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(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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これまで書いてこなかったですが、レントゲンを週に1回ぐらい取りました。 白血病患者は、免疫が下がっていることが多いため、他のフロアへ行けないこともあり、「ポータブル」と呼ばれる首の長い恐竜のような機械が、病室に入ってきます。 ベッドにいながらにしてレントゲンを撮ることが出来ます。 ただ寝たままではなく、ベッドを半分起こして背もたれのようにして、座った状態で行われます。 1回目の入院では、電動のベッドだったのですが、2回目になるとやや軽度の患者とみなされているので、手動で、看護師さんが足元のレバーをぐるぐる回して起こします。 お腹と胸と2枚撮る場合と、どちらかだけ撮る場合がありましたが、なんのためだったのかは不明です。 9月23日と24日の日誌には、看護師さんのメイクのことが書いてあります。 いつも目の下が赤い看護師さんがいたのですが、夜勤明けの朝には赤くなかったので、あれはメイクだったんだろうかという… まことにのん気な内容ですが、たいぶ体調が戻っていた証拠ではないかと思います。 25日の回診では、白血球が1700台に戻っているので、2日後の水曜日には退院できると言われました。 2000を超えると屋外に出ても大丈夫なので、このペースなら2日後に超えるという予測だったのだと思います。 同じ日、注文していたポケットwifiが届きました。 パソコンのメールがたまっているので、まずは受けてみましたが普通のwifiと遜色ない早さで、こんなに便利なものだったのかと思いました。 もちろん、スマホの動画なども見放題という感じです。 1ヶ月で100GBの契約だったのですが、実際に使うのは30GBぐらいで、けっこう余裕がありました。 間もなく一時退院でしたが、快適ネット生活が始まりました。 次回の入院からは、通信料を気にせずにスマホが使えるし、パソコンを使って作業なども出来そうでした。 翌日、また骨髄穿刺がありました。 2回目の治療の効果を確かめるためと思います。 1度治療が終わるたびに行われるのでしょう。 それが終わってしまえば、後は目立った(痛い)治療行為はなく、だいぶ気分が軽くなりました。 結果として、前回ほど熱が出たり、親知らずの回りが腫れたりという、辛い症状は少なく、白ストッキングをはかされることもなく、後2回もこの調子なら、それほど辛くなさそうだと思いました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-29 19:32
| 白血病からの復活(闘病日記)
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むずむず足は9月16日頃におさまりましたが、新たなる症状が発生しました。 それは残尿感。 その時は、点滴でおしっこが大量に出ることに加え、抗がん剤の副作用により、粘膜が弱くなってしまうことが原因かと思っていました。 あるいは、今考えると細菌感染による、一時的な膀胱炎だったのかもしれません。 夜、実際にはたまってないのですが、おしっこが漏れそうな感じがずっと続いて、寝られないという症状が数日続きました。 そのことを一番美人の看護師Kさんに伝えましたが、回診の時、先生は何も言わなかったので、どういう原因や症状だったかは推測の域を出ません。 このころ赤血球と血小板の輸血が頻繁に行われており、血液の細胞も一番少なくなっていたと思います。 9月19日、抗がん剤治療18日目、白血球の数は上昇しかけているのだけど、300ぐらいで止まっていると、先生に言われました。 また少し熱が出て、抗生剤の点滴が増えました。 お尻もまだ痛い状態でした。 9月22日には白血球が700台になりました。 そのせいか、熱が36℃台に下がりました。 こうなると、結構元気です。 この日は、地元で商店街再生の活動を一緒にしている方が、親子でお見舞いに来てくださいました。 息子さんが盛岡の高校に通っていて、会いに来たので、寄ってくださったのでした。 元気が出そうなオレンジや黄色を基調としたアレンジフラワーをお見舞いにいただきました。 ところが、看護師主任さんから、花はカビが生えたりすると細菌の温床になるので、病室のみならず受付の周辺などにも置けないと言われました。 私以外にも、このフロアには細菌感染しやすい患者さんが多いので、フロア自体に置けないということでした。 やむを得ず、持って帰っていただくことになり、心苦しく思いました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-28 19:17
