建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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これは、そのビジョンを掲げ始めたときに、依頼された住宅設計についてのお話です。 クライアントは、もともと当時所長であった父の知り合いで、社屋と息子さんの住居の兼用住宅を設計させていただいたことのある、Iさん。 息子さんのIjrさんのほうは、私と知り合いだったので、社屋兼用住宅は、私が設計担当することになりました。 IさんとIjrさん、そしてIjrさんの奥さん、それぞれに主張が強いタイプで、設計の打合せでは、やや険悪な雰囲気になることもありました。 工事中には、Iさんが外壁の張り方が気に入らないと言って、工事業者さんに貼り直しをさせたこともありました。 でも、そうやってこだわって作られた建物は、自分でいうのもなんですが、とても素敵なものになりました。 Iさんは、その社屋の近くの木造住宅に住んでいたのですが、5年後に東日本大震災がおこって、その家が津波ハザードマップの浸水区域に入っていたため、生家のあった内陸部の地区に家を建てて住むことにしました。 そして、社屋のほうの使い心地がよいということで、また私に設計を依頼してくださいました。 その前の年に、父は急病で他界して、以前は仕事の大半は父が取ってきていたため、仕事が少なくなっているところだったので、大変ありがたいことでした。 Iさんと奥様の要望と、それまでに蓄積された自分のノウハウを盛り込んで、そして何よりも「幸せのデザイン」を心がけて、設計を行いました。 これは力を入れすぎて設計するとありがちなことですが、設計図が完成し、見積もりを取ると予算をオーバーしてしまいました。 すると、普通はそんなことはあり得ないのですが、施工業者は私の書いた図面を、安くなるように描き直して、見積もりを持ってきました。 私は腹が立ちましたが、予算オーバーの設計をしてしまっているので、何も言えませんでした。 すると、Iさんは「宮崎さんの描いてくれた図面で建てたいんです」と言ってくださり、その図面を却下しました。 なんともありがたく、設計者冥利に尽きるお言葉でした。 その後、予算を合わせるために、気に入っていただいている部分は残しつつ、設計の見直しを行いました。 2回目の見積もりで、ようやく折り合いがつき、工事が決まりました。 Iさんは厳しいところや、難しいところもある人で、工事中は、施工業者との折り合いをつけたり、設計意図から外れる変更指示があって「このほうがいいのです」と説得したりする場面もありました。 現場に足を運ぶ回数は、平均よりも多かったかもしれません。 それでも、なんとか大きな問題もなく、新しい家が完成。 Iさんも奥さんも、とてもお喜びでした。 1年後、異常がないか点検に伺ったときも、仕事中だったIさんは、わざわざ駆けつけてくださって「すごくいい家で、よろこんでいます。ありがとう」とおっしゃいました。 点検の結果は、問題はありませんでした。 周りの庭は、ご夫婦で手入れをされていて、なんだか夢のような風景になっていました。 その後、私は岩手県で東日本大震災の復旧工事などの仕事で、岩手にいることが多くなりました。 完成から約7年後の今年、Iさんから年賀状が届きました。 毎年いただいてはいたのですが、今年は直筆でコメントがありました。 それには「すごくいい家で気に入っております。ぜひまた遊びに来てください」と書いてあり、わざわざ携帯電話番号まで書いてありました。 それで慌てて電話をしたのですが、来週から不在にするので、また連絡しますと言われ、電話を切りました。 Iさんから連絡が来ることもなく、しばらく経ったある時、母から電話があり、泣きながら「Iさんが亡くなった」と告げました。 父とIさんは、夫婦ともどもお付き合いしていたので、母もIさんのことをよく知っていました。 すぐに年賀状のことを思い出し、あの時、お伺いできなかったことを悔やみました。 私はその時、岩手のほうに行っており、葬儀には参列できませんでした。 数週間後、岩手から鈴鹿に戻って、Iさんのお家を訪ねると、奥さんが出ていらっしゃいました。 