建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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![]() 昨日は国道45号線北上の旅と書きましたが、龍泉洞から次の目的地は、よく考えてみると、国道45号線ではありませんでした(汗) 龍泉洞から次の目的地、久慈市の「もぐらんぴあ」を入力すると、国道に戻らずに直接久慈方面に向かう、県道7号線が示されたので、そちらを通りました。 あとでわかりましたが、その道も去年の台風10号で通れなくなっていたようなのですが、復旧していました。 もぐらんぴあは、日本で唯一の地下水族館です。 東日本大震災で被災し、ほとんどの魚や水生生物が流されてしまったそうで、施設自体も閉鎖されていました。 その後、別の場所で営業を再開していたようですが、去年、元の場所に復旧され、オープンしました。 久慈市は同じ岩手県の沿岸ではあるのですが、釜石からは150km以上離れています。 それなので、なかなか行くことが出来なかったのですが、このGWを利用して行ってみることにしたのでした。 場所はまちなかから離れた、石油タンクなどが並ぶ港の近くで、もともとは石油貯蔵施設のトンネルだったところを利用しているそうです。 新しく出来た建物は、津波の痕跡もなく綺麗になっていましたが、トンネルだったと思われる内部にはいると津波の高さを記したラインが。 それでも、ウミガメの「かめ吉」など、生き残った生き物もいたらしく、目玉である水槽トンネルを元気に泳いでいました。 特徴的だと思ったのは、魚やヒトデなどに「触れる」スペースがいくつかあるところで、餌をあげることが出来たり、「ドクターフィッシュ」と呼ばれる、ガラ・ルファの体験をすることも出来ます。 全国から支援で送られた魚たちもいて、三重県の熊野灘からやってきた魚もいました。 (そういえば、以前にニュースで見たような気がします) 水槽の中にはファインディングニモで有名になったカクレクマノミなどのかわいい魚が泳いでいました。 これはなかなか嬉しいリターンですね。 魚や水槽の数は、それほど多くないのですが、ハートウォーミングな感じで、子ども連れのご家族には、おすすめですね。 なんだかほっこりした気持ちになりました~ ▲
by 3839ttsy
| 2017-05-07 21:35
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![]() ここは釜石市の箱崎というところです。 先日の日記にも少し登場しましたが、半島部にある集落の一つです。 どうやら防潮堤が建設中でしょうか。 手前にある以前のものと比べると、高さが倍ぐらいになりそうな感じです。 どのようなものが出来るのか、この時点ではわかりませんが、宮古市田老の「万里の長城」と言われた防潮堤と同じようなタイプでしょうか。 田老の防潮堤は、昔作られたものはそのまま残ったそうですが、新しいものが壊れたと、ネット記事で見ました。 壊れたところは、表面を覆っているブロックが流されてしまって、中の土の部分も崩壊していました。 防潮堤にも種類があって、コンクリートの壁のようなものと、川の土手を護岸したようなタイプ(?)があるようです。 どういう基準で選択しているのかは、よくわかりません。 宅地のかさ上げ造成工事もだんだんと姿が見えてきましたが、防潮堤や水門も、各地で建設が進んできているようです。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-04-24 20:50
| 東日本大震災
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![]() これは大槌町の浪板というところです。 最近、この周辺が盛土造成されて、設計させていただいた現場が始まっています。 以前、この近くに和菓子のお店があって、移転したと聞いたのですが、どこにあるのかわかりませんでした。 山の傾斜地にあり、工事をしていたこともあって、回り道をしないと行けないような感じでした。 工事が終わったので「もしかして」と当たりをつけていってみたら、国道から近くにあって、アクセスしやすいところにありました。 …が、今日の日記は、そのお店の話題ではありません。 そこに行く途中の、写真の踏切です。 ここはかつてJR山田線が走っていた線路で、震災後はこの場所を含む、釜石から宮古までの区間が運休のままになっていました。 