建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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このコンペの提出物を作るにあたって、一番ストレスだったのはパースです。 パースとは遠近法を使った画法のことで、建築では一般的に建物の完成予想図として描きます。 実のところ、これまで仕事で自分でパースを描くことはほとんどなく、描くとしても住宅用のCGソフトを使うか、普段使っている2次元CADで描く着色しない線画ぐらいでした。 水彩パースは大学の授業で習いましたが、仕事で描いたことはなく、この頃通っていた、インテリアコーディネータースクールの課題で、久しぶりに描いたという程度でした。 しかし、住宅用のCGは大規模な建築を描くには向いておらず、着色しない線画では、説得力がありません。 かといって、高価な3DCADを購入することも出来ないし… ということで、水彩でパースを描いてみることにしました。 前回の投稿に添付した画像は、その一部で、屋内の様子を描いた、内観パースというものです。 水彩画というものは、塗り重ねが出来ず、失敗が許されないもので、集中力を必要とします。 また、下絵はCADで描くのですが、細かいもの(添景)はフリーハンドで書き込むため、いわゆる絵心が必要なのですが、正直、絵を描くのは、それほど得意ではありません。 そのため、いよいよ提出物の仕上を作成するにあたって、パースの枚数を重ねるうちに、だんだんとストレスを感じるようになりました。 特に外観パースは、2枚描いて、納得がいかなかったので、3枚描いたため、そのたびにストレスが強まりました。 そんな風にしてできたのがこの外観パース。 いろいろ試した結果、一旦スキャナーで取り込んで、空はレタッチソフトのほうでグラデーション着色することになりました。 このスケールの建物を、実際の仕事で描くことは、おそらくないでしょう。 建物の外観デザインを考えるにあたって「観音像のように見える」ようにしたと以前、書きましたが、設計にあたっての手掛かりはもう一つありました。 それは井上靖の短編「補陀落渡海記」です。 この物語は、那智の補陀洛寺の住職が、補陀落渡海をするまでの心の葛藤などを描いているもので、それまで行われてきた、補陀落渡海の歴史に触れる場面もあります。 その中に、主人公の先代の住職が補陀落渡海の直前に語った、補陀落についての描写が出てきます。 おそらく、死の船出を前に、強いストレスによって、幻覚が見えるようになっていたと思われます。 以下がその引用文です。 そこは大きな巌で出来上がっている台地で、激しい波濤に取り巻かれている。(中略)併し、その台地は、どこまで行っても尽きない程の大きさを持ち、限りなく静かで美しいところで、永遠に枯れぬ植物が茂り、尽きることのない泉が到るところから湧き出していて、朱い色をした長い尾の鳥が群がり住み、永久に年をとらぬ人間たちが仏に仕えて、喜々として遊びたわむれている。 この描写を、設計の一つの手掛かりとしました。 その関係で「朱い色をした長い尾の鳥」が、外観パースの添景として描きこんであります。 最後に、平面図です。 こうしてみると、外観パースよりも、平面図にスピリチュアルな雰囲気が現れているような気がします。 4階の屋上庭園なんて、自分が描いた図柄とは思えません(笑)。 低層階及び、4階のフードコートと屋上庭園、そして最上階の空空間、その下のレストランなどは日帰り客でも利用でき、5階から28階までは宿泊スペースになっています。 高層部分は4階から、上に行くにしたがって狭くなり、18階を過ぎると、再び広くなっていきます。 宿泊スペースとしては一番広い5階は8室、一番せまい18階は4室。 そこまで描いてはいませんが、最上階に近い部屋は、スイートルームなどになるだろうと思います。 さて、これでアンビルドシリーズは最後になりましたが、改めて振り返ってみると、このコンペの出展を境に、パースなどのプレゼン資料作成や、提案を考える力がアップしたように思います。 コンペのみならず、実際に依頼のあった建築のプロジェクトであっても、お金と時間がかかるため、様々な事情で中止になってしまうことも多く、また力を入れた提案であっても、施主に気に入られず、没案になることもあります。 そして、そうなったものが、そのまま別の場所に建てられることは、まずありません。 でも、計画図を描いて、模型を作ったり、パースまで描くと、自分の中で、ある程度の存在感を持つようになります。 そのままのものでないまでも、アイデアの一部を取り入れた建物が、実際に出来ることがあるということも、アンビルドシリーズ3や5で示した通りです。 たぶん、その他のアンビルドたちも、自分の中では大きな財産になっていくだろうと思います。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-12-08 17:07