| 白血病からの復活(闘病日記)
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昼食は1回目の入院よりバリエーションが豊富になったと以前書きましたが、13日はうどんが出ました。 普段、うどんが好きかというと、そうでもありませんが、この時は珍しくて嬉しかったです。 体重はだいぶ減っていたのですが、食事はほとんど完食で、それでも足りなくて彼女に買ってきてもらったものを追加で食べていました。 いわしやサバの缶詰、インスタントのスープ春雨、南部せんべいなど。 ある時発見した、寿がきやの「小さなおうどん」は、生めんで量が適度で、ちょうどニーズにあっており、重宝しました。 寿がきやというのは、東海地方では知らぬものはない、ラーメンなどのファーストフードの会社ですが、東北地方にはお店はないと思います。 でも小さなおうどんは、岩手のスーパーにも売っているんですね。 病院食も少なくはないし、それに加えて小さなおうどんなどを食べていて、運動はしなくて寝てばかりだったのに、体重は60㎏台でした。 普段は80㎏以上あって、ダイエットすると74㎏ぐらいにはなるのですが、それ以下には、なかなかなりませんでした。 しかし、入院中は65㎏前後で推移していました。 20代の前半はそれぐらいで、いくら食べても太りませんでした。 お腹も出ておらず、その頃の体型に戻って、ちょっと喜んでいたりもしました。 たぶんこれも抗がん剤の副作用なのでしょうが、そんなに悪いことではなかったですね。 (退院して半年もすると、すっかり80㎏台に戻ってしまいましたが…) 運動と言えば、同室の人が気になっていました。 一番奥の、窓側のベッドの人が、午前の回診が終わった時間ぐらいから、廊下をぐるぐると歩き回るのです。 病棟は東西に長く、南面と北面の窓側に病室がならび、その前に廊下、廊下と廊下の間にトイレや親族の控室、洗面所、シャワー室が並んでいます。 廊下の一方は無菌室や階段室に突き当り、もう一方はエレベーターのあるホールに続きます。 その間は回廊になっていて、その人はそこを運動のために何周もまわっていたのでした。 年齢は40才前後と見受けられましたが、眼光鋭く、前傾姿勢で歩き回り、なんというか気力が充実している感じでした。 入院患者さんでも、あんな人もいるんだなと思いました。 私も歩いたほうがいいかなとは思いましたが、なんとなく真似する気にはなれませんでした。 同じフロアの食堂には、よく行くようになりました。 そこには自販機とテレビ、新聞がありました。 テレビは見ませんでしたが、体調がいいときは新聞を読むようにしていました。 普段あまり新聞を読まないのですが、その頃はローカル紙と全国紙の2紙読んでいて、リテラシーが一時的に高まったため、ツイッターの投稿は社会問題についてが多いです(笑) 私も私なりに運動はしないものの、頭のほうを意識的にリハビリを行っていたような感じでしょうか。 自販機でジュースを買うこともあり、この頃にハマっていたのはサントリーの「すっきりしたトマト」でした。 (これについては、本ブログで投稿(過去の日記)しているのでよければご参照ください) 9月の半ばごろに、ちょっとした問題が発生しました。 スマートホンのデータ使用量が契約の5GBをオーバーし、速度制限がかかってしまいました。 普段であれば、速度制限がかかることはないのですが、時間があるのでスマホばかり見ていたからです。 なお、病棟にフリーwifiなどはありませんでした。 とりあえず1GB追加したのですが3日でなくなりました。 逆算すると、1ヶ月で10GB使うので、20GBのプランにすれば大丈夫そうでしたが、そろそろパソコンも使いたいという気持ちもありました。 パソコンのメールに重要な連絡が来ている可能性もあり、スマホのテザリングでは、ちょっと心もとない感じがしました。 ツイッターで知り合いに教えてもらったこともあり、とあるメーカーのポケットwifiを検討することにしました。 ネットで注文すると、郵送で届くということで簡単そうでしたし、月額は100GBのプランで4000円ぐらい、動画などを見るにも余裕だと思われました。 さらに、短期でも借りられて、解約も簡単そうだったので、それを使うことにしました。 問題は郵送が病院に届くかということでしたが、病院の住所と、病棟名、階数を書いたら、結果的には届きました。 これで存分にスマホが見られて、ついでにネット通販が使えることもわかったのでした。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-27 19:13
| 白血病からの復活(闘病日記)
