建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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これは、そのビジョンを掲げ始めたときに、依頼された住宅設計についてのお話です。 クライアントは、もともと当時所長であった父の知り合いで、社屋と息子さんの住居の兼用住宅を設計させていただいたことのある、Iさん。 息子さんのIjrさんのほうは、私と知り合いだったので、社屋兼用住宅は、私が設計担当することになりました。 IさんとIjrさん、そしてIjrさんの奥さん、それぞれに主張が強いタイプで、設計の打合せでは、やや険悪な雰囲気になることもありました。 工事中には、Iさんが外壁の張り方が気に入らないと言って、工事業者さんに貼り直しをさせたこともありました。 でも、そうやってこだわって作られた建物は、自分でいうのもなんですが、とても素敵なものになりました。 Iさんは、その社屋の近くの木造住宅に住んでいたのですが、5年後に東日本大震災がおこって、その家が津波ハザードマップの浸水区域に入っていたため、生家のあった内陸部の地区に家を建てて住むことにしました。 そして、社屋のほうの使い心地がよいということで、また私に設計を依頼してくださいました。 その前の年に、父は急病で他界して、以前は仕事の大半は父が取ってきていたため、仕事が少なくなっているところだったので、大変ありがたいことでした。 Iさんと奥様の要望と、それまでに蓄積された自分のノウハウを盛り込んで、そして何よりも「幸せのデザイン」を心がけて、設計を行いました。 これは力を入れすぎて設計するとありがちなことですが、設計図が完成し、見積もりを取ると予算をオーバーしてしまいました。 すると、普通はそんなことはあり得ないのですが、施工業者は私の書いた図面を、安くなるように描き直して、見積もりを持ってきました。 私は腹が立ちましたが、予算オーバーの設計をしてしまっているので、何も言えませんでした。 すると、Iさんは「宮崎さんの描いてくれた図面で建てたいんです」と言ってくださり、その図面を却下しました。 なんともありがたく、設計者冥利に尽きるお言葉でした。 その後、予算を合わせるために、気に入っていただいている部分は残しつつ、設計の見直しを行いました。 2回目の見積もりで、ようやく折り合いがつき、工事が決まりました。 Iさんは厳しいところや、難しいところもある人で、工事中は、施工業者との折り合いをつけたり、設計意図から外れる変更指示があって「このほうがいいのです」と説得したりする場面もありました。 現場に足を運ぶ回数は、平均よりも多かったかもしれません。 それでも、なんとか大きな問題もなく、新しい家が完成。 Iさんも奥さんも、とてもお喜びでした。 1年後、異常がないか点検に伺ったときも、仕事中だったIさんは、わざわざ駆けつけてくださって「すごくいい家で、よろこんでいます。ありがとう」とおっしゃいました。 点検の結果は、問題はありませんでした。 周りの庭は、ご夫婦で手入れをされていて、なんだか夢のような風景になっていました。 その後、私は岩手県で東日本大震災の復旧工事などの仕事で、岩手にいることが多くなりました。 完成から約7年後の今年、Iさんから年賀状が届きました。 毎年いただいてはいたのですが、今年は直筆でコメントがありました。 それには「すごくいい家で気に入っております。ぜひまた遊びに来てください」と書いてあり、わざわざ携帯電話番号まで書いてありました。 それで慌てて電話をしたのですが、来週から不在にするので、また連絡しますと言われ、電話を切りました。 Iさんから連絡が来ることもなく、しばらく経ったある時、母から電話があり、泣きながら「Iさんが亡くなった」と告げました。 父とIさんは、夫婦ともどもお付き合いしていたので、母もIさんのことをよく知っていました。 すぐに年賀状のことを思い出し、あの時、お伺いできなかったことを悔やみました。 私はその時、岩手のほうに行っており、葬儀には参列できませんでした。 数週間後、岩手から鈴鹿に戻って、Iさんのお家を訪ねると、奥さんが出ていらっしゃいました。 ご位牌にお参りするために、お邪魔させていただくと、当時はなかった仏壇が、そのために作ってあったスペースにおさまっていました。 若々しくお元気な時の写真が飾られていました。 その後、リビングのほうで、奥様とお話させていただきました。 家はまだまだ新しく、自分でいうのもなんですが、ゆったりとして居心地のいい空間でした。 奥様は、Iさんが私に会いたがっていて、ソファに座りながら「この家に住めて本当に幸せで、何も言うことはない」とおっしゃっていたという話をしてくださいました。 私は不義理に後悔しつつも、設計者として、この上なくありがたい言葉に、胸が熱くなりました。 生前にお会いできなかったことは、本当に残念でした。 奥様に、年賀状をいただいて、私が電話した話をすると、不在にするというのは、入院のことだったようです。 それから、半年ほどの間に亡くなってしまわれたのでした。 新築時ではなく、築後7年経っても、居心地がいいということは、本当によいものが出来た証拠だと思います。 当社では、ビジョンである幸せのデザインをテーマに、少なくとも30年は幸せに暮らせる家を目指しています。 情熱をもって作られた建物は、時間が経っても、時折ふと、しみじみといい家だと感じるものだと思います。 なぜなら、私が住んでいる(二拠点のうちの一つとして)、父が作った家もそうだからです。 Iさんには、もっと長く、あのお家で暮らしていただきたかったですね。 芸術・デザイン部門に応募します!