| アンビルド
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世界遺産を訪れるということになると、学びの要素もあり、多少の緊張感を持って臨まなければならない気がします。 熊野古道の場合、それに加えて、アップダウンのある山道を歩くという要素もあり、ストイックな旅になりがちです。 でも、ただ楽しむこと、リラックスすることが旅行の目的の人もいるでしょう。 そのような人の受け皿として、コンテンツを考えることにしました。 なので、悪くいうと、やや俗っぽい感じのする施設になっています。 ともあれ、今見ると驚くほど、様々な要素を詰め込んでいます。 花びらにあたる桟橋の部分の一つは、イルカショーのスペース。 この辺りはイルカがいるので、野生のイルカも寄ってきて観察できるかもしれないと。 浜辺でイルカの死骸を見たし、イルカ漁がかつてさかんだったところも近く、イルカは多いと思われます。 また人が泳ぐプールもあり、釣り堀もあります。 いずれも生簀のように海水をそのまま使います。 また、同じく生簀のような水盤を囲むオープンカフェ。 その他には、テニスコートや、野外コンサート会場。 もちろん、1つは船(補陀洛渡海船)が発着する桟橋です。 屋内にはフィットネスや、アミューズメント、屋内コンサート会場(劇場)や映画館。温泉や、スパ、カラオケなんかもあります。 …と書いていて、だんだん恥ずかしくなってきましたが、まぁだいたいそんな感じです。 それ以外には、特に熊野古道と関係ありそうな施設があり、まず1つは絵解きコーナーです。 絵解きというのは、かつて熊野詣を全国から誘致するために、各地に派遣された熊野比丘尼が行った、宣伝やプレゼンテーションのことです。 熊野曼荼羅という絵を使って、熊野のいろいろな地域の紹介や、熊野を詣でると得られる、ご利益などを説明していたそうです。 その絵解きを現代風にアレンジし、レースクイーン風ファッションの熊野比丘尼が紹介するのが、絵解きコーナーです。 (やはりこれも、きわめて俗っぽいですね) 丸太を四角く削っただけのベンチは、今見ても、まぁアリかなと思いますが… 次に、熊野古道植物園。 実際の古道のように、薄暗い中に、天井の明り取りから、かすかな木漏れ日のような光を取入れ、コケやシダを観察したり、古道を歩いているような疑似体験が出来るという空間を考えました。 熊野古道を歩いて、もう一つ印象的だったのは、随所に、球状に削られた石があることです。 その球状の石も歩道の脇に置いてあります。 そして、球状の石の大きいバージョンが、屋上にもあります。 この中をどうするかは、世界遺産のことを調べているときに見つけた、ローマのパンテオンの写真から発案しました。 パンテオンと同じく、頂部に光を取り入れる穴をあけ、窓はなく、その穴から落ちてくる神聖な光を見る空間にしました。 名付けて「空空間」。 色即是空、空即是色の空です。 「空=何もない」空間に寝転んで、空と差し込む光を見ながら、ぼーっとするスペースです。 風が強い時には、風の音も聞こえるでしょう。 そして、これはなぜ思いついたのか、今となっては忘れてしまったのですが、桟橋と低層階の屋上にイルミネーションを配し、上から見ると万華鏡のように見える、カレイドスコープイルミネーション。 平面的になんとなく万華鏡の模様に似ているし、万華鏡という言葉も、なんとなく仏教っぽい…みたいな理由だったのだと思います。 夜、万華鏡のように、模様が変わっていく様を、屋上や、窓から眺めます。 もちろん、直接、桟橋の部分や、屋上庭園を歩いても、いいでしょう。 これはロマンチックですね! …などと、今見ると、自分でも恥ずかしいものもありますが、よくも悪くも、アイデアの数がとても多いところから力の入れようがわかります。 結局、情報が多すぎて書かなかったのですが、発電方法は波力発電というものを考えていました。 波の力や、海流、海の満ち引きの力を使った発電システムです。 開発はされているものの、まだ実用段階にはなっていなかったと思いますが、建設するころには出来ているだろうという発想です。 (アイデアコンペですから) ▲
by 3839ttsy
| 2020-12-06 19:38
| アンビルド