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9月8日、抗がん剤投与開始から7日目、先生から白血球の数値が1000台になっていると言われました。 頭が少し痛くなり、熱がまた37.6℃になり、血培と抗生剤の追加になりました。 たぶん、細菌によって、効くものが違うのだろうと思います。 白血病そのものの治療としては、点滴の抗がん剤と、飲み薬のベサノイドだけなのですが、それらによる(特に抗がん剤による)副作用に対して、たくさんの薬が使われます。 なお、ベサノイドの服用は、9月の初めで終了しました。 副作用と言えば、またお尻が痛くなり始めました。 前は謎の突起物のようなものが出来ましたが、今回はそれはなく、しかしピーク時の痛みは同じぐらいでした。 痔というのか、この症状になると、なるべく大便をしたくないと思うけど、しないわけにはいかないジレンマに陥ります。 1回目の治療の時のように、体を洗ってもらったりすることはなくなり、肛門を見られて、薬をつけてもらうこともなくなりました。 カーテンをしめて、自分で鏡を見ながら注入型の薬を使います。 いつ看護師さんが入って来るかわからないので、タイミングを見計らって、素早くするようにしていました。 前の病室の看護師さんには、だいたい肛門を見られましたが、まだこっちの病室の看護師さんには見られていないので、出来れば見られずに済ませたいところなのです。 一方、こちらの病室に移ってから、毎日定時に聞かれることがありました。 それは食事をどれぐらい食べたかと、便の状態です。 かたい、ゆるい、どろ(けっこうゆるい)、水みたい(とてもゆるい)、みたいな表現で聞かれます。 これをうら若く美しい看護師さんに答えるのは、毎日のことながら、ちょっとした試練です。 時々、便を調べるので、トイレに設置してある、ポータブルトイレのほうにしろと言われることもあります。 その場合は、大便をポータブルトイレにして(小便を紙コップで別に受け)、終わったらナースコールをして、看護師さんに回収してもらいます。 ナースコールをしたときに、一番美人の看護師Kさんあたりが来ると、しばらく落ち込みます(笑) 病室の壁には酸素吸入器をつなぐためのコンセントのようなものがあります。 隣のベッドの人が、ときどきそれを使っているようでした。 9月11日の朝、その人が呼吸が苦しくなって、看護師さんが「Oさん、Oさん」と声をかけても返事をしなくなりました。 またしても、病室はただならぬ雰囲気に包まれました。 看護師さんや先生があわただしくやってきて、Oさんはストレッチャーで別の部屋に運ばれていきました。 私が最初に入った集中治療室に運ばれたようでした。 その後、Oさんがどうなったのかはわかりませんでした。 今まで、同室の人が危険な状態になったことが2度あり、今回で3度目でした。 だいぶ回復してきて、自分が死ぬことが考えにくくなったせいか、あるいは数メートルしか離れていない、近い位置にいた人だったせいか、少し怖くなりました。 電子書籍で読み始めた本屋大賞の本は、2017年の「蜜蜂と遠雷」に続き、2016年の「羊と鋼の森」を読み終わり、この日から2015年の「鹿の王」を読み始めました。 この本は、1冊だけだったこれまでのものと違い、全4巻で読みごたえがありました。 NHKのテレビドラマで放映されていた「精霊の守り人」の作者、上橋菜穂子さんの作品です。 精霊の守り人と同じくファンタジーで、架空の世界ながら、時代的には近代以前の中世ぐらいのイメージです。 しかし、魔法などではなく、伝染病や医学をテーマにしており、異色のファンタジーという感じでした。 たとえばコケから抗生物質を採取するなど、現代の医学に通じるものがありました。 そして、私が受けている点滴も、コケから生まれたのかと思ったり。 あとがきを読むと、上橋さんの母親が肺がんで闘病していた時の経験から着想を得て、本作品を書いたということでした。 昔はファンタジーが好きで読んでいましたが、最近はノンフィクションやエッセイ、ビジネス書、フィクションなら古典的なものを好むようになったので、入院でもしないと読むことはない本だったと思います。 今の自分が読むにピッタリで、なんだか不思議な感じがしました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-26 15:08
| 白血病からの復活(闘病日記)
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9月4日、体温を測ると37.6℃あり、ちょっとごまかしたい気持ちもありましたが、正直に看護師さんに言うと「けつばい」を取りますと言われました。 けつばいとは何かと、今検索したところ「血液培養」の略のようです。 熱が37.5℃以上になると、血液の中の細菌を調べるために採血されるのですが、それを看護師さんは「血培」と言っていたのでした。 採血というのは不思議なもので、この時胸についていたCVポートも、以前足に刺さっていたCVカテーテルも、点滴にも使えますが、吸引すると採血も出来ます。 しかし、それらがあるにもかかわらず、針を刺されることもあるのです。 