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by 3839ttsy
| 2020-12-26 18:29
| 建築
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このコンペの提出物を作るにあたって、一番ストレスだったのはパースです。 パースとは遠近法を使った画法のことで、建築では一般的に建物の完成予想図として描きます。 実のところ、これまで仕事で自分でパースを描くことはほとんどなく、描くとしても住宅用のCGソフトを使うか、普段使っている2次元CADで描く着色しない線画ぐらいでした。 水彩パースは大学の授業で習いましたが、仕事で描いたことはなく、この頃通っていた、インテリアコーディネータースクールの課題で、久しぶりに描いたという程度でした。 しかし、住宅用のCGは大規模な建築を描くには向いておらず、着色しない線画では、説得力がありません。 かといって、高価な3DCADを購入することも出来ないし… ということで、水彩でパースを描いてみることにしました。 前回の投稿に添付した画像は、その一部で、屋内の様子を描いた、内観パースというものです。 水彩画というものは、塗り重ねが出来ず、失敗が許されないもので、集中力を必要とします。 また、下絵はCADで描くのですが、細かいもの(添景)はフリーハンドで書き込むため、いわゆる絵心が必要なのですが、正直、絵を描くのは、それほど得意ではありません。 そのため、いよいよ提出物の仕上を作成するにあたって、パースの枚数を重ねるうちに、だんだんとストレスを感じるようになりました。 特に外観パースは、2枚描いて、納得がいかなかったので、3枚描いたため、そのたびにストレスが強まりました。 そんな風にしてできたのがこの外観パース。 いろいろ試した結果、一旦スキャナーで取り込んで、空はレタッチソフトのほうでグラデーション着色することになりました。 このスケールの建物を、実際の仕事で描くことは、おそらくないでしょう。 建物の外観デザインを考えるにあたって「観音像のように見える」ようにしたと以前、書きましたが、設計にあたっての手掛かりはもう一つありました。 それは井上靖の短編「補陀落渡海記」です。 この物語は、那智の補陀洛寺の住職が、補陀落渡海をするまでの心の葛藤などを描いているもので、それまで行われてきた、補陀落渡海の歴史に触れる場面もあります。 その中に、主人公の先代の住職が補陀落渡海の直前に語った、補陀落についての描写が出てきます。 おそらく、死の船出を前に、強いストレスによって、幻覚が見えるようになっていたと思われます。 以下がその引用文です。 そこは大きな巌で出来上がっている台地で、激しい波濤に取り巻かれている。(中略)併し、その台地は、どこまで行っても尽きない程の大きさを持ち、限りなく静かで美しいところで、永遠に枯れぬ植物が茂り、尽きることのない泉が到るところから湧き出していて、朱い色をした長い尾の鳥が群がり住み、永久に年をとらぬ人間たちが仏に仕えて、喜々として遊びたわむれている。 この描写を、設計の一つの手掛かりとしました。 その関係で「朱い色をした長い尾の鳥」が、外観パースの添景として描きこんであります。 最後に、平面図です。 こうしてみると、外観パースよりも、平面図にスピリチュアルな雰囲気が現れているような気がします。 4階の屋上庭園なんて、自分が描いた図柄とは思えません(笑)。 低層階及び、4階のフードコートと屋上庭園、そして最上階の空空間、その下のレストランなどは日帰り客でも利用でき、5階から28階までは宿泊スペースになっています。 高層部分は4階から、上に行くにしたがって狭くなり、18階を過ぎると、再び広くなっていきます。 宿泊スペースとしては一番広い5階は8室、一番せまい18階は4室。 そこまで描いてはいませんが、最上階に近い部屋は、スイートルームなどになるだろうと思います。 さて、これでアンビルドシリーズは最後になりましたが、改めて振り返ってみると、このコンペの出展を境に、パースなどのプレゼン資料作成や、提案を考える力がアップしたように思います。 コンペのみならず、実際に依頼のあった建築のプロジェクトであっても、お金と時間がかかるため、様々な事情で中止になってしまうことも多く、また力を入れた提案であっても、施主に気に入られず、没案になることもあります。 そして、そうなったものが、そのまま別の場所に建てられることは、まずありません。 でも、計画図を描いて、模型を作ったり、パースまで描くと、自分の中で、ある程度の存在感を持つようになります。 そのままのものでないまでも、アイデアの一部を取り入れた建物が、実際に出来ることがあるということも、アンビルドシリーズ3や5で示した通りです。 たぶん、その他のアンビルドたちも、自分の中では大きな財産になっていくだろうと思います。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-12-08 17:07