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思いついたのはいいけれど、形にするのがまた難しい… 遠くから見て、観音様に見える建築を作るには、形状の抽象化が必要だと思いました。 余談ですが、当時は釜石大観音を見たことがなく、建築物として、観音像そのものを作ることが出来るものと思っていなかったので、正直、驚きました。 下層階を広めに台座の部分とし、タワー状の高層階の部分、そして蓮の花びらのような船の桟橋で構成される建物を考えました。 タワー状の部分は、人のシルエットに見えるよう、円状にならんだ柱を斜めに立て、中間がくびれ、上下が広がる形状としました。 神戸ポートタワーと同じ発想です。 そしてその上に、球状の構造物を乗せて、頭に見えるように。 台座の部分は八角形として、さらに辺の真ん中を外に突き出すようにして、花のような形にしました。 桟橋は八角形の辺と、それぞれ垂直に突き出します。 さらに先端の部分を三角にして、斜めに立ち上げ、花びらのようにしました。 構造としては台座部分の八本の主柱から、斜張橋と同じようにケーブルで吊ります。 斜張橋というのは、例えば瀬戸大橋などに使われている、高い柱から、両側に斜めにケーブルを出して、橋げたを吊る方式の橋です。 この桟橋に、那智の港を出発した補陀洛渡海船が着岸します。 実現することはないアイデアコンペなので、一応、根拠は持っておくという程度で… 海底から、板状のコンクリート基礎を立ち上げ、その上に建設するという想定でした。 下層階(1~3階)は、熊野古道の展示博物館やテーマパーク、アミューズメントスペース、高層階(4~30階)はホテルとレストラン、頂部の球体(31、32階)の部分は…なんにしよう? …という段階でしたが、まずは構造検討をするために、構造模型を作り始めました。 もちろん高層ビルなどは設計したことがないので、どれぐらいの大きさの部材が必要なのかわからないし、構造模型も作ったことがなかったのですが、とりあえず始めてみたら、なんとなく出来てしまいました。 意外に丈夫なので「これはホントに行けるのでは?」と思いました。 ちなみに、実際の建物の設計では、骨組みの部分は構造設計の専門家に計算、設計してもらいますが、その前の段階では、模型を作ってみると、強度が十分あるかどうかは、目途が立つものです。 我々のような意匠設計者が、形、大きさ、柱の位置などの大枠を考えて、それに合わせて、構造設計者が細かく検討するのが、本当の設計の流れです。 しかし、このような無償のアイデアコンペに構造設計者を巻き込むことは気が引けるので、構造計算は頼んでいません。 したがって、この段階では「建設できそうだ」ということがわかったのでした。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-11-22 12:50
| アンビルド
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![]() しばらく更新が止まっていましたね。 アンビルドシリーズは、これで最後になるかもしれませんが、ボリュームがあるので、数回に分けて投稿したいと思います。 テーマは世界遺産熊野古道と共生する建築です。 こちらは2008年にアイデアコンペに提出したものです。 募集されていたテーマが「世界遺産と共生する建築」であり、当時三重県に住んでいた私が選んだ世界遺産が(近場の)熊野古道でした。 熊野古道をのべ10日以上歩き、図書館で熊野古道のこと、世界遺産のことを調べ、図面を描き、パースも4,5枚書き、模型を作り、さらに、アーティスト、美術の先生、写真家など、いろいろな人も巻き込んでプレゼン資料を作ったのですが、なんの賞ももらえませんでした。 おそろしく時間がかかり、お金もそれなりにかかった割に、何にも残らなかったので、これは一体何だったのかと、しばらく腑に落ちない気持ちでしたが、今にして思うと、この時以来「考える」ことが出来るようになったように思います。 そういうところからすると、このアンビルドシリーズの起点になった出来事でもあるかもしれません。 (何にもならないことを、さらに積み重ねているだけのような気もしますが…) 記録によると、この年の2月末ごろから、熊野古道を歩き始めています。 熊野古道というのは、都(京都)から熊野(熊野本宮)に至る昔の道のことですが、一つではなく、複数のルートがあります。 大きくグループに分けると、大阪の南部を通って、紀伊半島の西側、和歌山県の主要地域を通るルート。 伊勢神宮を経由して、紀伊半島の東側、三重県を通るルート。 そして奈良県を通って、山深い土地を直進するルートの3つになるでしょうか。 実際には、さらにいくつかの道に分かれています。 