入院中にイヤというほど針を刺されたので、だいぶ慣れはしましたが、以前の日記に書いた通り、基本的には苦手です。 ところが、この時は、さらに予想を上回り、腕に点滴用の針を刺され、そこから採血されました。 なぜあんな大手術でCVポートを作ったのに、腕にまで針を刺されなければならないのかと、やや不機嫌な様子が日誌に現れています。 冷静に考えれば、胸のポートだけでは点滴が受け切れないということだと思います。 足の管では(特にトリプルルーメンの管では)、かなりの量が受けられたようですが、胸はそこまでではないんですね。 その腕のところから、今後は抗生剤を1日3回投与するということになりました。 つまり何かの細菌に感染していたということだったのだと思います。 (血培による検査との前後関係がおかしいような気がしますが、ほぼ確信を得ていたということではないかと…) 抗がん剤治療4日目にしては早いような気がしましたが、やはり白血球がなくなりはじめ、感染しやすくなっていたんですね。 この日は、以前、私が主催したイベントに来てくれたことがあり、当時住んでいた家の前におじさんがいる、Kさんがお見舞いに来てくださいました。 彼女とも仲が良く、事前に情報を聞いてくださったようで、「むずむず足」に貼るための冷えピタを差し入れにいただきました。 私はそのイベントの1度しかお会いしたことがなかったのですが、病院のすぐ前の県庁に勤めているので、いつでも欲しいものがあったら言ってくださいと、とても心強いお言葉をいただきました。 しかし、冷えピタと氷枕を併用しても、寝苦しい日々が続き、午前0時をすぎないと眠れないので、昼間に寝ることが多くなりました。 昼間はむずむず足にならないようでした。 ネット調べてみると、むずむず足症候群は、抗がん剤と関係があるのかないのかわからず、新たな持病になるのだろうかと不安でしたが、2週間ほどでおさまりました。 その他、鼻水が止まらないようになったりもしました。 特に食事をしている時と、食事の後がひどくて、ティッシュを片手に持っていないと、透明な鼻水が流れ落ちてしまいます。 こちらは退院した今でも、時々、そういうことがあるので、アレルギー性鼻炎の類と思われます。 その他、地味に辛かったのは、腕にせよ、胸にせよ点滴を受ける管のところに貼ったテープです。 私はどうも子どもの頃から、かゆがりで、今でもそうなのですが、例えば化学繊維の服を着るとかゆくなります。 テープはかゆい人用に、あまり粘着力が強くなくて、かゆくないものを使ってもらいました。 それでも時々かゆくなり、カバーされているからかけなくて、辛い思いをすることがありました。 時々、我慢できずにカバーの上からかいてしまうこともありました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-25 17:11
| 白血病からの復活(闘病日記)
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9月4日、CVポートを入れるために切開したところの抜糸がありました。 研修医の先生が抜糸しましたが、結構痛かったです。 抗がん剤投与3日目で、体調がやや低調になりはじめましたが、食欲はあり、病院食だけでは足りなくて、イワシの缶詰を食べたりしていました。 食事のメニューは1回目の治療の時よりバリエーションが豊富になっていましたが、この日と、翌日の朝食はおかずが玉子豆腐だけでした。 病院のサイクルは9時消灯、5時起床でした。 朝は看護師さんに優しく起こされ、まだはっきり覚醒してないぐらいのタイミングで、採血の針を刺されたりします。 食事が7時ごろに届き、朝食を食べると薬を飲んで、歯磨きをします。 その後は、先生の回診があります。 そして、同じ時間に週1回、テレビドラマ「白い巨塔」でおなじみの「教授回診」があります。 普段の回診では先生と研修医さんが4,5名で来られますが、教授回診は10名以上でやってきます。 ベテランの看護師さんが事前に各病室に触れ回り、患者もなんとなく居住まいを正したりします。 教授の先生は、胸に聴診器をあて、担当の先生の説明を聞いて、患者にひとことコメントします。 全員を診るので、普通の回診より短いです。 お昼は12時すぎに昼食が届き、夕方の回診が16時ごろ、夕食が18時すぎにあります。 食事の都度、薬を飲んで、歯磨きをします。 夕食が終わると、特にすることもなく、本を読んだり、音楽を聞いたりしていました。 この時間が一番、平穏でした。 テレビはプリペイドカードで見ることが出来るのですが、私はあまり見ませんでした。 シャワーは1人20分ぐらいだったと思いますが、毎朝、スケジュール表に自分で名前を書いて、予約します。 シャワーに入る前には、タイミングよくナースコールして、CVポートのところなどを、濡れないようにビニールのカバーをしてもらいます。 それが遅れると時間が短くなってしまいます。 