建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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津波があった時の気持ちは、なかなか言葉では言い表せないし、今となっては記憶も薄れつつあります。 その日から、3週間は経っていない時期に、釜石やその他の被災地域を訪れ、破壊された町、瓦礫の山を見た時、この地域の再建のために働こうと思いました。 でも、それからすぐに動き出せたわけではなく、どうすればいいか悩んだり、迷ったりもありました。 その時は、東北に引っ越して、東北で働くということは、想像の及ばない、絵空事のようにも感じました。 半年ほどは、自分の中で考えているだけで、人に話すことはなかったと思います。 ツイッターで、つぶやいていたような気はしますが。 半年ほど迷った挙句、3月に訪問した時にお会いした遠野の人に相談して、カクタ設計さんを紹介していただきました。 結局、このご縁が奇跡だったと思うのですが、それから、釜石営業所の仕事を下請けとしてさせていただくことになりました。 当時は、住むところも不足していたのですが、アパートの手配までしていただきました。 翌年4月にそのアパートに入居し、知り合いもいない地に住んで、勝手のわからない仕事を始めることになりました。 まるで新入社員に戻ったようでした。 その時は、二拠点居住という言葉も、リモートワークという言葉も、聞いたことがありませんでした。 zoomもまだなく、スカイプを使って鈴鹿の社員と打合せをしながら、クラウドサーバーを借りて、なにもかも手探りで、釜石と鈴鹿の仕事をしました。 被災地にはいろいろな人が来ており、優秀な人、有名な人ともお会いしました。 有名建築家の人と話をしたり、ある時は、一緒にお酒を飲むという、夢のような機会もありました。 釜石は復興ディレクターとして、伊東豊雄さんが何度も足を運んでおられて、復興住宅のプロポーザルが行われました。 私も建築家への夢を抱いて、プロポーザルに参加しましたが、足元にも及びませんでした。 プロポーザルで選ばれた案は、華々しく雑誌にも紹介されましたが、その頃、開催が決定した東京オリンピックの需要が重なり、建設需要が過熱して、建築家の難しい工事は敬遠されるようになりました。 結局、2つのプロポーザル案件が白紙になり、復興住宅の建設も数年、遅れてしまう結果となりました。 その後も、復興住宅のプロポーザルに参加しましたが、一度も仕事が取れることがありませんでした。 途中から無意味なプロポーザルの無償労働に嫌気がさしました。 データを取ってみたところ、チーム全体の労働時間を1人分に集約すると、約1か月の労働が無駄になります。 完成した建物を見ても、新しいアイデアや、デザインも見受けられず、プロポーザルが必要だったとは思えませんでした。 そんなこともあり、ある段階から建築設計という業務で、復興に貢献することは難しいと感じるようになりました。 もちろん、自分に出来る限りの提案、デザインは全ての業務において行いましたが、却下されることもあります。 釜石では、鈴鹿でする仕事する時より、提案が通りにくいということを感じるようにもなりました。 そんなことが続くと、そもそも私の設計は、釜石には求められていないのではないかと思うこともありました。 仕事以外にも、復興の一助になると思いボランティアや、イベント、まちづくり活動などを行ってきました。 災害ボランティアのチーム023に所属して、瓦礫の片付けや、仮設住宅への引っ越し、仮設住宅から再建した住宅への引っ越しの手伝い。 被災した印刷会社の活字を使った、詩の作品展のスタッフ。 釜石からの手紙という活動のスタッフ。 アウトドアブームを視野に入れた、尾崎半島トレッキングコースの整備活動。 震災をテーマにした演劇を行う劇団の立ち上げと、そのメンバーとしての活動。 そして、今行っている、釜石大観音仲見世のリノベーションなど。 ほとんどシャッターを閉めてしまい、再投資もされていない商店街の再生活動です。 最初は、イベントや、DIYで環境改善するボランティアを行っていたのですが、3年前から、自社でコワーキングスペースを運営することになりました。 不動産を設計するだけの業務から、自ら不動産を経営するという業務拡大の第1歩となりました。 