このうち、奈良県を通る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)や、高野山を起点とする小辺路(こへち)は修験者が、修行のために通る道ということだったので省略し…三重を通る伊勢路と、和歌山西部から熊野本宮に至る、中辺路(なかへち)、などを歩きました。 2ヶ月ほどの間、週末ごとに少しずつ、お遍路でいうところの「区切り打ち」のようにして歩きましたが、肝心の「建築」については、何も思い浮かびませんでした。 ゴールデンウィークに最後の現地調査として、那智大社から、熊野本宮へ向かう大雲取越(おおくもどりごえ)、小雲取越(こくもどりごえ)というルートを、テントをかついで歩いたときのことです。 (ちなみに、那智大社と、熊野本宮大社、それに新宮にある熊野速玉大社を合わせて、熊野三山と言います。熊野詣とは、この三山をめぐることであったようです) 有名な那智の滝を見た後、那智大社の脇から、上りの山道に入り、上りきったところに、少し広い場所があったので、そこにテントを張って一泊しました。 那智大社は沿岸にあり、熊野本宮は内陸にあります。 翌朝、熊野本宮の方角に歩き始め、ある程度進んだときに、ふと振り向くと海が見えました。 その時、ひらめきました。 それまで、ずっと、悩んでいることがありました。 文献で調べたところによると、世界遺産というのは、なるべく昔のままで残さないといけないものなので、その周辺に建物を建ててはいけないのです。 それなのに、どうやって共生する建築を実現するのか?と。 「そうか!海の上に作ったらいいではないか!」と思ったのでした。 それだけ聞くと、やや唐突な感じがするかもしれませんので、もう少し説明すると、那智大社の近くに補陀洛山寺というお寺があります。 そこでは昔、補陀洛渡海という捨身行が行われていました。 補陀洛というのは、観音菩薩がいるという極楽浄土のようなところで、南の海の果てにあると考えられていました(あくまで、この地方では)。 補陀洛渡海とは、そこへ向かって、お寺のお坊さんが船をこぎだすことで、衆生のために自分を犠牲にする、即身成仏に似た儀式です。 つまり、補陀洛に辿り着けないのは当の本人たちはわかっていて、ほとんどのお坊さんは難破するか、海の上で餓死する運命です。 (参考文献:『補陀洛渡海記』井上靖) その補陀洛に見立てた観光(宿泊)施設を、南の海上に作ったらいいではないかと思ったのでした。 海に浮かぶ、観音様…のように見える建築のイメージ… うーん、そうか。 今、釜石大観音の近くにいるのも、この時から運命づけられていたのかも? 世界遺産のエリアに抵触せず、しかも、熊野古道や熊野の歴史と関りがある風習をテーマにしていて、完璧な問題の解決だと思いました。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-10-24 21:59
| アンビルド
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3年ほど前、病院に長期入院していた時、面倒を見てくれていた現在の妻が、キャットタワーを作りたいと言いました。 勤め先の林業の組合で、木材を使った商品開発をしており、また県内の企業さんで「ショップボット」という木を加工する機械を見学したばかりで(過去の日記)、それを使って作れないかということでした。 ショップボットというのは、パソコンで図形などを入力すると、その通りに切断、くりぬきなどが出来る機械で、基本的には板材を2次元的に加工するのが得意ということでした(3次元加工も可能だそうですが)。 その板(厚めのベニヤなど)を組み合わせて、椅子や机を作ったり、棚を作ったりすることが出来ます。 ダンボール模型のように、組み合わせたり、差し込んだりして組み立てるイメージです。 キャットタワーというと、円柱を何本か立てて、そこに水平の床をランダムに配置して、飛び移ることが出来るようになっているイメージだったので、板を組み合わせてどうやって作ればいいのかわかりませんでした。 考えていくうちに、細長い板を3枚立てて、その間に床になる板を差し込み、縦の板にところどころ穴をあけて通れるようにしたらいいのではないかと思いつきました。 次に思い浮かんだのが、建築家の藤本壮介さんの、正面が五角形の家の形をした立体が、ランダムに積み重なったトーキョーアパートメントという建築です(興味がある方は検索してみてください)。 藤本壮介さんの影響なのかわかりませんが、家の形を単純化したような五角形をデザインに使うことが、ちょっとしたトレンドだったこともあり、取り入れてみようかと思いました。 その結果出来たのが、この案です。 