長期間の入院は、退屈でしょうがないのではないかと思いましたが、イベントが適当な間隔であるので、まとまった時間はあまりなく、それなりに忙しいような感じがします。 毎日薬を自分で袋から出して、各食事の後の分、透明のカップに入れ、毎日看護師さんがチェックするという「仕事」もありました。 忘れていると看護師さんに「宮崎さん、まだ薬セットしてませんね…」と言われます。 また、看護師さんが朝晩、血圧を測りに来る前に、体重を測り、体温を測っておく必要もありました。 入院が長い患者さんほど、そのタイミングが完璧でした。 私はまだこの頃は、看護師さんに指摘されて「ああ、すいません…」と謝るばかりでした。 おそらく少しでも自分で何かをさせることが、リハビリのような目的なのではないかと思います。 その他、採尿のカップを前日に渡されると、朝起きて食事の時間までに、カップにおしっこを入れて、看護師室の前の机まで置きに行きます。 余談ですが、退院してから間もない12月の忘年会で、この採尿カップにそっくりな紙コップが出てきて、あまりのタイムリーさに笑ってしまいました。 パーティーグッズで販売されているんですね。 採尿のカップには少量を入れて、残りは大きいカップに入れ、自分の名前を書いたビニール袋に入れなければならないので、普通の排泄行為と違い、気が抜けません。 そんなサイクルで、地固め治療の約3ケ月を過ごしました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-24 23:34
| 白血病からの復活(闘病日記)
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思い出しながら書いているので、1回目の治療中にしていたことで、忘れていたこともあるのですが、ある段階からポータブルトイレやしびんの使用はなくなりました。 そして晴れて自力でトイレに行けるようになったのですが、必ずしも自由というわけではありませんでした。 おしっこを一旦大きめの紙コップに出して、自分の名前の書いたビニール袋に入れないといけないのです。 その紙コップが1つで入ればいいのですが、1つにおさまり切れずに2つ必要な時もあったりして、気が抜けません。 「おしっこの採取は今日まででいいです」と言われた時は、本当にスッキリしました。 それもつかの間、再入院して2日目の9月2日、抗がん剤の点滴がはじまり、さっそくおしっこ採取も始まりました。 抗がん剤だけではなく、おしっこを促進する、生食塩水のようなものも大量に投与されるので、またしばらくトイレが近くなる日々です。 最初にS先生から言われていましたが、抗がん剤の色と同じ青いおしっこが出ました。 1回目の治療ではオレンジ色でしたが、同じものを使うと、白血病細胞に耐性が出来る可能性があるので、種類の違うものを使うということでした。 昼間はともかくとして、夜中にも起きないといけないのがつらいです。 この日、1回目の入院の時の病室から、大部屋にうつされました。 大部屋は、7人の部屋で私は入口から入ってすぐの、流し台の前でした。 流し台は共有なので、他の人が使いに来るとちょっと気になるのですが、考えようによっては1人分のスペースに加えて、共有スペースもほとんどの時間は占有のような感じなので、まぁいいかなと思いました。 若くてかわいい看護師Aさんの担当エリアからは外れ、美人でドジっ子の看護師Kさんの担当エリアになりました。 ドングリみたいなベサノイドの服用は、この日から終了になりました。 地固め治療では、1回目の時のような口内炎や親知らずの回りの腫れに悩まされることはありませんでした。 しかし、新たなる副作用が発生します。 足がほてって、むずがゆくなるのです。 抗がん剤治療の2日目から、それが発生しました。 特に夜眠りについた直後に出やすく、そうなるとしばらく眠ることが出来なくなります。 O先生にそれを言うと「むずむず足症候群」ではないかと言いました。 あまりにも、そのまんまな病名なので、最初は冗談なのかと思いました。 しかし、どうやら本当にそういう名前の疾患があるようですね。 足の甲がほてるので、冷えピタを貼って寝たりしましたが、すぐに効かなくなり、まさに焼け石に水という感じでした。 氷枕を看護師さんに持ってきてもらって、足に当てて寝たりしました。 さらに足や腕が乾燥するようになり、ヒルドイトという塗り薬を処方されました。 正直、最初はあまり使っていなかったのですが、ある時、テレビで病気でない人が美容目的で処方箋をもらって大量に購入しているのが問題になっているという話を聞き、それからなんとなく使うようになりました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-23 16:46
| 白血病からの復活(闘病日記)