ご位牌にお参りするために、お邪魔させていただくと、当時はなかった仏壇が、そのために作ってあったスペースにおさまっていました。 若々しくお元気な時の写真が飾られていました。 その後、リビングのほうで、奥様とお話させていただきました。 家はまだまだ新しく、自分でいうのもなんですが、ゆったりとして居心地のいい空間でした。 奥様は、Iさんが私に会いたがっていて、ソファに座りながら「この家に住めて本当に幸せで、何も言うことはない」とおっしゃっていたという話をしてくださいました。 私は不義理に後悔しつつも、設計者として、この上なくありがたい言葉に、胸が熱くなりました。 生前にお会いできなかったことは、本当に残念でした。 奥様に、年賀状をいただいて、私が電話した話をすると、不在にするというのは、入院のことだったようです。 それから、半年ほどの間に亡くなってしまわれたのでした。 新築時ではなく、築後7年経っても、居心地がいいということは、本当によいものが出来た証拠だと思います。 当社では、ビジョンである幸せのデザインをテーマに、少なくとも30年は幸せに暮らせる家を目指しています。 情熱をもって作られた建物は、時間が経っても、時折ふと、しみじみといい家だと感じるものだと思います。 なぜなら、私が住んでいる(二拠点のうちの一つとして)、父が作った家もそうだからです。 Iさんには、もっと長く、あのお家で暮らしていただきたかったですね。 芸術・デザイン部門に応募します!
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by 3839ttsy
| 2020-12-26 18:29
| 建築
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この建物全部ではなく、手前側の平屋部分を建て替えする計画でした。 自然エネルギーを有効に使うことを考えていて、ポイントは2つありました。 太陽熱の利用には、大きく分けて二つの考え方があり、アクティブソーラーシステムとパッシブソーラーシステムにわかれます。 アクティブソーラーシステムは機械を使って、屋根にあたる太陽の熱などを暖房や、お湯を沸かすことに使う方法。 パッシブソーラーシステムとは、機械を使わない方法です。 壁や床など直射日光があたる部分で蓄熱して、暖房の補助にするようなイメージです。 ダイレクトゲインはパッシブソーラーシステムの一つであり、床に蓄熱するタイプです。 蓄熱材は、石やコンクリートなどで、ある程度ボリュームを持たせるようにします。 冬には蓄熱はしたいですが、夏にはむしろ蓄熱を避けたいので、太陽の高さを考慮して、夏には日が当たらず、冬は日が当たるように、庇の位置を計画しました。 もう1つは、換気のための高窓です。 換気にもパッシブソーラーシステムと同じように、機械をつかわない「重力換気」という方法があります。 高いところと、低いところに窓があると、あたたかい空気は軽いので上に上がって、高い窓から出ていき、低い窓から冷たい空気が入ってくるという現象がおこります。 これを利用したのが、重力換気です。 居室の窓と、廊下との出入口のドア、そして、廊下の高窓を開けると、重力換気が起こり、夏涼しくなるという設計になっています。 ダイレクトゲインの土間や、煙出し窓は、その後、I邸新築工事でも提案しました。 土間は実現し、煙出し窓は途中まで計画していたのですが、予算の関係で断念しました。 余談ですが、今年I邸の依頼者様から年賀状をいただき「とても居心地がいいので、気に入っています」という嬉しいコメントをいただいています。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-01-29 19:28
| 建築
