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(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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親知らずを抜いた25日はいろいろあった日で、7階のフロアで一番美人と私が密かに思っていた、看護師Kさんが応援でやってきて、初めて見ました。 Kさんは、その時いた部屋の担当ではなく、2回目以降の治療を受けた部屋の担当で、それからはよく会うようになります。 美人なのですが、ちょっとドジっ子です。 机の上にあった私の歯ブラシを、床に落してしまったのですが、水で洗って「はい」と渡すので、こっそり捨てました。 なぜなら、看護主任さんから、床はばい菌だらけなので、落ちたものを触ってはいけないと言われていたからです。 口に入る部分が床についたので、Kさんには申し訳ないけれど、大事を取ることにしたのでした。 ちなみに、カバンなども床に置いてはいけないと言われ、彼女が棚を買ってきてくれて、その上に置いていました。 歯ブラシは粘膜を傷つけたり、歯茎から血が出るといけないので、普段は使わない「やわらかい」タイプでした。 入院中、歯磨きは三食後、毎回していました。 それなのになぜか歯垢がすぐにたまりました。 味覚もちょっとにぶくなっているように思い、四六時中ヘンな味がしました。 歯みがきの水は彼女が買ってきてくれるペットボトルのものを使い、うがいした水はガーグルベースという器に出していました。 看護師さんが気付くと持って行って洗ってくれるのですが、今にして思うと、ある段階から「自分でやれ!」と思われていたような気がします。 以前にも書きましたが、重症のうちは看護師さんが、下の世話までなにもかもやってくれるのですが、治ってくると当たり前ですが、自力でしなければなりません。 しかし、人間甘やかされるとどこまでも甘えてしまうもので、一度経験すると自分で自分のことが出来なくなってしまいます。 おそろしいものです。 27日、抗がん剤治療35日目、吐き気もだいぶおさまってきて、1日寝ているのを退屈に感じるようになりました。 電子書籍で本を読もうと思い、2017年本屋大賞の「蜜蜂と遠雷」をKindleで購入しました。 本屋さんが選ぶ本屋大賞は外れがないと、ホリエモンこと堀江貴文さんの本に書いてあったので、新しいものから順番にさかのぼって読んでいこうと思ったのでした。 入院してから1ヶ月以上、ツイッターやフェイスブックはほとんど見ていないし、本を読もうという気にもならなかったことを考えると、この時点では、かなり復調していたのでしょう。 翌日28日、やはり、この病院はいつも突然のようです。 吐き気地獄も終わりが見え、少なくとも今日一日ぐらい平穏な日を送れるだろう思っていると、朝の回診でO先生が「11:30からCVポートの手術をします」と言うのです。 まさに青天の霹靂。 これが、親知らずを抜くどころでない、なかなかの大手術でした。 (ガンの摘出手術などをした人には怒られそうですが、私は盲腸の手術もしたことがないので…) なぜかレントゲン科に行くように言われ、歩いてレントゲン科に行きました。 「歩いて」というのは、以前はどこか他の病棟に行くときは、車椅子を看護助手の方が押してくれたのですが、だいぶ直ってきたので、自力で行くようになっていたのでした。 レントゲンを撮るために、何度か行ったことがあったエリアの奥に、手術室がありました。 顔にまでかぶさるように、例の「安全地帯」のビニールのようなものをかけられ、腕に血圧計を巻かれ、手術がスタート。 血小板の数が十分にあるか、確認するような会話も聞こえました。 抗がん剤治療をすると、血小板も少なくなるためで、あまりに少ないと手術が出来ないのだと思います。 右の胸の上というか、鎖骨の少し下のあたりに、「ちょっとチクッとしますよー」と局所麻酔を打たれました。 いつも思うのですが、麻酔注射はちょっとチクッとではなく、けっこう痛いです。 これもいつも通り「ここは痛いですか」と聞かれ、チクチクと刺されて「痛いです」というと、「ではもう少し注射します」ということを繰り返します。 痛くなくなると、「電気メスを貸してください」という声が聞こえ、皮膚を切開されました。 血圧は自動的に空気が入って締め付けたり、空気が抜けたりして、連続で血圧を測定しているようでした。 手術は思ったより時間がかかり、ポートをいい位置に持っていくために、ぐいぐい押したりするのが、なんだか無理やりのような気がして不安でした。 血が背中まで、たらたらと流れているのも感じて、これ以上流れないよう、早く終わることを祈りました。 途中「大丈夫ですか?」と聞かれたりしましたが、しばらくすると、取り付けが成功したようで、縫合に入りました。 何回か針と糸で縫っているらしき感覚があり「血が止まらない」という声が聞こえてきました。 もう一人の先生が、もっと何回も縫うようにと言いました。 やはり血小板の数が少なかったのでしょうか。 「いつもより余計に縫っています」(古い?)という感じの縫合も終わり、背中に流れた血もぬぐわれ、手術は終了。 1時間ぐらいかかったでしょうか。 「今日はバンザイはしないでください」と言われました。 病室に戻ると昼食が置いてあり、右腕を動かすと手術したところが痛いので、あまり動かせず、苦労して食べました。 バンザイどころか、水平まで腕を上げるのも無理でした。 食事が終わると、若くてかわいい看護師Aさんが来て「痛くないですか」と聞かれ、「痛いです」と答えたのに、これから歯みがきは流しのところへ行って、自分でするようにと言われました。 長く親しんだ、ガーグルベースは回収されました。 CVポートの手術は病気の治療ではないので、いたわられないようでした。
by 3839ttsy
| 2018-11-18 17:33
| 闘病記録
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