ツリーハウスのように、宙に浮いた家が、上下左右、交互に並んでいるという感じです。 猫がその家から家に移動できるように、縦板や横板に穴が開いています。 またベランダのように、外に突き出した部分もあります。 板の穴に板の突き出たところを差し込んで、簡単に組み立てられるようになっています(たぶんなっているはず…)。 また、作る過程でハンモックがあるといいという話を聞いたので、一番上には布をハンモック状に取り付けることにしました。 妻に見せたところ「猫を飼っている人に意見を聞いてみる」と言っていましたが、あまり反応がよくなかったらしく、それからはなしのつぶて。 どうやらボツになったようでした。 というわけでアンビルドになってしまったのですが、もしかするといつか自費で作るかもしれません。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-07-27 15:21
| アンビルド
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(そろそろネタ切れが近づいています) 最初に発案したのは15年前で、8年ぐらい前に少しだけバージョンアップしました。 そう思いついて、実際に設計してみました。 木造の住宅は、通常、細かく仕切られており、不整形で、1階と2階が違う大きさであることが多いです。 それに対応した構造の考え方があり、それは壁を耐震要素としています。 従って、間仕切りの壁がある程度必要になり、プライバシー重視で細かく部屋を仕切ってきた、戦後の日本の住宅志向に合致していました。 ところが、最近は(というかこの頃は)、広い空間のニーズが高まっており、大きな吹抜け空間なども好まれる傾向があります。 整形の総2階だと、構造的に有利で、内部に壁がなくても成り立ち、余剰空間が出来る可能性もありますが、その分、フレキシブルです。 家族の成長や高齢化にしたがって、建てた当時と、30年、40年経ってからでは、便利な間取りが変わってくるということもわかってきました。 簡単にシミュレーションすると、 1.夫婦2人で家を建てる 2.子どもが1人生まれる 3.2人目が生まれる 4.1人目が大きくなって個室1が必要になる 5.2人目の個室2が必要になる 6.1人目が大学か就職で出ていき、個室1が不要になる 7.2人目も出ていって、個室2が不要になる 以上のような流れで、間取りのニーズが変わってきます。 1.2.3の間は、夫婦の寝室が1つあればいいですし5.の段階では寝室(個室)が3つ必要になります。 これは1例ですが、夫婦を別室(いろいろな夫婦のスタイルがあるでしょうから…)にする可能性もあるし、子どもがいなくなったら趣味の部屋を作ったり、書斎をつくりたくなるかもしれません。 いずれにしても、当時の一般的な住宅では、こういったフレキシブルさがありませんでした。 一方で、今もそうなのですが、家は出来たときに完全な形ではなく、バージョンアップしていけるほうがいいのではないかと考えていました。 完全に作りこんだものを作ってしまうと、経年とともに汚れたり壊れたりして、だんだんと良さが損なわれてしまいます。 ところが、少しずつ足していけるようにすれば、だんだんと良くなるか、維持できる可能性があります。 つまり、壁を増やしたり、仕上げの塗装をしたり、設備を更新したり… ここで、設備の更新の発想ですが、ちょっと説明が必要かもしれません。 特にキッチンなのですが、新築の住宅を作るとき、お客さんのニーズに合わせてシステムキッチンを購入すると、非常に高価なものになって、全体の予算を圧迫する傾向があります。 一方で、新築一戸建てではほとんど使われず、アパートでよく使われているようなセクショナルキッチン(一体化していない流しやコンロ台を並べたもの)なら安いし、2人暮らしならボリュームとしても簡易なもので間に合うでしょう。 キッチンは10年も使えば、流しやコンロ回りなどが汚れて、かなり老朽化してしまい、その後の長い期間、その老朽化したものを使うことになります。 10年ぐらいで、半額のものを取り替えた方が、むしろ清潔で快適かもしれないし、収入の増加によって、高価なものに買い替えるというのもいいのではないかと思います。 キッチンを含む、水回りの設備は、普通の家具などと比べると寿命の短い消耗品なので、最初から高価なものを使うと、長い目で見るとバランスが悪いです。 話がそれました。 当初はキッチン、浴室、トイレもなく、2階の床もない(床梁だけがあって、床を作ることは出来る)、がらんどうの空間を考えていましたが、設備配管や法律的な問題で、難しいことに気づき、それらは(階段を含め)最初から作っておくことにせざるを得ないという結論に達しました。 