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東日本大震災が起こった2011年以降、自然災害が増えました。 地震だと熊本地震がありましたし、長野や北海道や新潟などでも、震度6強以上の地震が起こっています。 そして、台風などによる豪雨災害が増えました。 洪水や土砂災害。 昔から人は平地で、特に川のあるところに町を作りましたが、平地や川の近くは山から流れてきた堆積物で構成されているため地盤が悪く、また大雨が降れば川の氾濫も起こります。 地震にも大雨にも不利な場所になるというわけですね。 平時であれば、街を形成しやすく便利な平地は、自然災害を受けやすいリスクを持っている。 でも、20年以上前は、自然災害というのは、ほとんど起こることがなく、リスクと便利さを天秤にかければ、便利さのほうが勝っていたのだと思います。 ところが、今年などは大雨の災害が立て続けに起こり、しかも台風19号に至っては、局地的でなく関東から東北の広い地域に被害をもたらしています。 これまでの常識が通用しなくなってきました。 天秤がリスクのほうに傾いてきている気がします。 私の住んでいる、釜石でもいたるところで土砂崩れがありました。 釜石に住んでからというもの「避難」ということを、考える機会が多くなっています。 そのため「どこに住めば安全か?」を考えるようになりました。 津波を考えればもちろん、内陸部がいいわけですが、釜石の場合、それは例えば中心地を流れる甲子川のそばということになります。 すると、大雨の際に、もしかすると甲子川が氾濫するかもしれないと思います。 また、高台のほうに行けば土砂崩れがあるかもしれないと思います。 今年の台風19号で、山のいろいろなところから水が噴き出して、崩れているのを見ました。 普段は沢ではないのですが、大雨だと沢になるところがあるとわかりました。 一方、高台や傾斜地でも全然被害のないところもありました。 よく見ると、それは尾根とか馬の背と呼ばれる部分でした。 雨が降ると、この尾根を頂点として、谷に向かって水が流れます。 そのため尾根の部分は、水害に遭うことがありません。 さらには、地盤としても固い部分になります。 水が谷に流れる際、山の表面も削っていくため、谷の部分には次第にその削れた石や砂や、落ち葉などの堆積物がたまります。 それが軟弱な地盤になります。 地震にも弱いし、谷の近くでは土砂崩れの恐れもあります。 さらに平地では、小さい川が集まってきて大きな川になり、堆積層(軟弱地盤の層)もより厚くなっています。 また、川が氾濫すれば平地ではたくさんの建物が浸水被害に遭います。 一方尾根は、頂点なので削られることはあっても堆積物がたまることはないため、地盤は極めて強固で、地震に強く、土砂崩れも、洪水の被害も起こりようがありません。 そんな発想から、災害に強い都市計画を考えてみました。 それは、こういうイメージになります。 東日本大震災があったところでも、津波の被害があった地域は、住宅は建てられず、工場や商業地としては活用できることになっていますが、同じような発想です。 農地、工場、商業地は水害や地震被害に遭う可能性はありますが、住宅地の安全は守られます。 地震はともかくとして、水害であるなら、現代の予想はかなりの精度です。 危険だとわかれば、家に帰れば、それが避難することになります。 ▲
by 3839ttsy
| 2019-11-08 23:26
| 建築
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今朝、妻に高田松原道の駅が、内藤廣さんの設計で完成したことを教えられました。 妻は建築の仕事をしているわけではないのですが、前職が新聞の文化面を担当していたことから、建築家のことなどを結構知っています。 恥ずかしながら全然知らなかったので、ホントかな?と思って、ネットで検索したところ、確かに内藤廣さんの設計という記事が見つかりました。 それを妻に見せると「あ、それ私が書いた記事だね」と言われました。 なんだか、孫悟空が筋斗雲で飛んで、お釈迦様からうんと遠くまで遠ざかったら、お釈迦様の手の中だったという逸話を思い出しました。 孫悟空と言ってもドラゴンボールではなく、オリジナルのほうですよ。 念のため… 妻は左右対称の、カメラに収まりきらないほど横に長い、シンメトリのデザインだと言っていました。 善は急げということで、さっそく、見に行きました。 三陸道のインターを降りると、今までの感覚だと左に曲がってまっすぐいけば着く感じだったのですが、道が変わっていて、何度も曲がりました。 以前の一本松駐車場の国道45号線をはさんだ向かい側に、それらしき建物がありました。 最初に見たときは、正直「これが内藤廣?」と思ってしまいました。 