何回か日記に書いたことがあるので、詳しい経緯は省略しますが、それが去年、三陸鉄道の運営で再開することに決まり、工事が始まっていました。 去年までは、線路に草が生えて、廃線のような雰囲気が漂っていたのですが、和菓子のお店に行くために、そこを横断しようとしたら今にも列車が走ってきそうな雰囲気に、思わず一旦停止してしまいました。 …と、こういうことを書くと、劇団もしょこむと釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクトメンバーのHさんがコメントをしそうなので、追記しますが(笑)釜石のあたりでも工事している光景が見られるようになりました。 実はHさんは去年の秋ごろから、鉄道工事の仕事をされているんですね。 やはり「なんでも出来る男」です。 そんな風にして、あちこちで、線路が出来てきていて、いよいよ運行再開の目途が立ってきた雰囲気です。 やや突貫工事の様相もあるのか(?)Sさんがお疲れで心配ではあるのですが、再開はやはり楽しみです。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-03-17 18:54
| 東日本大震災
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![]() 釜石にはNEXT釜石という有志のグループがあります。 私はこれまであまり関わったことがなかったのですが、昨日初めてお声を掛けていただきました。 NEXT釜石のメンバーに、東京大学の先生がいらっしゃるのですが、その先生が勉強会を開いていて、そこに招かれました。 経緯を書くと長くなるので省略しますが、私が釜石の仲見世で推進しようと思っている「リノベーションまちづくり」について、話してほしいということでした。 しかし私は講演者にしては実績がありません。 ではなぜ声がかかったかというと、リノベーション界をリードする建築家の嶋田洋平さんのかわりをしてほしいということだったのでした。 1つは同業であること、そして同氏の著書「ぼくらのリノベーションまちづくり」を愛読していたからです。 もしかすると、少し見た目が似ているところもあったかもしれませんが、それは言われてはいません(笑) 少し荷が重いと思い、嶋田さんやそのお仲間のみなさんが主催している、リノベーションスクールに参加したことのある、市役所のTさんにお知恵をかりつつ、原稿数枚をもって20分の発表(?)にのぞみました。 先月末に劇団もしょこむで役者デビューをしたことは関係あるかないかわかりませんが「期待した以上のなりきりぶりだった」と先生に評価をいただきました(笑) Tさんにいただいた「黄色い服を着て行ったほうがいい」というアドバイスが功をそうしたでしょうか。 嶋田さんは写真などを見ていると、服とか帽子など、黄色を身に着けていることが多いんですね。 件の本も、黄色い装丁でした。 ちなみになぜリノベーションまちづくりの話を、勉強会のテーマにしたかというと、釜石の復興について議論するためでした。 私は震災が起こる前までは、嶋田さんと同じように「日本に新築はなくなる」と考えていました。 しかし、震災が起こり、現地に立つと「また町を作り直さなければならない」と思いました。 つまり建物を新築する必要があると思ったのでした。 それがきっかけで、釜石に来ることになったのですが、その新築について改めて考え直す必要があると、先生は考えられたようです。 私ももともと、復興とリノベーションをわけて考えていたところがありましたが、今回、嶋田さんの思考に出来るだけなりきって考えることで、決して別々のことではないのだなと感じました。 私の発表の後は、NEXT釜石の方の発表があり、その後討論会になりました。 釜石に来て、まちづくりについて討論する機会は、よく考えてみると一度もありませんでした。 それをしたからといって、私に釜石のまちになにか影響を与えることが出来るとも思えませんが、なにかとても有意義な時間をすごさせていただいたような気がしました。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-03-14 21:06
| 東日本大震災