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一風堂でラーメンを食べた後は、彼女の運転で釜石の家に帰りました。 さまざまな薬を持たされましたが、飲み薬などだけでなく、手術したCVポートのシャワーカバーや、消毒液もありました。 熱が上がったら飲むようにと、抗生物質などもありました。 どんぐりみたいな特効薬「ベサノイド」も、小さいビニール袋に小分けになっていました。 シャワーを浴びる前に、CVポートの手術跡に貼っているカバーをはがすと、縫ったところから血がまだ出ていました。 大丈夫かな?と思いつつ、防水のカバーをしてシャワーを浴びました。 寝る前に熱を測ったところ、熱はなかったので、抗生物質は飲みませんでした。 その後、早めにベッドで就寝。 あの時の、家でシャワーに入ったり、ベッドで寝たりする時の違和感は、言葉では表現しにくい感じですが、なんだか忘れられません。 すっかり病院での生活に慣れてしまっていたからでしょう。 翌日8月31日は、けっこうたくさんの人に会いました。 お見舞いに来てくれた人、仕事の話で来た人、こちらが会いに行った人。 午前は彼女が人を集めてDIYや、電気工事などを進めてくれていたシェアオフィスで、お見舞いというか会いに来てくださった方、2人と会いました。 その後、銀行に行って入院費を振込み。 入院費用というのは、毎月請求が来る形で10万円から15万円の間という感じでした。 2日前にお見舞いに来てくださったIさんが、銀行の近くの公園でキッチンカーで出店していたので、挨拶に行ってコーヒーも購入しました。 コーヒーを飲んだのも久しぶりでした。 その後、盛岡で買えなかった帽子を、セカンドストリートで購入。 お昼ご飯に、店舗設計に少し関わっていたのだけど、入院してしまってオープンに顔を出せなかったお店に行くと、マスターは私を見てもそうとわからなかったようで、普通に接客されました。 帽子をかぶってマスクをしていたので、わからなかったようです。 体重も普段より10㎏近く減っていたせいもあったかもしれません。 結局、一時退院中の食事で一番おいしかったのは、こちらのパスタでした。 先生にあまり食べないほうがいいと言われていたサラダもセットでついていましたが、まぁ大丈夫だろうと思って食べてしまいました。 午後はシェアオフィスに行き、入居されている地域おこし協力隊と、事務局の方に会いました。 1日だけでしたが、多くの人に会ったために、かなり健常者の感覚に戻った気がしました。 9月1日、朝早く彼女に送ってもらい、釜石を出ました。 お昼を病院の近くのそばやさんで食べました。 私はかつ丼にしました。 ちなみに、私が好きなものを順にあげるとしたら、ラーメン、カレー、かつ丼というところになるかと思います。 我ながら子どもっぽい嗜好ではありますが、それがモロに出た結果という感じでした。 午後一番で病院に行くと、すぐに患者衣に着替えCVポートに点滴のための針を刺されました。 一度は戻った健常者の感覚は、たちまち病人モードになりました。 これから、地固め治療が始まるのでした。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-21 12:02
| 白血病からの復活(闘病日記)
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当たり前と言えば当たり前ですが、病院というのは少しもゆっくりさせてくれるところではないようで、午後の回診で「明後日(8月30日(水))から一時退院するように」と言われました。 私は一時退院というのは、1週間ぐらいはあると思っていたのですが、2泊3日で金曜日の午前には、再入院をするようにということでした。 盛岡から釜石は車で2時間以上かかるので、実質は中1日だけのような感じです。 とはいえ、退院は嬉しいことでした。 まず頭に浮かんだのは「なにを食べようか」ということ。 そう、吐き気地獄のこともあったため、すでにお忘れかもしれませんが、入院してから最も恋い焦がれたのは、病院食でない普通の食事でした。 いろいろ食べたいものを思い浮かべたのですが、最終的に一つに収束しました。 それはラーメン。 その時から、スマホで盛岡のラーメンの店を検索しはじめました。 しかし、調べてみると盛岡のラーメンは、どうも私が思っているラーメンとイメージが違いました。 なんというか昔風のラーメンのような感じで、地元の三重や名古屋などにあるラーメン屋や、チェーン店となにかが違います。 もしかすると、西日本と東日本でラーメン文化が違うのかも。 結局、チェーン店ではあるけど、博多ラーメンの一風堂しかないかなと思いました。 温泉にも行きたいと思いましたが、S先生からは「肺炎になった症例がいくつかあるからダメ」と言われました。 お酒は聞くまでもなくダメだと思ったし、飲みたいとも思いませんでしたが、再入院した時、O先生に「お酒は飲みましたか?」と聞かれたので、ダメではなかったようです。 