作業を分配する仕事です。 この働きによって、ボランティアが十分力を発揮できるか決まってくるので、難しくて重要な役割です。 前日とこの日の午前は、金沢在住の方がされていたのですが、午後は用事があっていなくなって、Iさんが中心で行っていました。 Iさんは東日本大震災では、被災しているのですが、その後の災害で、経験を生かして有効な支援を行っています。 個人的にも、地元の漁師さんから昆布をあずかって、地域の方に渡していました。 まさに相互自助であり、災害支援には民間のボランティアの活動が有効かつ重要であると、改めて思いました。 2日目の活動が終わった後、Iさんと一緒に記念撮影をして、鈴鹿に帰りました。 最後に被害状況についてですが、門前町剱地地区は、赤や黄色の張り紙の家は多いですが、倒壊家屋は見ませんでした。 最北端の珠洲市が最も震度や被害が大きかったそうなので、さらに北に行くにしたがって、それらも増えていくのだと思います。 輪島の中心地は大規模な火災もありましたし、珠洲市では津波もありました。 今回はその地域まで行く時間がなく、行っていません。 2日目の朝に、少しだけ北上してみたところ、黒島地区というところで、倒壊家屋が多くみられました。 なお、後でわかったことですが、ここは旧角海家という重要文化財で、左手の奥のほうに倒壊した、主屋が少し見えます。 この周辺は、道路も液状化によって陥没したり、波打っているところが多いです。 あくまでほんの一端を見たにすぎませんが、改めて今回の災害の大きさを実感しました。 今後もボランティアを含め、なんらかのご支援が出来ればと思います。 #
by 3839ttsy
| 2024-03-25 22:27
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以前から生えていたのかもしれませんが、事務所の庭につくしが生えることを初めて知りました。 よく見てみると、たくさん生えています。 つくしは子どものころに、学校の帰り道の空き地などで取って、家に持って帰ることがありました。 母と一緒にハカマを取って、母が卵とじなどにしてくれて食べました。 たくさん取ったつもりでも、ほんの少ししかなかったような記憶があります。 大人になってからはつくしを取ったことはありませんでした。 事務所の庭に生えているのは、けっこう量があるように思ったので、久しぶりに取って、食べてみようと思いました。 (先週、複数の公共の仕事が終わったところで、暇だったもので…) 昼のうちに採取しておいて、夜、ハカマ取りを開始。 思ったより手間で、1時間以上かかりました。 水で洗って砂を落とし、ゆでた後に水に15分ぐらいさらしてから水を切って、しょうゆをかけて食べてみました。 事務所なので、食材も調理道具もほとんどないので。 しょうゆだけは買いました。 …おいしくない。 量は思ったよりも多くて、小さいお皿でしたが、山盛りで食べきれないほどでした。 そこで鍋でしょうゆをかけて煮詰めて、量を減らしてから食べることに。 そしたら、ちょっと苦みが強い感じではありましたが、なんとか食べることは出来ました。 そもそも、なぜこんな酔狂なことをはじめたかというと、それ以前に、釜石でふきのとうを食べたからです。 3月の初めに、妻と釜石市内のみちのく潮風トレイル(※みちのく潮風トレイルとは→過去の日記)を歩きました。 ところで、ふきのとうのことを、東北では「ばっけ」と言います。 なので以下、ばっけと表記します。 ばっけは、釜石近辺だと至る所で見られます。 最初は珍しいなと思ったのですが、どこにでも生えていて、鈴鹿のほうでつくしを見る頻度に近い感じです。 でも育ちすぎていると食べられません。 見つけたばっけは、ちょうどいい大きさに見えたので「食べてみよう」ということになりました。 家に持って帰ると、妻が調理して「ばっけみそ」にしてくれました。 翌日、鈴鹿に移動することになっていたので、珍しいだろうから母に食べさせるようにと、小瓶に詰めて持たせてくれました。 私は子どもの時以来、自然に生えているものなどを取って、調理して食べるということをあまりしてこなかったので、これはちょっと楽しいかもと思ったのでした。 そこで、その時点から、つくしのことが頭にあったのでした。 鈴鹿なら、つくしでそれが出来るなと。 ところで、つくしは実家の庭には、昔は生えていなかったのですが、近年、どういうものか、大量に生えるようになりました。 しかし、ばっけは鈴鹿では見ません。 山のほうにいけばあるかもしれませんが、私の住んでいるところは海辺なので、見たことがありませんでした。 ところが、今朝、母が庭で取れたと言って、見せてきたのがばっけ。 なんと、わざわざ、釜石から持ってこなくても、庭で取れるようになったのでした。 #