道路に平行に細長くくて四角い、普通の道の駅とか、サービスエリアの建物という感じに見えたのです。 ちょうど真ん中に駐車場に入る車道があり、駐車は左右に分かれるようになっています。 右側の駐車場に止めて、まずは建物の右端からアプローチ。 リン酸処理の亜鉛メッキ鋼板や、集成材?らしき型枠のR面取り柱、軒天井や一部の壁にふんだんに使われる杉材など。 思うのですが、大御所と言われる建築家ほど、大きい建物に向いていて、空間や建材の使い方がダイナミックで、リッチに見えます。 若手はどちらかというと、部分に力が入り、アイデアがあって面白いのですが、規模の小さい作品に向いているという感じがします。 建物は横に長くなっていますが、真ん中が一部屋外になっており、屋内空間は2つに分かれています。 私が最初に入ったほうの右側は道の駅で、物販などがならんでおり、左側は津波伝承館になっています。 この辺りから、だんだんと「さすがは内藤先生」という気分に変わってくるのですが、その水盤を左向きに回って、建物の正面側に来た時に、あることに気が付きました。 「あ、これは、もしかして…」 建物の正面側から、海の側にまっすぐな道がつづいていて、その先に階段があります。 後ろを振り返ると、施設の名称を書いた、コンクリートの塀のようなものがあり、さっき入ってきた道路が正面にあります。 とりあえず、入ってきた車路の外まで戻ってみることにしました。 その先には、以前、三陸道のインターまで続いていた道路があり、今は工事中のようでした。 国道を横断し、反対側の横断歩道に立つと、やはり間違いない。 「軸線ビーム」とは、ノンフィクション小説「磯崎新の「都庁」-戦後最大のコンペ」の中で、丹下健三さんの多用したデザイン手法として使われている言葉です。 平和記念公園の軸線デザインについては、過去の日記に書いてあるので、ご参照ください。 噴水と水盤という違いもありますが、水が真ん中にあることも似ています。 ![]() ![]() ![]() さらに湾の出口(?)、左右の半島の中心も軸線上に近いです(さすがにここは少しずれているかもしれませんが)。 つまりこの軸線は、津波が来た方角を指しているのかもしれません。 この徹底した軸線デザインには、かつての建築家が持っていたような、強いデザインの意志を感じます。 内藤廣さんは菊竹清訓さんの事務所に勤めていたらしく、丹下健三さんの弟子ではないようなのですが、この作品は丹下健三リスペクトといってもいいのではないでしょうか。 建物単体ではなく、建物の配置からランドスケープも含めて、一つのダイナミックな作品と言えるでしょう。 陸前高田に、また素晴らしい作品が出来ましたね。 ところで、階段を登った献花台からみて気が付いたのですが、この献花台があるのは、防潮堤の上なんですね。 各地で「海が見えない」と批判の多い防潮堤を、ポジティブにデザインに取り入れるのも、さすがという感じでした。 そうしなかったのは、立地的に不可能ということもあるでしょうが、そもそも奇跡の一本松は、10年ぐらいしかもたないそうなので、原爆ドームのように恒久的なものではないからでしょう。
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by 3839ttsy
| 2019-10-10 12:22
| 建築
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鈴鹿の事務所は、築100年以上の古民家をリノベーションしています。 出格子がある伝統的な町家なのですが、開口部が多く耐震上は不利なので、出格子の内側に耐震格子のようなものを設置しました。 一般的に現代の木造建物は、壁で地震に耐える発想なのですが、壁を作ることは窓を小さくすることであり、格子の窓を縮めて壁にしてしまうと、雰囲気も大きく変えてしまいます。 その際、外側に木製建具があるので、雨風は入ってこないと思い、内側の障子を外してしまいました。 事務所として使い始めた一昨年前の冬、風向きの関係もあり、すきま風がまともに入って、思っていた以上に寒いことがわかりました。 以前は内側の障子で、風をふせいでいたんですね。 一昨年前と去年は、不織布を買ってきて、簡易的にふさいだのですが、風圧で内側に膨らんだりするし、冷気もしみこんでくる感じで、あまりいいものではありませんでした。 