夕方、シェアオフィスの1階でコーヒーショップをはじめませんかと声をかけていた、Iさんがお見舞いに来てくれました。 Iさんはけっこう長いこと話をして、1時間以上いましたが、夕食が来たのでお開きになりました。 お見舞いに、ドリップコーヒーをたくさんいただいたのですが、その時は、コーヒーを飲んでもいいとは思ってなかったので、どうするか迷いました。 Iさんは「自分で飲めなければ看護師さんにでも」と言いましたが、若い看護師さんがドリップコーヒーを淹れて飲むイメージが出来ず、O先生に「みなさんで飲んでください」と渡しました。 もしかすると遠慮するかと思いましたが、O先生は喜んで持っていかれました。 先生たちは、コーヒーはよく飲むということでした。 夜勤もありますしね。 1回目の治療の時は吐き気に悩まされていたので、コーヒーを飲もうなどと思いませんでしたが、2回目以降の治療ではインスタントコーヒーが必需品になりました。 私、もともとカフェイン中毒なのです… なので、あげなければよかったと、後でちょっと思いました(笑) 29日の早朝、北朝鮮からミサイルが飛んだというエリアメールが来て、一度目を覚ましました。 病院は鉄筋コンクリートなので、ミサイルの直撃がないかぎり壊れないだろう、でも爆風でガラスが割れて怪我をするかもと思いながら、そのまま寝てしまいました。 CVポートの傷は、翌日になっても痛くて、血もまだじわじわ出てきているようでした。 必要なくなった足の付け根のCVカテーテルのほうは、午前中に抜かれることになりました。 この日は点滴もなく、CVポートが痛いことをのぞけば、比較的平穏なため読書が進みました。 27日にkindleで買った「蜜蜂と遠雷」は、この日に読んでしまいました。 この調子だと、入院中、本が何冊必要なのだろうかと思ったりしました。 30日は朝、採血がありましたが、それ以外の医療行為はなく、午後、ついに一時退院でした。 めんどうなのは、荷物を全部持って帰らないといけないということでした。 彼女が迎えに来てくれて、1階に置いてある買い物カートのようなものも使い、車に乗せました。 洋服を着るのも久しぶりです。 エレベーターに乗るまで、お世話になった看護師さんが見送りしてくれました。 若くてかわいい看護師Aさんは、なぜか「うふふ、うふふ」と、他の看護師さんの後ろに、子どものように顔を隠しながら笑っていました。 たぶん重症だった患者が、回復して一時とはいえ、退院していくのが嬉しかったのかなと思います。 Aさんの担当エリアは、重病エリアなので。 東北ではちょっと期間が違うようですが、地元の三重県では、小中学校の夏休みがだいたい40日でした。 ほぼ同じだけの期間、病院のベッドで過ごしたことになります。 とりあえず、頭を直射日光から守り、かつ会う人に出来るだけショックを与えないために、帽子を買う必要があると思い、百貨店のカワトクや街を歩いて探しました。 しかし、帽子屋さんがあいていなかったりして、途中で息切れ。 なにしろ、約40日の間、ベッドからトイレかシャワー室までの10mぐらいしか歩かなかったので。 見た目にも、ふくらはぎが細くなり、筋肉がほとんどなくなった感じでした。 これ以上歩くのはしんどいと、帽子はあきらめました。 その後、気になっていた盛岡のシェアオフィスに連れて行ってもらい、しばし見学。 夕食は、念願のラーメンを食べに行きました。 予定通りカワトクの前の一風堂へ。 期待が大きすぎたせいか、味覚がおかしくなっているせいか、思ったほどの感動はありませんでした。 まるで、芥川龍之介の短編小説「芋粥」のようだと思いました。 …といっても、実際に芋粥を読んだわけではなく、高校の時、国語の先生が教えてくれた、あらすじしか知りませんが… 彼女が「いきなり、そんなに食べるの!?」と驚くぐらい、量はそこそこ食べました。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-19 16:59
| 白血病からの復活(闘病日記)
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親知らずを抜いた25日はいろいろあった日で、7階のフロアで一番美人と私が密かに思っていた、看護師Kさんが応援でやってきて、初めて見ました。 Kさんは、その時いた部屋の担当ではなく、2回目以降の治療を受けた部屋の担当で、それからはよく会うようになります。 美人なのですが、ちょっとドジっ子です。 机の上にあった私の歯ブラシを、床に落してしまったのですが、水で洗って「はい」と渡すので、こっそり捨てました。 なぜなら、看護主任さんから、床はばい菌だらけなので、落ちたものを触ってはいけないと言われていたからです。 口に入る部分が床についたので、Kさんには申し訳ないけれど、大事を取ることにしたのでした。 ちなみに、カバンなども床に置いてはいけないと言われ、彼女が棚を買ってきてくれて、その上に置いていました。 