最初は大空間で使いつつ、ある程度、間仕切りの位置も想定して、オーダーメイドするというスタイルに落ち着きました。 壁や床はベニヤのままで、ホームセンターで材料を買ってきて、DIYで床を張ったり、壁のクロスを貼ったり、塗ったりすることも出来ます。 子ども部屋などの個室を仕切る場合は、間仕切り壁を作るだけなので、自分でも出来ないことはないですが、ドアを付けるのは難しいと思うので、大工さんに頼んだ方が確実ですが、それほどお金もかからないと思います。 ガイドラインを作って、お客さんに考えてもらうことにして、シミュレーションしてみた結果「なんだかパズルみたいだな」と思ったので、名前をPUZZLE(育てる家)としました。 15年前に考えて、お蔵入りになっていたのですが、8年前に土地を開発して分譲している事業者さんに提案して、広告に載せてもらったこともありました。 しかし、残念ながら実現しませんでした。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-06-15 12:01
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釜石に来て1年半ぐらいたった2013年10月ごろに、釜石の町中を「こうしたらいいんじゃないか」と思って、簡単にスケッチを描きました。 当時は釜石の町中のかさ上げに関する方針が、定まったか定まっていないかという時期だったと思います。 釜石の町中は、津波の浸水高さが建物の1階の天井から2階の床ぐらいで、被災した建物が全て解体されるわけではなく、直して使われているものもありました。 そのために一部をのぞき、かさあげしないままに町が復旧され始めているところでした。 現在の市民ホールTETTOや、情報交流センター、イオンタウン、タウンポートがあるフロントプロジェクト1のエリア以外は、特に大きな区画整理や、造成の計画もないようでした。 一方、私が住んでいる間にも、津波の警報が発令されたことが何度かあり(結果的には町にまでは到達しませんでしたが)、数十年以内に、東日本大震災の揺り戻しで津波が来るとも言われていました。 かさ上げもしないで大丈夫かな?と思ったのと、町中には駐車場がないという声を聞いていたことがあり、考えたのがこの案です。 商店街となっている大通りは、津波が来たとしても人的被害が少ないように、1階を駐車場として、2階を店舗にするという。 そのために現在歩道となっている部分に、空中歩廊を作って、そこから各店舗にアプローチできるようにします。 2階に店舗の入り口があるというわけです。 そして、空中歩廊からは、高台である薬師公園、石応寺、市役所方面(図では見切れていますが)に、地盤面に降りることなく避難でき、津波に飲まれる危険が軽減できます。 道路の海側の歩廊からも、歩道橋のようになった部分から道路を横断して避難することができます。 歩行者専用の通路なので、障害もなくスムーズに避難することが出来るでしょう。 そして、平時は歩車分離の町となります。 歩道から歩廊には、階段や、車いす用のリフトなどを使って上がることが出来ます。 TETTOは、まだありませんでした。 考えてはみたものの、誰に提案してよいかもわからず、またおそらく、この時点ではすでに東部地区の復興計画が固まっていたでしょうから、受け入れられる可能性もなかったと思います。 そんなわけで、はじめからアンビルドになることはわかっていたような案でした。 丹下健三さんも、東京計画1960という架空の都市計画を提案していますが、建築の仕事をしているうちに、町全体のデザインについて考えることはありますね。 (恐れ多い?) ▲
by 3839ttsy
| 2020-05-24 18:30
| アンビルド
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審査員長が復興ディレクターをつとめていた、建築家の伊東豊雄さんであり、被災地の中でもかなり早い時期のプロポーザルであったため、話題を集めました。 私は当時は本気で「建築家デビューのチャンスが来た!」と思い、チャレンジすることに。 それまでプロポーザルというものをやったことがありませんでした。 場所は釜石市役所の近くの天神町、当時、釜石第一中学校と、釜石幼稚園があり、中学校の校庭に仮設住宅が並んでいたところです。 釜石第一中学校と釜石幼稚園は解体することになっていたのですが、実は当社で(地元のK設計さんの協力業者として)、この解体の設計をした直後でした。 そのため敷地の形状や、周辺状況、高低差や、樹木の位置まで熟知しており、有利であるということも「チャンス」と思った要因の一つです。 