建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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![]() 青森駅の近くで宿泊したのですが、ベイエリアは施設や公園、遊歩道などが整備されていて、夜は橋がライトアップされていたりして、なかなかステキでした。 青森駅というと「上野発の夜行列車降りた時から」で始まる歌が思い出され、演歌調のイメージでしたが、全然違って、なんだか外国みたいでした。 ちょっとバルセロナやシンガポールのベイエリアを思い出しました。 A-Factoryや、ねぶたの家「ワ・ラッセ」など、新しくてオシャレな建物もあり、近未来的なイメージの三角形の建物、青森県観光物産館アスパムがランドマークになっています。 海沿いに整備されたデッキや広場は、夜歩いてもロマンッチックだし、朝の散歩にもよさそうでした。 ![]() こちらも日本とは思えないような雄大な景色で、思わず車を止めて、写真を撮りたくなるポイントがたくさんありました。 写真は萱野高原というところです。 八甲田山も通り、雪中行軍遭難者銅像を見ました。 7年前に、新田次郎さんの「八甲田山死の彷徨」を読んで、どんなところなのか気になっていたのですが、当時は、その場所に行く機会が訪れるとは思いませんでした。 ![]() ご存じのとおり、八甲田山の遭難事故は、日露戦争の前に、雪山行軍の訓練を行った210名の歩兵部隊が、わずか11人を残して凍死したという凄惨な山岳事故です。 小説はトラウマになるほど、強烈な内容でした。 吹雪が少しおさまって、救助に向かった捜索隊が、最初に発見したのが後藤伍長で、立って目を開けたまま仮死状態だったそうです。 銅像は、その様子を表しているということでした。 そして、後で調べてみたところ、なんとこの場所は、部隊が道を見失って、何日も行ったり来たりしたエリアの、ほとんど中心地といってもいいようなところだったのでした。 ![]() 今はこんな様子ですが、冬は銅像が埋まるほど雪が積もるそうです。 それでは道がわからなくなって、遭難するのもうなづけます。 とはいえ、この時期は八甲田山の周辺も素晴らしい景色で、ドライブにうってつけでした。 十和田市現代美術館を見た後、まだ時間があったので、三沢の寺山修司記念館に行きました。 三沢市には小川原湖という、大きな湖があり、これがまた美しいところでした。 ボキャブラリーが乏しく、何度も同じような表現を使って恐縮ですが、こちらもなんだか日本じゃないようでした。 というのも、三沢には米軍基地があり、その近くの小川原湖畔の一部を保養所にしているのか、リゾート地のようになっているんですね。 そこだけが、突如としてアメリカのようで、驚いてしまいました。 ![]() 記念館は、ちょっと倒錯したアヤシイ雰囲気なのですが、周囲の非現実感と相まって、強烈に印象に残りました。 以上が、昨日の日記と合わせて、全ての行程ですが、どこも素晴らしい風景で、青森があんなにいいところだとは思いませんでした。 西の日本海側のほうなど、他のところにも行ってみたくなりました~ もちろん、あったかい時期に限りますが^^; 幸せのデザイン (株)宮崎建築事務所 ▲
by 3839ttsy
| 2014-09-22 20:58
| プライベート
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