建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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最近、どういうものか宮古にご縁があって、続けていくつか仕事をさせていただいています。 今日は午前中、宮古市内をあちこちと移動していました。 一つは、去年設計させていただいた、災害公営住宅の工事監理で、今日は基礎コンクリートの打設立ち会いでした。 いろいろと専門用語が出ましたが、話の本筋と関係ないので、説明は省きます^^; 現場は宮古の中心市街地付近でした。 そのあと、今、解体設計のお手伝いをさせていただいている、小学校2ヶ所を見に行きました。 2年前も釜石で、小中学校の解体をさせていただきましたが、岩手では統廃合によって、廃校が増えているようですね。 最初に行ったのが、鵜磯小学校。 うっかりしていていて、図面が手元になかったので、ネットで調べていこうと思ったのですが、当然ながら廃校なので出ませんでした。 正確には、出ないというより、重茂小学校という統合された学校の地図が出てきてしまいます。 いくら探しても出ないので、もしかして名前が変わったのかもしれないと思い、そこに行ってみました。 国道を釜石方面に戻り、途中から半島のほうにそれ、海沿いをしばらく走った後、半島の内部の山道に入りました。 以前も書いたことがありますが、三陸の地形は、全般的に半島と半島の間の奥が町で、先端に行くほど、人が少ない山の中になるという特徴があります。 月山のふもとを通りすぎ、ヘアピンカーブを超えてさらに進むと、重茂小学校に着きました。 そこはまだ新しい学校で、解体される予定のものとは思えませんでした。 駐車場に車を止めて、アプローチの仕方を変えたりして、iPadで検索していると、隣に車が停まりました。 そこで、車から出てきた方に聞いてみることに。 小さいお子さんを連れた女性でしたが、「鵜磯小学校はどこですか?」と聞くと「ああっ!ここじゃないです!」と気の毒そうに言われました。 先ほどの、月山のふもとの分かれ道を、海側に曲がったところだったそうです。 なんと、その方は、鵜磯小学校の先生だったそうで、いろいろと教えてくださいました。 津波で校舎が被災して、使えなくなったので、去年までは、重茂小学校に間借りしているような形だったのですが、今年から正式に統合されたということでした。 地図で見ると、けっこう戻る感じで、グーグルの地図では車で30分かかるとありました。 仕方なくヘアピンカーブを逆戻りし、月山のふもとへ、そしてそこで進路を変え、半島の先端の海に向かって進みました。 途中、民家があるところがありましたが、鵜磯小学校の近くは、それ以外、何もないようなところでした。 校庭からは小さい湾から海が見え、どう見ても使われていない、水没しかけた港のようなものがありました(最初の写真)。 なんともさびしい風景です。 しかし、震災前までは、児童がいたんですね。 2時50分ごろで止まった時計。 おそらく、地震があった時刻ではないかと思いますが、校舎としての時間が止まったことを、象徴的に表しているように感じました。 人のいなくなった学校というのは、いいようのない物悲しさがあります。 次の目的地、千鶏小学校はナビで検索できました。 こちらも、鵜磯小学校と同じく、被災して重茂小学校に統合されたそうなのですが、なぜかナビに残っているんですね。 またヘアピンカーブのところに戻り、重茂小学校を通り過ぎ、曲がりくねった道を20分ぐらい走ったでしょうか。 半島の反対側の海に出ました。 入り口には「本州最東端の小学校」と書いた碑があります。 地図で見ると、ここから本州最東端の地と言われる、魹ヶ崎(とどがさき)も近いようです。 なにやら地の果てに来てしまったような気分になりましたが、近くに民家もあり、立派な漁港もあって、鵜磯小学校ほどの寂しさではありませんでした。 そういえば、隣の体育館は、まだ新しく、解体せずに利用するということを聞いたような。 しかし、いずれにしても母校がなくなる方がいらっしゃるわけで、その方たちには残念なことでしょう。 本州最東端の小学校は、どの学校が継承するのかも気になります。 校舎を見て回り、宮古での作業は終了。 そこで、ちょっと小休止して、気になっていた漁港で、ちょっと釣りをしてみたりしました^^; 釣れたらまた来ようかななどど思いつつ、ルアーを投げること数十投、当たりらしきものがあるような気もしますが、何も釣れず、干潮時刻になったので、断念。 (※小一時間程度です^^;) 帰路につくことに。 そこで地図を見て気が付いたのですが、ここから国道に戻るのが大変だったのでした。 宮古方面に戻ると、距離的にかなり遠回りになるし、そのまま進むと山田町との境あたり(つまり釜石側)で国道に合流するのですが、それが地図で見てもわかるほどの険しく長い峠道。 迷いましたが、明らかに進むほうが直線距離が短いので、そちらを選びました。 予想通り長い長い峠道でした。 また釣りにいくなんて、のんきなことを考えている場合ではありませんでした。 途中で思い出しました。 2年半ぐらい前、私が釜石に来て、まだ数か月の頃、所員を招いて、見学ツアーをしたときのことを。 盛岡から宮古に来て、被災地を巡りながら釜石に南下する予定でした。 宮古市街を過ぎて、国道が海から離れてきたので、国道からそれて海ぞいを進んで行ったら、果てしない峠道に迷い込んでしまったのでした。 途中でOさんが車酔いして、車を停めて休憩したりしました。 やっと国道に戻った時は、あまりの嬉しさに、歓声をあげて喜びました(笑) たぶん、同じ道を走ったと思うのですが、山田湾のカキの養殖場が見えた時に、思わず「やっと抜けた!」と声に出してしまいました。 あれから、だいぶ半島の峠道に慣れたような気がしていましたが、気のせいでした。 宮古の重茂半島は、三陸地方の中でも、とりわけ山が深いようです。 幸せのデザイン (株)宮崎建築事務所
by 3839ttsy
| 2014-10-11 20:22
| 東日本大震災
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