今年、あるご縁で、既存の住宅の改築設計させていただくことになり、その中で、和室をなくして2つの部屋をつなげ、リビングにするという要望がありました。 その通りに設計させていただいたのですが、その際、和室の建具を撤去処分することになります。 どうせ処分するものなら、それをいただいて、事務所の開口部にいれてはどうかと思いました。 昔の木造住宅というのは、建具の高さとか、幅が、だいたいどこでも同じになっていて、他の建物で流用することが出来るのです。 建具の高さでいうと、私が知るところでは176㎝が最もポピュラーと思います。 つまり統一規格のようになっているんですね。 建て替えたり引っ越ししたりしても使いまわせるようにと。 昔の人の知恵ですね。 担当するOさんにそれを言ったところ、首尾よくいい感じの建具をいただいてきてくれたので、さっそくはめてみました。 すると、うまく入りません。 統一規格とはいえ、1㎝や5㎜ぐらいのバラつきはあります。 どうやら入れたいところより、持ってきた建具の高さが少し高かったようです。 そこで今回もDIYです。 ちょっと難易度が高いのですが、自分で削ってみることにしました。 その他、のこぎりと、ノミなども使いました。 まず鉋の刃の調節に苦戦。 出すのは簡単なのですが、ひっこめるのが難しい。 台の前のほうを叩くとひっこむはずなのですが、なかなかひっこみません。 YouTubeで動画を見てコツらしきものとして気づいたのは、叩いたときに「スコン」と力が抜けるように、左手を軽く持つといいのではないかということでした。 その通りにしたら、正解だったのかどうかはともかく、なんとか調節できました。 建具は縦の材と、横の材を組み合わせた上端を削って、鴨居の溝に入る出っ張りを作っているのですが、縦の材が変形したのか、だいぶ飛び出していたので、その部分をのこぎりやノミを使って削りました。 失敗だったのは、真ん中の横の材は、木目にそって削るので問題ないのですが、縦の材は木目に対して直角に削ることになるために、端部が割れてしまいました。 それもネットで調べてみたところ、先に面取り(角を鉋で45°に削って角をなくすこと)をしておくと、割れにくいということで、次からはそうしました。 3本の障子を削る必要があったのですが、1本目が鉋の扱いに慣れずなかなか大変で、へこたれそうになりました。 けっこう削ったつもりではめてみても、なかなか入らないし… しかし、その都度、気を取り直して、削ってははめてみるということを3回繰り返すと、3回目になんとか入りました(やや無理やり感はありましたが)。 2本目以降は比較的スムーズで、無事3本の建具が、耐震格子と耐震格子の間に入りました。 雪見障子で、なかなか立派な建具です。 「×」を消すために、障子紙も替えたいところですが、今回はとりあえず、ここまでにしておきました。 これで今回の冬は、だいぶ環境がよくなりそうです。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-10-15 21:35
| 建築
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![]() 今回はDIYではないのですが、ちょっと久しぶりに「ふらっと見学」に行ったところについて。 木下斉さんの著書「まちで闘う方法論」に、勝川の商店街でエリアマネジメントに携わった事例がありました。 愛知県春日井市には私の母校、中部大学があり、市内の勝川には、友人の下宿アパートがありました。 商店街は駅から友人のアパートに向かう道沿いにあり、あの勝川でどんなことが起こっているのか、気になっていました。 今週の日曜日、予定がなかったので、のんびりと仕事でもしようかと家を出たのですが、ふと「あっ、今日なら見に行ける」と思いつきました。 鈴鹿の自宅から勝川までは車で1時間半ほど。 それほど近くはありません。 中部大学に通っていたのは23年前ですが、それからほとんど行ったことはありませんでした。 今調べてみるとはや8年前でしたが、一度だけ行ったことがありました(過去の日記)。 件の商店街を見る前に、友人のアパートが気になってしまい、まずはそちらに行ってみることに。 