釜石大観音仲見世のリノベーションは、再建工事に携わってきた中で、ある時から「このままでは釜石は復興できない」と感じるようになったことがきっかけで、取り組むようになりました。 新しい建物は出来ましたが、前述したように有名建築家の設計で出来るはずだった建物が建てられなくなったり、工事費の高騰により、建築家をもってしても、大した作品が作れない(歴史に残る建築には必然的にお金がかかります)という事情から、期待されたほどのものは出来ませんでした。 また、釜石を訪れる人を案内するとき、案内出来るところが大してありません。 自然のアクティビティを体験したり、釜石の人と交流したりするというツアープランは、以前から企画されていましたが、コンセプトは素晴らしいものの、実際はキャパシティが小さく、観光産業と呼べるほどではありません。 岩手県内の主要な内陸の地域と比べると、平泉のような観光スポットもなければ、温泉もありません。 食べ物は全般的においしく、食材も豊富なのですが、安定的に案内できる飲食店は少なく、日曜日はどこも開いていないなどの問題もあります。 また、震災遺構が近隣の地域と比べて、早い段階でなくなったため、被災地を見て、震災の恐ろしさを感じてもらうということも難しいということがありました。 少子高齢化と、若い世代の都市部への流出により、人口は減っていき、税収は減る。 求人情報を見ると、給与の少なさに驚きます。 小学生の時、東北の人は東京に「出かせぎ」に行くと、社会の授業か何かで習いましたが、そういうことかと実感しました。 産業を発展させ、税収を増やさないことには、これまで建設にかかわってきた建物、かかわっていないけど、立ち上がってくるのを日々眺めていた建物が、維持できないことがわかってきました。 自分の力で出来そうなことを探す中で、思いついたのが、釜石大観音仲見世のリノベーションでした。 釜石大観音は訪れる人は最盛期の1/4と言われていますが、少なくとも釜石を象徴する第1の観光スポットであり、新しく出来た施設によって、順位が入れ替わるということもありませんでした。 仲見世は木造2階建てで30坪前後の、小規模な建物が20軒ほど並んでおり、新築と比べればかなり小さい投資で、商業施設として再生することが出来ます。 全部リノベーションしても、2億円ほどあれば十分です。 ちなみに、自社でDIYも含めて工事したコワーキングスペースは450万円ほどなので、同じ規模とすると、1億円でも可能です。 その後に、リノベーションしたカフェ(sofo cafe)も、同じぐらいの400万から500万円の間に収まっています。 参考までに、新しく作られた、魚河岸テラスの建設費は約5億円。 店舗数は飲食店が4店舗と、物販が1ヶ所、規模としても仲見世より小さいです。 しかも、それはスケルトンの予算であり、入居した飲食店が、さらに設備投資しています。 大したお金や力もない自分が、専門知識と経験を使って出来そうなこととして取り組み始めたのが、誰も省みていなかった、釜石大観音仲見世のリノベーションだったのでした。 最初は、イベントやボランティアを行い、入居者と空き店舗のオーナーをマッチングしようと考えていましたが、思うように進まず、前述したように額は少ないながら、不動産投資を自らするようになりました。 そして、地域おこし協力隊の力を借りて、カフェやゲストハウスのリノベーションも行いました。 ようやく注目が集まりかけ、潜在的な出店マインドを感じるようになった矢先、去年はコロナ禍に見舞われ、停滞しましたが、今年からも引き続き、仲見世のリノベーションに取り組み、私なりの復興の努力を続けていこうと思います。 ある人に聞いたことですが、三陸沿岸の地域には「津波の後には、人がやってくる」という言い伝えがあるそうです。 昔から、津波は大きな災厄だけど、外から支援の人がやってくることが、明るい要素としてとらえられていたことが感じられます。 10年を迎えて、辛い経験をした被災地のみなさんが、明るい未来を享受できるように、少しでも力になりたいと改めて思います。
by 3839ttsy
| 2021-03-11 17:55
| 東日本大震災
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