by 3839ttsy
| 2024-03-19 09:57
| プライベート
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物件購入後、まず悩んだのがリノベーションの計画です。 住む人が決まっていないと、とっかかりのイメージが出来ないということに気がつきました。 通常の設計業務だと、そもそも施主様からの依頼で始めるので、ヒアリングなどを行ったり、これまで住んでいた家または施設を見たりして、使うイメージを作りつつ、デザインを考えます。 またデザインはテーマを設定することで、考えられるようになるもので、そのためにも施主様のアイデンティティが手掛かりになるわけです。 仕事や趣味、生まれた土地や、住んでいた土地。 また家族構成はもちろん考慮すべきポイントで、大きさや動線計画に関わってきます。 しかし、今回は設計段階では施主がいません。 それがむしろ自由だと思ったのですが、実際に取り組むと、自由すぎて考えるの難しいことがわかったのでした。 そこで、住む人を想定することにしました。 浮かび上がってきたのは、職住一体の暮らしをする人です。 以前は伊勢型紙の職人さんが住んでいたらしいのですが、伊勢型紙職人はあまりにもターゲットが狭すぎます。 ではその暮らし方のエッセンスを抽出して、働くところこと暮らすところが1つの建物(または同じ敷地の建物)を作ったらどうかと思いました。 型紙職人さんは、同じ建物で働いて、食べて、寝る暮らしをしてきたはず。 現代でもそのような暮らし方をしたい人がいると思いましたし、一方、そのニーズをかなえる住宅は、市場には少ないのではないかと考えました。 コロナでリモートワークをする人も増えたことも、ターゲットを広げる要因だと思いました。 といっても、必ず職住一体にしないといけないわけではなく、土間の空間を楽しく使えるなら、趣味の空間でも、アトリエのような空間でもいいと思います。 また、小規模な店舗などにも、適していると思います。 そんなわけで、計画は何となくできたわけですが、問題は資金です。 以前に、あちこちの銀行を回って融資を申し込んだのですが、断られ続けたというトラウマがありました。 どうしたらいいかわからずに、時間だけが過ぎるような感じだったのですが、あることをきっかけに道が開けました。 それはネットバンキングです。 去年の8月に銀行の振り込みなどが、パソコンで出来るようにネットバンキングを、取引銀行に申し込みました。 窓口でその手続きをしているとき、融資の担当者さんが挨拶をしたいとやってきました。 その日は申込書類を持ち帰って、会社で書くことになったのですが、数日後、担当者さんが取りに来てくださるということになりました。 担当者さんは古民家をリノベーションした当社を気に入ったようで、しきりにほめてくださったこともあり、「実は…」と融資の話を持ち掛けてみました。 そうすると、けっこう乗り気になったようで「上司に相談します」と言って帰られました。 その後、上司の方とも面談をして、融資していただくことになったのでした。 確定したのは12月だったので、時間はある程度かかりました。 12月に工事会社と契約し、1月から工事が始まりました。 ちなみに工事会社は、Blanc-Coメンバーの清水屋さんです。 そもそもBlanc-Coの活動から扱うことになった古民家でしたからね。 というわけで、現在は工事の真っ最中です。 パースを書いてもらう(外注する)のは、少なくない広告費ですが、売れないと恐ろしいので… 本日、なんと早くも内見が1件ありました。 さて、どうなる古民家!? #
by 3839ttsy
| 2024-03-14 22:52
| 建築
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