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![]() 釜石に住むようになって間もなく5年になりますが、この日だけは釜石の人でないことを強く感じます。 地元の方や、出身の方の親しい人を失った悲しみ、あの時の思い、地縁もない私には決して思い出したり実感することは出来ません。 また、被災した方にとっては、これからが辛く苦しい日々でもあったと思います。 何も語らず、静かに息をひそめていたい気持ちもありますが、ブログは毎日書くことにしているし、実際には息をひそめているのも難しいものです。 年度末で多忙なこともあり、事務所で仕事をしていたのですが、ふと窓の外を見ると、甲子川でなんらかのセレモニーが行われているようでした。 お経のようなものも聞こえます。 少しだけ見に行くと、どうやらこれから精霊流しが行われるようでした。 間もなく色とりどりの灯篭が川に流されるという時、雪が降り出しました。 あの時もこんな風に雪が降ったのでしょうか。 それとも、もっとたくさん降って、寒かったのでしょうか。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-03-11 18:20
| 東日本大震災
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![]() 震災があってから6年、仮設で運営されていた、釜石の唐丹小中学校の本設の建物がついに完成したそうですが、まだ見に行けていません。 同じ設計者、乾久美子さんの設計した建物が大槌にもあって、そちらは時々チェックしていました。 最近、大槌の現場が多いのですが、複数の現場を回るときに、時間が少しあまったりするので。 昨日見に行ったところ、どうやら完成したようでした。 東日本大震災物故者納骨堂です。 大きさとしては決して大きくはないですが、建物自体がモニュメンタルな感じで、なかなか難易度の高い工事だったようです。 たまたま、同じ工事業者さんの別の現場を監理しているので、少し話には聞いていたりしました。 花が置いてあったので、完成式典があったのでしょうか。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-02-23 18:54
| 東日本大震災
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釜石から宮古までの区間の線路が、東日本大震災の津波で流され、それ以降、鉄道がストップしています。 もともとJRの路線だったのですが、赤字だったため再開をしないという方針のようで、しばらく手つかずのままでした。 結局、JRではなく、三陸鉄道が引き継ぐことに決まり、去年から工事が始まるということでした。 それ以降、各地で復旧工事が行われていると思うのですが、枕木を敷いてレールを引くという、いかにも線路を作っている感じの現場を見て、心を動かされ、近くのコンビニに車を停めて、写真を撮ってしまいました。 ここは宮古市の津軽石川の河口に近いあたりです。 知らない間に、着々と工事が進んでいるんですね。 再開が待ち遠しいですね~ ▲
by 3839ttsy
| 2017-02-09 18:10
| 東日本大震災
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![]() いろいろなことを物語っている、大槌町の高台から見た風景。 ここは中心地にある城山というところで、復興の工事の進み具合が一望できるので、FBなどに定期的にここからの風景をアップしている人も多いです。 大槌ではあちこちで、かさあげした土地の造成が完了し、家が建ち始めています。 今年度は釜石より大槌の仕事が多く、足を運ぶ機会が増えましたが、これまで遅々として進まないように見えた土木工事が、みるみるうちに出来上がってきているように感じます。 ![]() 乾久美子さんという建築家の設計ですが、なんというか納骨堂という言葉のイメージに当てはまらないような形ですね。 なんらかのデザインコンセプトがあるのだと思いますが、なぜこのような形になったのか気になるところです。 ちょっと古代の雰囲気をかもしているような気もしますね。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-01-10 21:35
| 東日本大震災