提案するのは、被災者のための公営住宅である復興住宅と、こども園でした。 それに加えて、仮設住宅が建っている校庭などのところを、防災公園とする提案も含まれました。 現在はそこに市役所が移設されることになっていて、後から考えると、防災公園の提案はあくまでも「おまけ」のようなものだったのかもしれませんが… 当時と、その頃の、設計者としての心理もだいぶ違うところがあって、やはり津波のことは最重要課題という感じでした。 配置としては、中学校があった位置に、5階建ての復興住宅、幼稚園のあった位置に2階建てのこども園を計画しました。 東日本大震災の津波高さは、中学校の1階の天井あたりで、敷地には段差があり、海側の1階は、山側から見ると地下1階に見えます。 幼稚園のほうは、中学校の2階の高さが1階で、床下浸水程度だったということでした。 中学校の調査をしていて思ったのは、建物が長く、海側と山側を分断していることでした。 ![]() テラスは住民以外の人も公園の一部として利用することが出来ます。 また、国道に接続する幹線道路からのアプローチとして、屋上庭園になっているこども園の1階の屋根部分を通り抜けることも出来るようにしています。 1階の屋根から、2階の屋根まで登ることが出来、そのまま避難タワーにもなります。 高齢者の多い復興住宅の住民と、周辺の家の住民、こども園の子どもたちと接する機会を設けるという意図があります。 また、公園(災害時の防災公園)への近道として、利用することも出来ます。 ![]() 復興住宅の住戸内の間取りは、同じ年に設計した、大槌の復興住宅の間取りを、踏襲しています。 (やや手抜き?) 防災公園にはランドマークとして、発電用の風車を設置。 災害時は夜間でも(太陽光発電は夜間は発電できないので)電源をとることが出来ます。 頂点には復興の「灯」をイメージしたオブジェを。 応募は70件以上あったと記憶していますが、2次審査に選ばれた5名はいずれも有名建築家でした。 私の案は1次審査落ちでした。 結果的にはチャンスでもなんでもなかったわけですが、この後に続く、唐丹小白浜のプロポーザルでは、審査員の一人で知り合いの建築士さんから「伊東さんの評価はよかった」と言われたので、ステップにはなったのかもしれません。 (いずれにしても1次審査落ちでしたが…) プロポーザルで勝つのは有名建築家でも大変で、突然勝てることはなく、次点が何度か続いた後に、やっと勝てるという定説もあるようです。 このプロポーザルで選ばれたのは、平田晃久さんでした。 模型や完成予想図は、建築専門雑誌の新建築などにも掲載され、話題になりました。 住民相談会で基本設計からブラッシュアップされ、設計業務が完了し、約1年後、入札が行われました。 その頃、東京オリンピックの開催が決まり、復興需要とオリンピック需要が重なったために、建設工事が飽和状態になっていました。 建築家の設計の複雑な建築は、敬遠され、応札が少なく、しかも不調(予定の金額をオーバーして落札にいたらないこと)に終わり、計画は白紙に戻りました。 その後、設計と工事を一括で発注する方式で、もう一度プロポーザルが行われ、建築家の千葉学さんの設計で、復興住宅は建てられることになりました。 一方、こども園(現かまいしこども園)のほうは、平田晃久さんの設計で(おそらく再度、設計を見直し)、建てられることになりました。 千葉学さんは、天神町、唐丹小白浜ともに、2次審査の次点(6番目)で、天神町2回目のプロポーザルで権利を得、天神町のみならず、他2棟の復興住宅を設計しました。 前述の定説にも通づるところがあり、プロポーザルに勝つには、それぐらいの泥臭さが必要なのかもしれません。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-04-29 15:17
| アンビルド
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焦燥感、危機感、仕事がなく会社にいることの所在なさ。 ちょうどそのころから利用し始めていたツイッターで発した、つぶやきというよりも悲鳴。 「誰か仕事をー!」 その声に、沖縄の建築士の方が応えてくれました。 「コンペの案件があるんですが、やりますか?」 えっ沖縄の仕事!?と、やや及び腰になりそうになりましたが、一方で面白そうと思いました。 設計の仕事はデスクワークなので、どこでも出来そうではあるのですが、実際は現地に足を運ぶ機会がけっこう多いのです。 敷地調査、行政窓口へのヒアリング、各種申請、施主との打ち合わせ。 地元の工事業者を紹介できないということもあるし、工事が始まれば現場に見に行かないといけません。 