カーラジオからは偶然にも、当時聞いていた小沢健二さんの曲が流れ、懐かしい気持ちが募りました。 前回同様やや迷いつつも、思い出深いその地を発見。 しかし、8年前には営業していたお店は閉店し、アパートは解体されて更地になっていました。 やや残念な気持ちになりながらも、次は本命の勝川商店街へ。 TANEYAというシェアオフィスがあるはずだと、車をコインパーキングに停めて探してみると、なんとシャッターが閉まっていました。 それも普通の豆販売ではなく、生の豆から選んで、焙煎してもらうというスタイルのお店でした。 (私は初体験だったのですが、全国にあるようですね) 何十種類も豆があり、焙煎の仕方も浅煎りから深煎りまで8段階ぐらいあったでしょうか、組み合わせを考えると無数とも言える選択肢。 初心者にはハードルが高く、店員さんのおすすめ通りに買ってみることに。 コロンビアのクレオパトラを中煎りのシティーローストでお願いしました。 値段はだいたい200g(240gを焙煎すると200gぐらいになるそう)で968円でした。 待っている間、コーヒーの香ばしい香りが漂い、サービスで一杯のコーヒーをごちそうになりました。 思わぬお土産が出来て、収穫がありましたが、このお店がエリアマネジメントの効果なのかは不明。 コの字型の平面の鉄骨2階建て、2階のブリッジをくぐると中庭があり、木製の骨組みのテント屋根がならんだ、オープンカフェがあります。 これは何かありそうだと入ってみました。 左にはカフェがあり、小さい子どもを連れたお母さんや、家族連れのための専用スペースがあります。 右にはペットショップがあり、奥には鉄板バルがありました。 2階には貸しスペースや学習塾などがありましたが、休日のせいか閉まっていました。 ちょうどお昼だったので、カフェに入ってみることに。 子育て世代をターゲットにして作られた複合施設で、TANEYAと同じくまちづくり会社などが駅や商店街のエリアマネジメントの一環として設立、運営しているようです。 ままま勝川はにぎわっていて、昔からの商店街に新しい風を起こしているように見えました。 勝川商店街、これからまだまだ発展が期待できそうです。 またしばらくは勝川に行くことはないでしょうが、何年か後に、また様子を見に行ってみたいです。 ▲
by 3839ttsy
| 2018-06-06 16:00
| 建築
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![]() これは今日の写真ではないんですが、なんどかこのブログで話題にした、大槌町吉里吉里地区の消防屯所の業務が、書類を提出して、今日終わりました。 最初の「シンボリックな建物を」という熱い要望を聞いて、受け止めきれるのか不安になったりもしましたが、プランを提出したら気に入っていただき、1年近く経った今、ちょっとやそっとではゆるぎない形として、ここにあらわれました。 実のところ、建築確認の手続きでつまづいたり、トラブルも多かった工事案件だったのですが、終盤はスムーズで、終わってみれば必然のように、そこに建っているのが不思議でもあります。 これがなんといっても、建築の面白いところでもありますね。 最後はなんとかなるみたいな^^; 工事をしていただいたのは、大槌町の地元の業者さんですが、やや複雑な建物にも関わらず、いい仕事をしていただいたと思っています。 ありがとうございました! ▲
by 3839ttsy
| 2017-06-08 21:26
| 建築
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![]() 釜石では今年の春に、2つの学校が竣工しました。 鵜住居小(釜石東)中学校と、唐丹小中学校です。 設計したのはそれぞれ、シーラカンス&アソシエイツさんという建築家ユニットと、乾久美子さんという建築家です。 いずれも有名な建築家で、建築雑誌でもよく見かけます。 その2つの学校を、設計者の案内で見られるツアーが、今日開催されました。 「これは行くしかない!」という感じで、参加することに。 定員が100名だったのですが、応募がそれを超えて、つまり結局100名の参加だったようです。 ほとんど建築(設計)関係の方だったに違いないと思いますが、東京などからこれだけの人数が集まりました。 