| アンビルド
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世界遺産を訪れるということになると、学びの要素もあり、多少の緊張感を持って臨まなければならない気がします。 熊野古道の場合、それに加えて、アップダウンのある山道を歩くという要素もあり、ストイックな旅になりがちです。 でも、ただ楽しむこと、リラックスすることが旅行の目的の人もいるでしょう。 そのような人の受け皿として、コンテンツを考えることにしました。 なので、悪くいうと、やや俗っぽい感じのする施設になっています。 ともあれ、今見ると驚くほど、様々な要素を詰め込んでいます。 花びらにあたる桟橋の部分の一つは、イルカショーのスペース。 この辺りはイルカがいるので、野生のイルカも寄ってきて観察できるかもしれないと。 浜辺でイルカの死骸を見たし、イルカ漁がかつてさかんだったところも近く、イルカは多いと思われます。 また人が泳ぐプールもあり、釣り堀もあります。 いずれも生簀のように海水をそのまま使います。 また、同じく生簀のような水盤を囲むオープンカフェ。 その他には、テニスコートや、野外コンサート会場。 もちろん、1つは船(補陀洛渡海船)が発着する桟橋です。 屋内にはフィットネスや、アミューズメント、屋内コンサート会場(劇場)や映画館。温泉や、スパ、カラオケなんかもあります。 …と書いていて、だんだん恥ずかしくなってきましたが、まぁだいたいそんな感じです。 それ以外には、特に熊野古道と関係ありそうな施設があり、まず1つは絵解きコーナーです。 絵解きというのは、かつて熊野詣を全国から誘致するために、各地に派遣された熊野比丘尼が行った、宣伝やプレゼンテーションのことです。 熊野曼荼羅という絵を使って、熊野のいろいろな地域の紹介や、熊野を詣でると得られる、ご利益などを説明していたそうです。 その絵解きを現代風にアレンジし、レースクイーン風ファッションの熊野比丘尼が紹介するのが、絵解きコーナーです。 (やはりこれも、きわめて俗っぽいですね) 丸太を四角く削っただけのベンチは、今見ても、まぁアリかなと思いますが… 次に、熊野古道植物園。 実際の古道のように、薄暗い中に、天井の明り取りから、かすかな木漏れ日のような光を取入れ、コケやシダを観察したり、古道を歩いているような疑似体験が出来るという空間を考えました。 熊野古道を歩いて、もう一つ印象的だったのは、随所に、球状に削られた石があることです。 その球状の石も歩道の脇に置いてあります。 そして、球状の石の大きいバージョンが、屋上にもあります。 この中をどうするかは、世界遺産のことを調べているときに見つけた、ローマのパンテオンの写真から発案しました。 パンテオンと同じく、頂部に光を取り入れる穴をあけ、窓はなく、その穴から落ちてくる神聖な光を見る空間にしました。 名付けて「空空間」。 色即是空、空即是色の空です。 「空=何もない」空間に寝転んで、空と差し込む光を見ながら、ぼーっとするスペースです。 風が強い時には、風の音も聞こえるでしょう。 そして、これはなぜ思いついたのか、今となっては忘れてしまったのですが、桟橋と低層階の屋上にイルミネーションを配し、上から見ると万華鏡のように見える、カレイドスコープイルミネーション。 平面的になんとなく万華鏡の模様に似ているし、万華鏡という言葉も、なんとなく仏教っぽい…みたいな理由だったのだと思います。 夜、万華鏡のように、模様が変わっていく様を、屋上や、窓から眺めます。 もちろん、直接、桟橋の部分や、屋上庭園を歩いても、いいでしょう。 これはロマンチックですね! …などと、今見ると、自分でも恥ずかしいものもありますが、よくも悪くも、アイデアの数がとても多いところから力の入れようがわかります。 結局、情報が多すぎて書かなかったのですが、発電方法は波力発電というものを考えていました。 波の力や、海流、海の満ち引きの力を使った発電システムです。 開発はされているものの、まだ実用段階にはなっていなかったと思いますが、建設するころには出来ているだろうという発想です。 (アイデアコンペですから) ▲
by 3839ttsy
| 2020-12-06 19:38
| アンビルド
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