現地の建築士と組めば、それも可能と思いましたが、実績がありませんでした。 しかし、何事もやってみないとわかりません。 「やります!」と返事をしました。 相手の建築士さんも、冗談だったのかもしれませんが、結果「じゃあやってみますか」ということになりました。 コンペとは複数の建築士が提案をして、施主が気に入った案を選ぶというものです。 沖縄では一戸建ての住宅でも、コンペをすることが多いそうです。 岩手で仕事をするようになってからもいろいろありましたが、地方によって建築の事情も違ったりします。 台風が頻繁にやってくる沖縄では鉄筋コンクリート造が主流ということでした。 施主のご希望は、もちろん鉄筋コンクリート造で、平屋、2世帯住宅で、開放的かつ外から中が見えない家… 開放的で外から見えない…? …とちょっと悩みましたが、答えは簡単、目隠し塀を作ってしまえばいいでしょう。 建物にあたる台風の風も軽減することが出来る、コンクリートの塀です。 若いご夫婦が主体になって、お父さんと住む家ということでしたが、2世帯に完全にわけたいという希望もありました。 大きくゾーンを考えると、プライバシー重視の夫婦の寝室ゾーン(赤)、夫婦専用ながらもお父さんを招いて食事もできる半共有のLDKゾーン(オレンジ)、そしてお父さんの一人暮らしが完結できるゾーン(黄色)の3つが考えられます。 斜めにしたことで、小さい余白がいくつもできて、プライバシーを守ったまま、各部屋が屋外に開放されます。 この案を、沖縄の建築士Mさんに送りました。 「これは面白い!」と言ってくれて、模型を作ってコンペに挑んだそうです。 これでコンペに勝って仕事が取れたのならドラマチックなのですが、現実はドラマではなく、さらにこれはアンビルドシリーズ… やっぱり、負けてしまい、当社はさらに危機的な状況に陥っていくのでした。
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by 3839ttsy
| 2020-04-14 17:58
| アンビルド
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10年ほど前、ハンスグローエというドイツの水栓機器、衛生陶器メーカーが「日本の風呂」というテーマで、自社製品をつかったデザイン提案を募集していました。 最優秀賞金は20万円で、応募要項には、優秀作品は実際に作って海外の見本市などで展示することもあると書いてあったように記憶しています。 建築家デビューを目指していたこの頃、海外で展示されるというのも魅力で、挑戦してみることに。 日本の風呂というキーワードから考えたのが、露天風呂、数寄屋造り、枯山水の庭です。 ハンスグローエはヨーロッパのメーカーですから、浴槽は日本のものと違い、床に置くようなタイプのものです。 それをどうしたら、露天風呂になるのか? 思いついたのが、浴槽を縁側に置き、掃き出し窓を開ければ露天風呂になるというアイデアでした。 建物はハンスグローエの製品に合いそうな数寄屋造りにし、庭は枯山水で、四季を感じられる紅葉を植え、庭を見ながら入浴できるように。 桂離宮のように月見台があって、入浴後は月を見ながら涼めるようになっています。 これならヨーロッパの人の心をつかみそうな、新しい日本の風呂のスタイルだと思いました。 問題はこれをどう表現するかでしたが、このころお世話になっていたカフェのマスターで、CGクリエイターのmacBONさんにお願いしてみました。 入賞したら賞金の半分をお渡しするという条件でお願いしたところ、快く承諾いただきました。 正直、ここまでのものが出来ると思っていなくて、申し訳ないほどでした。 ハンスグローエの商品は、データなどがあったわけではなく、カタログを見てパーツ作成。 椅子はハンス・ウェグナーのデザインのものをお願いしたのですが、これもネットで拾った写真からCGで再現していただきました。 こんなに詳細に、リアルに出来るものなんですね。 10年前のことなので、今はもっとパソコンのスペックも上がっているだろうし、クオリティも上がっているのでしょうか。 応募は99点あったということですが、残念ながら入賞はならずでした。 改めてmacBONさんすいませんでした。 あの時は、ありがとうございました。 渾身の作品にもかかわらず(特にCGが)選外だったため意気消沈してしまい、これ以来、アイデアコンペには応募していません。 ▲
by 3839ttsy
| 2020-04-04 17:35
| アンビルド
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