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![]() 盛土による造成が各地で完成に近づいています。 それに伴い、そういった場所での設計の仕事も出てきました。 釜石市や大槌町などで、仕事をさせていただいて、初めての体験がいろいろありました。 そのうちの一つが、敷地がよくわからないところに建物を設計することです。 地元のほうでこれまでしてきた仕事は、境界杭があるか、それがないとしても隣地の状況から外形がわかり、地盤の高さもだいたいそのままのところに建物を設計してきました。 それがわからないとしても、少なくとも敷地に接する道路はある状態でした。 ところが、復興の工事では道路もまだなく、境界杭もない、地図を見ても昔の建物しか載っていない(現地に新しい建物があっても)、造成前で高さも全くわからないようなところに、設計をすることが少なからずあります。 手掛かりと言えば、地図には等高線で表現してある、山の地形ぐらいであったり。 先月プロポーザルの設計をしていて、現地を見に行ったものの、まだ造成がほとんど未着手で、30分ぐらいウロウロして、結局、イマイチ敷地を特定できなかったことも^^; 今日は今月から始まる仕事の敷地を見に行きましたが、やはり同じような状態でした。 現況は道路が本設ではなく、迂回した仮設の状態になっており、与えられた付近見取り図と、ずいぶん違う状態になっているようで、それを理解するのに、またしても時間がかかりました。 土地全体をかさ上げするには、道路ももちろんかさ上げしないといけないのですが、通行止めにするわけにはいかないので、横にずらして、元の場所を盛土し、そこにまた戻すという工程で行います。 それだけならまだ単純ではあるのですが、どういうわけか2回、3回と位置が変わり、ついに元がどうであったのか、全くわからなくなるのです。 逆に言うと、途中の過程では、完成がどういう風になるのか、想像もつきません。 もちろん図面はあるのでしょうが、私は土木工事の専門ではなく、建築単体の敷地よりも、一般的にスケールも大きいので、図面を見てもピンと来なかったりします。 ましてや平面的だけでなく、立体的に変化するとなると、もうお手上げです^^; そういうところに、完成をイメージして、建物をデザインするのは、なかなか難しいですね。 今回「たぶんここだろうな」と目ぼしをつけたところは、もし正解なら、地盤の高さは出ているようですが、その場所であっているのかどうかが、イマイチ自信がありませんでした。 そんな感じで、まだ慣れませんが、これからさらに、そういう案件が多くなるのだろうなと思います。 釜石(と大槌)で、いろいろ経験させていただいておりますm(_ _)m ▲
by 3839ttsy
| 2016-10-11 15:20
| 東日本大震災
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![]() 建築物ではありませんが、素晴らしいお仕事に関わらせていただきました。 以前の日記に書いた、お隣の大槌町の小中一貫教育校、大槌学園の完成に合わせて、農林中央金庫さんと釜石地方森林組合さんから、テーブルとイスが贈呈されました。 釜石地方森林組合さんのご依頼で、そのデザインをさせていただきました。 再建される学校に関わることができたのは、この上なく光栄なことでした。 建物そのものを設計させていただくのは、規模が大きいだけになかなか難しいことで、時期的にも、もうあきらめていたのですが、思いがけないことがあるものです。 ご依頼いただき、本当にありがとうございました。 大槌町産の杉を、県内の工場で集成材に加工し、家具に組み立てて納入という、地産地消型の製品です。 こういうことも、個人的には初めてです。 いいこととは思っても、今の日本のシステムでは意外に難しいのです。 森林組合さんの取り組み、本当に素晴らしいですね。 デザインとしては、大槌のシンボルとも言える「ひょっこりひょうたん島」をイメージしています。 大槌湾には蓬莱島という小さな島があるのですが、かつて井上ひさしさんがこの辺りに住んでいたこともあり、形が似ていることから、ひょっこりひょうたん島のモデルと言われています。 これには諸説あるので、あまり深入りはしませんが^^;大槌町ではひょうたん島をモチーフにしたものが多いし、時報の音楽もひょっこりひょうたん島のテーマ曲だったりして、前面に出している感じなのです。 ただ、ひょうたん島そのもののシルエットにすると、使いにくくなってしまうので、なんとなくそれをほうふつさせるような形にしています。 厚めの集成材をガッチリと組んで、長持ちするようにしていますが、見た目は、角を全て丸く面とって、こどもが角にぶつかってけがをしにくく、やわらかい雰囲気になるようにしました。 また、周囲もやはり、地元産の木をふんだんに使った内装なので、なじんでいるように思います。 大槌学園は間もなく開校ということで、震災後から仮設校舎に通っていたこどもたちに喜んでいただけると嬉しいです。 ▲
by 3839ttsy
| 2016-09-22 22:50
| 東日本大震災
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