建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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4回目の治療期間は、とにかく一番、いろいろやっていました。 シェアオフィスの図面を描きなおし、同じ建物の中で、テナントに入る検討をしてもらっていた、飲食店事業者の方に、レイアウトの提案をして、メールでやりとりしたりしていました。 それがひと段落すると、キャットタワーのデザインを考え始め、図面も完成。 一方で、釜石で開催されている勉強会の課題図書を読み、レポートを書いて、ベッドからユーストリームで参加。 また、この話を詳しく説明するのは複雑なので端折りますが、ウェブである募集記事をつくるため、ウェブデザイナーさんからのヒアリングを、食堂へ行ってスカイプで受けたりもしました。 読む本も、比較的ライトに読める小説などから、ビジネス書にシフトしていき、英語のヒアリングを鍛えようとYouTubeでBBCニュースを見たりしていました。 来月の社会復帰に向けて、焦りのようなものがあったのかもしれません。 治療開始から16日目、白血球が170でした。 底をうった感じで、これから回復傾向になるはずでした。 ところが、20日目になっても200台で、赤血球、血小板も少なく、ひんぱんに輸血を受けていました。 振り返ってみると、治療に専念しなかったことがいけなかったのかもしれないと思いますが、ともかくそういう状態でした。 話は前後しますが、治療開始19日目の11月20日、頭髪も体毛もほとんどなくなっていました。 頭髪は、8月に病棟で出張床屋さんにバリカンで刈ってもらって以来、ほとんど伸びませんでした。 ほとんどないながら、ちょっと残っている感じがカッコ悪いので、いっそのことスキンヘッドのほうがいいのではないかと思い、電気カミソリで剃ってみました。 普通の頭髪の状態なら、電気カミソリではとても太刀打ちできませんが、少ないのでうまく(?)スキンヘッドにすることが出来ました。 とてもスッキリして、この後の人生は、このままスキンヘッドでいこうかと思ったりしました。 抜けた短い髪が枕やシーツにつくので、ガムテープでペタペタして取っていたのですが、その作業もなくなりました。 体毛はすでにすっかりなくなっていました。 シャワーを浴びるときは、30代から常に出ていたお腹が、20代の頃のようにスッキリして体毛もなく、自分の体を見ると若返ったような気がして、むしろちょっと嬉しい気持ちになったりしました。 頭髪や体毛がなくなるのは、なんとなく予想していましたが、気が付くと、鼻毛やまつげまでなくなっていたのには驚きました。 毛はなくなる一方で、爪はすごく早く伸びて、週に2回ぐらい切っていたように思います。 3回目の治療時には21日目には、白血球が2000を超えて退院の計画をしはじめていたのですが、今回は22日目になっても、まだ220でした。 抗がん剤の副作用として肌が乾燥するのですが、冬だからか、これまでより乾燥の度合いが強く、ヒルドイドという塗り薬を多用しました。 この頃、少しニュースになっていたのですが、このヒルドイドが女性の肌にいいということで、治療ではなく、美容のために病院で処方を希望する人が多く、問題になっていると知りました。 ヒルドイドは、それを知るずっと前に処方されたものだったのですが、自分の中でありがたみが増して、積極的に使うようになりました。 11月25日、治療開始から24日目、雪が積もりました。 7月の下旬に入院して、夏の間中、病院で過ごしました。 それがついに冬になってしまいました。 こんなに長いこと仕事をしなかったのは、就職して以来初めてのことでしたが、しなければしないで、月日はどんどん過ぎていくものだと思いました。 治ってきたら、ヒマでしょうがないのではないかと思ったりもしましたが、そんなことはありませんでした。 この日の夜、夢を見ました。 実家で寝ていると、真夜中、裏のほうから「おーい、おーい」と父の声がします。 実家は西側が道路で、玄関などがあり、東側は裏庭になっていて、寝室などが並んでいます。 この庭のほうの、和室の掃出し窓(出入りができる床まである窓)のあたりで、声がするのです。 亡くなった父は、母を呼ぶ時などに、よくこのように「おーい、おーい」と言っていました。 その掃出し窓を開けてくれと言っているのだと思いましたが、私は父だとは思いつつ、なんとなく怖ろしい気持ちがして開けられず、隣りの部屋のベッドにもぐりこんだまま、どうしようか考えていました。 そんな場面で、目が覚めました。 悪夢を見ていて「はっ!」と目が覚めた時のような、悪寒がしました。 後からあれは、もしかすると父ではなくて、お迎えのようなものだったのではないかと思いました。 というのも、ある時、ツイッターで発見したのですが、看護師のマンガをネットで投稿している人がいました。 その人は、実際に看護師さんで、自分が体験した怪奇現象を、短編のマンガにしているのでした。 その中に、黒い服を着た人が患者さんのところに現れて、連れて行ってしまったり、危うく連れて行かれるところを、看護師さんや家族に止められ、一命を取りとめたという話がいくつかありました。 話の真偽はともかくとして、なんとなくそれらの話に似ていると思いました。 翌日も白血球は200台の前半で変化がありませんでした。
by 3839ttsy
| 2019-01-10 21:03
| 闘病記録(急性骨髄性白血病)
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