建築・企画・設計・監理
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しばらく更新が止まっていましたね。 アンビルドシリーズは、これで最後になるかもしれませんが、ボリュームがあるので、数回に分けて投稿したいと思います。 テーマは世界遺産熊野古道と共生する建築です。 こちらは2008年にアイデアコンペに提出したものです。 募集されていたテーマが「世界遺産と共生する建築」であり、当時三重県に住んでいた私が選んだ世界遺産が(近場の)熊野古道でした。 熊野古道をのべ10日以上歩き、図書館で熊野古道のこと、世界遺産のことを調べ、図面を描き、パースも4,5枚書き、模型を作り、さらに、アーティスト、美術の先生、写真家など、いろいろな人も巻き込んでプレゼン資料を作ったのですが、なんの賞ももらえませんでした。 おそろしく時間がかかり、お金もそれなりにかかった割に、何にも残らなかったので、これは一体何だったのかと、しばらく腑に落ちない気持ちでしたが、今にして思うと、この時以来「考える」ことが出来るようになったように思います。 そういうところからすると、このアンビルドシリーズの起点になった出来事でもあるかもしれません。 (何にもならないことを、さらに積み重ねているだけのような気もしますが…) 記録によると、この年の2月末ごろから、熊野古道を歩き始めています。 熊野古道というのは、都(京都)から熊野(熊野本宮)に至る昔の道のことですが、一つではなく、複数のルートがあります。 大きくグループに分けると、大阪の南部を通って、紀伊半島の西側、和歌山県の主要地域を通るルート。 伊勢神宮を経由して、紀伊半島の東側、三重県を通るルート。 そして奈良県を通って、山深い土地を直進するルートの3つになるでしょうか。 実際には、さらにいくつかの道に分かれています。 このうち、奈良県を通る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)や、高野山を起点とする小辺路(こへち)は修験者が、修行のために通る道ということだったので省略し…三重を通る伊勢路と、和歌山西部から熊野本宮に至る、中辺路(なかへち)、などを歩きました。 2ヶ月ほどの間、週末ごとに少しずつ、お遍路でいうところの「区切り打ち」のようにして歩きましたが、肝心の「建築」については、何も思い浮かびませんでした。 ゴールデンウィークに最後の現地調査として、那智大社から、熊野本宮へ向かう大雲取越(おおくもどりごえ)、小雲取越(こくもどりごえ)というルートを、テントをかついで歩いたときのことです。 (ちなみに、那智大社と、熊野本宮大社、それに新宮にある熊野速玉大社を合わせて、熊野三山と言います。熊野詣とは、この三山をめぐることであったようです) 有名な那智の滝を見た後、那智大社の脇から、上りの山道に入り、上りきったところに、少し広い場所があったので、そこにテントを張って一泊しました。 那智大社は沿岸にあり、熊野本宮は内陸にあります。 翌朝、熊野本宮の方角に歩き始め、ある程度進んだときに、ふと振り向くと海が見えました。 その時、ひらめきました。 それまで、ずっと、悩んでいることがありました。 文献で調べたところによると、世界遺産というのは、なるべく昔のままで残さないといけないものなので、その周辺に建物を建ててはいけないのです。 それなのに、どうやって共生する建築を実現するのか?と。 「そうか!海の上に作ったらいいではないか!」と思ったのでした。 それだけ聞くと、やや唐突な感じがするかもしれませんので、もう少し説明すると、那智大社の近くに補陀洛山寺というお寺があります。 そこでは昔、補陀洛渡海という捨身行が行われていました。 補陀洛というのは、観音菩薩がいるという極楽浄土のようなところで、南の海の果てにあると考えられていました(あくまで、この地方では)。 補陀洛渡海とは、そこへ向かって、お寺のお坊さんが船をこぎだすことで、衆生のために自分を犠牲にする、即身成仏に似た儀式です。 つまり、補陀洛に辿り着けないのは当の本人たちはわかっていて、ほとんどのお坊さんは難破するか、海の上で餓死する運命です。 (参考文献:『補陀洛渡海記』井上靖) その補陀洛に見立てた観光(宿泊)施設を、南の海上に作ったらいいではないかと思ったのでした。 海に浮かぶ、観音様…のように見える建築のイメージ… うーん、そうか。 今、釜石大観音の近くにいるのも、この時から運命づけられていたのかも? 世界遺産のエリアに抵触せず、しかも、熊野古道や熊野の歴史と関りがある風習をテーマにしていて、完璧な問題の解決だと思いました。
by 3839ttsy
| 2020-10-24 21:59
| アンビルト
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