建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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実はその前の週末にも、行こうと思ってボランティア受け入れ情報を調べてみたのですが、適当な受け入れ先が見つかりませんでした。 実態は不明なままですが、いろいろな人から聞く話を総合すると、公的機関によるボランティアは、石川県が直接運営するもののみで、受け入れ人数が限られているということのようです。 ボランティアの延べ人数が、熊本地震の時の1/6ぐらいという話も聞きますね。 いずれにしても、昨年、秋田で参加したボランティアや、それ以前にも参加していたボランティアと比べて、容易に参加できない印象です。 そこでその週末は見送ったのですが、今回参加したのは、先週、釜石で自然学校を主宰しているIさんがフェイスブックで投稿しているのを見たのがきっかけでした。 Iさんは、すでに一定の期間、能登半島にボランティアに行っていて、次の週末からまた行くということでした。 そこで、私も参加できますか?とコメントしたところ、参加できることになったのでした。 しかも、素晴らしいことに宿泊も可能だということでした。 私は金沢に泊まって、1日だけボランティアをしてそのまま帰ろうと思ったのですが、現地で一泊して2日参加することにしました。 受け入れをしていたのは、RQ能登という団体です。 母体は一般社団法人RQ災害教育センターで、東日本大震災をきっかけに結成され、災害時はボランティアをしますが、普段は子どもに防災教育などをしたりしている団体のようです。 RQ能登は現地のメンバーが立ち上げ、輪島市門前町剱地というエリアで、ニーズを集めて、空き倉庫などを使い、ボランティアセンターを立ち上げたということです。 やはり民間の活動なので、スタッフも限られており、活動の規模もコンパクトと言えばコンパクトですが、その分、地域に溶け込んでいて、顔が見える関係が出来ていて、とてもいい雰囲気でした。 金曜日の夜に金沢まで一泊し、23日の朝、現地に行きました。 途中の道の状況がわからないので、3時間以上前に出たのですが、2時間かからずに着きました。 ところどころ、道路はつぎはぎで補修したようなところや、ちょっとした段差、土砂崩れで片側交互通行のところがありました。 途中のエリアでは、屋根瓦が落ちている家はたくさんありましたが、倒壊した家屋は見ませんでした。 門前町の立地は、輪島市の中でも、朝市などで有名な中心地とは30㎞ぐらい内陸よりだったため、イメージより早かったというところもあります。 活動するのは各3名の3班で、私は地震の被害があったお家の、家具などを運び出すグループになりました。 センターから歩いて行けるほど近くで、活動はいずれもその程度の距離に限られるようでした。 お家のほうへ行くと、家の玄関には応急危険度で「要注意」の黄色い紙が。 和風建築で、田の字型の座敷がある、2階建てのお家でした。 ちなみに、私の見た限りでは、門前町の地域の建物は、全て入母屋などの黒い施釉瓦と、下見板張りの外壁の和風住宅でした。 かといって、古民家ばかりというわけでもなく、平成の初めぐらいに建てられたと思われる建物もあります。 今風の薄い屋根材やサイディングの外壁は見かけません。 景観が整っていて、自然の風景とも溶け込んだ街並みでした。 日本にもまだこんなところがあるのかという感じです。 家の中は、柱や梁に漆が塗ってあります。 建具も本漆塗のものが多く、全般的に仕上のグレードが高いです。 三重県では、建具に漆が塗ってあることはあまりありませんし、柱や梁に至ってはゼロに近いと思います。 家の中は、建具のガラスが割れていたり、動かなくなっていたりしていて、ラスボードの壁もところどころ落ちていました。 一部、柱が土台から外れているところがあり、外から風が入ってきていました。 どうやら、それが黄色の紙の理由のようです。 作業は家具などの処分と、その土台から柱が外れた部分に、風や雨が入らないようにブルーシート張りでした。 また、青森の人から支援で届いた、りんごジュースをお渡ししました。 このように、全国から支援があることを伝えることも、被災した方の心の支えになるということでした。 作業は16時ごろに終わり、届いた支援物資の荷下ろしがありました。 支援物資は、愛知県の渥美半島から届いており、大量の水とブルーシートでした。 運んできたのは田原市の農家の方と、絵描きさんでした。 比較的震源地から遠く、内陸に近い門前町でも、水道や下水道はまだ完全ではありませんでした。 お風呂は自衛隊が提供していて、ボランティアも入ることが出来るそうなので「いいのかな?」と思いながら行ってみることに。 ちゃんとした銭湯か温泉施設のようになっていました。 着替えの棚とカゴがあって、中に入ると洗い場にシャワーがあり、シャンプーやボディソープも置いてあります。 浴槽は4,5人入ることが出来るものが、4つ並んでいました。 地元の方と思われる方が、次々といらっしゃっていましたが、十分なキャパシティがあるようでした。 お風呂に入った後は、宿泊施設に移動しました。 団体で借りている建物で、みんなで食事をして寝袋で就寝。 その日は、今までになく人が多かったそうで、20名近くいました。 持って行った鈴鹿のお酒「作(ざく)」の一升瓶が、その晩の内に空きました(笑) 翌日は、やはり前日と同じように、家具の運び出しでした。 3名のグループでしたが、私は年長だったのでリーダーになってしまいました。 いつものことですが、出来れば平メンバーのままでいたいですね。 午後は、グループの組み替えがあって、倒れたコンクリートブロック塀の片付けでした。 こちらはなかなか重労働でした。 ところで、このボランティアに誘ってくれた釜石のIさんは、ボランティア作業ではなく、コーディネーターをされていました。 何か作業をしてほしい人の「ニーズ」を集めて、各地からやってくるボランティアに、作業を分配する仕事です。 この働きによって、ボランティアが十分力を発揮できるか決まってくるので、難しくて重要な役割です。 前日とこの日の午前は、金沢在住の方がされていたのですが、午後は用事があっていなくなって、Iさんが中心で行っていました。 Iさんは東日本大震災では、被災しているのですが、その後の災害で、経験を生かして有効な支援を行っています。 個人的にも、地元の漁師さんから昆布をあずかって、地域の方に渡していました。 まさに相互自助であり、災害支援には民間のボランティアの活動が有効かつ重要であると、改めて思いました。 2日目の活動が終わった後、Iさんと一緒に記念撮影をして、鈴鹿に帰りました。 最後に被害状況についてですが、門前町剱地地区は、赤や黄色の張り紙の家は多いですが、倒壊家屋は見ませんでした。 最北端の珠洲市が最も震度や被害が大きかったそうなので、さらに北に行くにしたがって、それらも増えていくのだと思います。 輪島の中心地は大規模な火災もありましたし、珠洲市では津波もありました。 今回はその地域まで行く時間がなく、行っていません。 2日目の朝に、少しだけ北上してみたところ、黒島地区というところで、倒壊家屋が多くみられました。 なお、後でわかったことですが、ここは旧角海家という重要文化財で、左手の奥のほうに倒壊した、主屋が少し見えます。 この周辺は、道路も液状化によって陥没したり、波打っているところが多いです。 あくまでほんの一端を見たにすぎませんが、改めて今回の災害の大きさを実感しました。 今後もボランティアを含め、なんらかのご支援が出来ればと思います。
by 3839ttsy
| 2024-03-25 22:27
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