つまり、これが釜石の得た力なんだと、私は感じました。 プロポーザルにも参加したし、住民の方を交えての意見交換会を傍聴したり、出来てくるところを、道路を走りながらしょっちゅう眺めていました。 関連する部署の市の職員さん、同業の人にもいろいろ聞きましたし、一般の人からも話を聞きましたが、私の率直な印象ですが、有名建築家は歓迎されざる客であり、設計(及び監理)にはかなり苦戦していると感じていました。 しかし、建築というものは出来てしまえば、圧倒的な説得力を持ちます。 結果的に、地元に歓迎され、受け入れられたと感じました。 そして、それどころではなく、もっとすごいものなんだと、私は今回実感したのでした。 こういう長いスパンの建築を、それほど遠くない位置から見ていた(だけではありますが)ことが初めての経験で、建築は忍耐と、少しずつでも前に進む強い意志の必要な行為であると、再認識しました。 いずれも素晴らしい建築で、設計した方々を改めて尊敬しますし、自分自身がいかに小さい存在かを感じる一日でもありました。 もっとがんばらなければと思いました~ ▲
by 3839ttsy
| 2017-06-03 21:15
| 建築
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![]() 今日も朝からヘリが飛び交い、サイレンが鳴り響く中、目覚めました。 昨日は鎮圧できそうなところまでいったようなのですが、今朝になるとまたくすぶっていたところに火がついたりして、ヘリも出動したようです。 一方で、消防のみなさんが森に入って、地上からの放水も行われたとのことでした。 本当に長丁場なんですね。 消防のみなさまの体力が続くのか心配です。 鎮圧は出来なかったようですが、避難指示が解除になり、避難された方がお家に戻られたとのことです。 避難所ぐらしお疲れ様でした。 民家に被害が出なかったことは、不幸中の幸いでしたね。 今日は仕事の話です。 しかし、まったく火災と関係ないわけではありません。 これまで、釜石で3棟、去年から大槌町で3棟、消防屯所の設計をさせていただいています。 消防屯所とは、消防団さんの詰所です。 同じ人間が設計していますが、6棟それぞれ、デザインは全く違います。 写真はその大槌町で2棟目となる、完成間近の消防屯所です。 場所は吉里吉里です。 一昨日、足場の解体作業をしているところを見ましたが、解体されてからは今日初めて見ました。 ご要望があったためですが、こちらはこれまで設計した中でも、かなり凝った建物になります。 「火の見櫓」が欲しいという、ご要望があったので、車庫から一番上まで、ハシゴで一直線にあがれる火の見櫓(のようなもの?)を計画しました。 八角形(錐)にしたのは、後ろの小学校の八角形の塔を少し意識しています。 高さに制限があるので、あまり高くは出来ませんでしたが。 他にはちょっとレトロな感じをご希望されていました。 完成は今月中、楽しみです。 これまで、3棟の消防屯所が完成し、2棟が建設中、1棟が今年度中に建設予定ですが、今回の釜石の火災による消防団さんの活躍を見て、光栄なお仕事をさせていただいていると、改めて思いました。 ▲
by 3839ttsy
| 2017-05-11 21:48
| 建築
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![]() 昨日、施工中の現場に見に行くと、こんな光景が。 この屋根は幅40㎝前後の長い鉄板を縦に並べて、鉄板同士をつないでいく工法です。 呼び方はいくつかありますが、私は「縦ハゼ葺き」と呼んでいます。 ハゼというのは鉄板同士を折り曲げてつなげることで、水が入らないように工夫されています。 …という知識はあるのですが、実際に「ハゼ」ている光景を見たことがありませんでした。 機械でするものだとばかり思っていましたが、写真のように巨大ペンチ(?)のようなもので、手動でするんですね。 建築の仕事を20年以上していますが、まだまだ知らないことも多いようです~^^; ▲
by 3839ttsy
| 2017-04-15 09:56
| 建築
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