歯ブラシは粘膜を傷つけたり、歯茎から血が出るといけないので、普段は使わない「やわらかい」タイプでした。 入院中、歯磨きは三食後、毎回していました。 それなのになぜか歯垢がすぐにたまりました。 味覚もちょっとにぶくなっているように思い、四六時中ヘンな味がしました。 歯みがきの水は彼女が買ってきてくれるペットボトルのものを使い、うがいした水はガーグルベースという器に出していました。 看護師さんが気付くと持って行って洗ってくれるのですが、今にして思うと、ある段階から「自分でやれ!」と思われていたような気がします。 以前にも書きましたが、重症のうちは看護師さんが、下の世話までなにもかもやってくれるのですが、治ってくると当たり前ですが、自力でしなければなりません。 しかし、人間甘やかされるとどこまでも甘えてしまうもので、一度経験すると自分で自分のことが出来なくなってしまいます。 おそろしいものです。 27日、抗がん剤治療35日目、吐き気もだいぶおさまってきて、1日寝ているのを退屈に感じるようになりました。 電子書籍で本を読もうと思い、2017年本屋大賞の「蜜蜂と遠雷」をKindleで購入しました。 本屋さんが選ぶ本屋大賞は外れがないと、ホリエモンこと堀江貴文さんの本に書いてあったので、新しいものから順番にさかのぼって読んでいこうと思ったのでした。 入院してから1ヶ月以上、ツイッターやフェイスブックはほとんど見ていないし、本を読もうという気にもならなかったことを考えると、この時点では、かなり復調していたのでしょう。 翌日28日、やはり、この病院はいつも突然のようです。 吐き気地獄も終わりが見え、少なくとも今日一日ぐらい平穏な日を送れるだろう思っていると、朝の回診でO先生が「11:30からCVポートの手術をします」と言うのです。 まさに青天の霹靂。 これが、親知らずを抜くどころでない、なかなかの大手術でした。 (ガンの摘出手術などをした人には怒られそうですが、私は盲腸の手術もしたことがないので…) なぜかレントゲン科に行くように言われ、歩いてレントゲン科に行きました。 「歩いて」というのは、以前はどこか他の病棟に行くときは、車椅子を看護助手の方が押してくれたのですが、だいぶ直ってきたので、自力で行くようになっていたのでした。 レントゲンを撮るために、何度か行ったことがあったエリアの奥に、手術室がありました。 顔にまでかぶさるように、例の「安全地帯」のビニールのようなものをかけられ、腕に血圧計を巻かれ、手術がスタート。 血小板の数が十分にあるか、確認するような会話も聞こえました。 抗がん剤治療をすると、血小板も少なくなるためで、あまりに少ないと手術が出来ないのだと思います。 右の胸の上というか、鎖骨の少し下のあたりに、「ちょっとチクッとしますよー」と局所麻酔を打たれました。 いつも思うのですが、麻酔注射はちょっとチクッとではなく、けっこう痛いです。 これもいつも通り「ここは痛いですか」と聞かれ、チクチクと刺されて「痛いです」というと、「ではもう少し注射します」ということを繰り返します。 痛くなくなると、「電気メスを貸してください」という声が聞こえ、皮膚を切開されました。 血圧は自動的に空気が入って締め付けたり、空気が抜けたりして、連続で血圧を測定しているようでした。 手術は思ったより時間がかかり、ポートをいい位置に持っていくために、ぐいぐい押したりするのが、なんだか無理やりのような気がして不安でした。 血が背中まで、たらたらと流れているのも感じて、これ以上流れないよう、早く終わることを祈りました。 途中「大丈夫ですか?」と聞かれたりしましたが、しばらくすると、取り付けが成功したようで、縫合に入りました。 何回か針と糸で縫っているらしき感覚があり「血が止まらない」という声が聞こえてきました。 もう一人の先生が、もっと何回も縫うようにと言いました。 やはり血小板の数が少なかったのでしょうか。 「いつもより余計に縫っています」(古い?)という感じの縫合も終わり、背中に流れた血もぬぐわれ、手術は終了。 1時間ぐらいかかったでしょうか。 「今日はバンザイはしないでください」と言われました。 病室に戻ると昼食が置いてあり、右腕を動かすと手術したところが痛いので、あまり動かせず、苦労して食べました。 バンザイどころか、水平まで腕を上げるのも無理でした。 食事が終わると、若くてかわいい看護師Aさんが来て「痛くないですか」と聞かれ、「痛いです」と答えたのに、これから歯みがきは流しのところへ行って、自分でするようにと言われました。 長く親しんだ、ガーグルベースは回収されました。 CVポートの手術は病気の治療ではないので、いたわられないようでした。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-11-18 17:33
| 白血病からの復活(闘病日記)
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