建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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引っ越しと言っても、借りたアパートは家具が一式揃っているタイプだったので、荷物はそんなになく車一台でやってきました。 東北自動車道を走ると、途中まで桜が咲いていましたが、宮城県に入ったあたりからは、まだ咲いてませんでした。 あのころの不安と期待の入り混じった心境は、今でも時々思い出します。 ちょうど40才になった年でしたが、知り合いは一人もいない、見知らぬ土地に来て、新しく会社で働く。 家業なので、もう就職することはないと思っていたのですが、下請けとしてカクタ設計さんに席をお借りすることになり、他の会社に転職したような気分でした。 季節もちょうど春で、新卒、新入社員の時の気持ちを思い出したりして、若返ったような気にもなりました(大いなる錯覚ですが)。 必要な雑貨関係は、近くの薬王堂で購入して、鈴子や青葉通りの仮設商店街でランチを食べる。 まだ、町中には本設のお店はほとんどありませんでした。 最初の仕事は、大槌の復興住宅で、県からの発注業務でした。 被災して家をなくした方々のお家を作るということで、自分が出来る最高のものを作ろうと思いました。 通常、当社で扱うよりも大きな物件だし、気候風土や慣例が違い、勝手がわからない所もありましたが、とにかく一生懸命やるという感じでした。 そういうフレッシュな気持ちで、仕事に取り組むことができたのは、本当に幸せだったと思います。 それから今に至るまで、釜石、大槌、山田、宮古で公共工事、民間施設の再建工事などを担当させていただきました。 仕事のやり方の違いや、デザインに関する感覚の違い、工事業者さんのマインドの違いなどに戸惑いましたが、それぞれ出来る限りのことをしたと思います。 基本設計を現地で私が行い、実施設計を鈴鹿のスタッフが行うというスタイルを考えて実行し、それはなかなかうまくいきました。 自分の仕事のためだけでなく、岩手沿岸の復興に貢献したいと思って移住したところもあり、最初はともかくボランティアをしました。 釜石の社会福祉協議会が運営している災害ボランティアに参加し、そこから仕事以外の仲間ができました。 チーム023というグループというかネットワークのようなものがあって、地元の人や、ボランティアにやってきた全国の人とのつながりができました。 さらに、東京在住のメンバーの一人が開催したイベントの手伝いを通して、応援で来ている市役所職員や釜援隊のメンバー、有志でなにかやろうとしている地元の人、Iターンで来ている人などとつながるようになりました。 それで始めたのが、尾崎100年学舎と、劇団もしょこむでした。 もともと尾崎100年学舎の壮大な復興、まちおこし構想の一部でもあった、釜石大観音仲見世のリノベーションをはじめたのは、その少し後。 釜石に来て3年経った頃でした。 釜石全体としても、ある程度インフラも整いつつある中、生活や文化や産業について考え始めた頃ではないかと思います。 個人的にも、建設や建築工事が軌道に乗り始める中、建物を設計することによる貢献度はあまり大きくないと感じるところもあり、本質的な課題を模索し始めたところでもありました。 そして、なりわいや文化の復興なくして、地域の持続は難しいと思うようになっていました。 尾崎100年学舎ではトレッキングや漁業体験による観光の推進、劇団もしょこむでは演劇や文学の振興、そして釜石大観音仲見世の復興による観光の再生をめざすことにつながりました。 ただし、尾崎100年学舎と劇団もしょこむについては、私がリーダーではないので、あくまでも私の思いとしてということですが。 その後、NEXT釜石さんが開催していた勉強会に参加し、島根県の海士町の視察に行ったことで、市内高校の魅力化ということについても貢献したいと考えるようになってきています。 海士町の山内元町長は「まちづくりはひとづくり」という理念のもと、島の高校の魅力化に取り組んだそうです。 まさにその通りと共感しました。 文字通り身一つでやってきた釜石ですが、結婚もして会社として不動産を持つことにもなりました。 全く接点のなかった職業や属性の人から、さまざまな刺激を受けました。 多くの人との出会いと別れがありました。 震災から11年を経て、釜石で出会ったIターンの人たちは、次々と地元に戻ったり、他の地域へと移り住んだりして、かなり少なくなりました。 私自身も、復興工事と呼ばれる建築工事がほとんど終了し、本業の設計が少なくなる中、現在も行っているコワーキングスペースの運営も含めた、仲見世の不動産事業で「稼ぐ」ことが出来るかが生命線だと思っています。 とはいえ得意なのはもちろん建築設計なので、もし設計のお仕事があれば、ぜひご依頼いただければと思います。 最後がどうも綺麗じゃないですが、仕事がないと続けることができない、これが単純かつ動かしがたい復興支援のリアルです。 釜援隊からフリーランスとなった妻ともども、お仕事お待ちしております。 また、コワーキングスペースco-ba釜石の会員、仲見世でお店を始める人もひきつづき募集しております。 冒頭の写真は、引っ越した年に薬師公園から見た、桜と市街地の風景でした。
by 3839ttsy
| 2022-05-01 15:00
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