建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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その豊田市美術館を設計された、谷口吉生さんが12月16日に肺がんのため亡くなられました。 大学を卒業してすぐに名古屋の工務店に就職し、配属されたのは豊田営業所でしたが、それはあまり関係がありません。 大学の時も、会社に就職した時も、また設計に転向してしばらくの間も、実は建築家の作品である建築には、それほど興味はありませんでした。 興味が出始めたのは、まさに豊田市美術館を見てからではなかったかと思います。 それは設計に転向してから、2年目ぐらいのころ飲食店の設計依頼があり、豊田市に類似の物件を見に行きました。 その時に、父である所長と、私の他もう1名の所員がいて、その所員のすすめで豊田市美術館に行ったのでした。 駐車場を降りて、坂を上っていくと視界が開け、豊田市美術館が現れました。 その時、父である所長が「ああ、これはいいなあ」と言ったのでした。 広々とした高低差もある敷地に、完全なバランスで建物とランドスケープ、そして屋外展示の美術作品が配置されていました。 広い水盤もあって、豪華なつくりでもありました。 でも、その時は、その設計をしたのは、谷口吉生さんという建築家であることを覚えて、認識することは出来ませんでした。 その後はだんだんと、建築雑誌などを見るようになり、ある時、ニューヨーク近代美術館の別館を、日本人建築家が設計したことを知りました。 それが谷口吉生さんでした。 また縁のある豊田市美術館で、そのことを記念して、谷口吉生さんの作品展が開催されるのを知り、見に行きました(2005年12月4日の投稿記事)。 そこで知ったのが、葛西臨海水族園です。 アイデア満載の建築に感動して、ぜひいつか見たいと思いました。 約2年後に、東京周辺の建築をみる旅行を計画し、その一つとして見に行くことになりました(2008年1月4日の投稿記事)。 建築のデザインとしては主張が少なく、自然そのものという感じで、主役はあくまでも水と水の中の生き物。 立体的な動線と光のみをデザインしているというイメージ。 他には類のない、素晴らしい建築だと思います。 いずれも端正で美しいモダニズム建築でした。 谷口吉生さんの建築は、全体的には高級感がありますが、ところどころに遊びというか、茶目っ気があるのも特徴かと思います。 特に美術館だと、現代アートはポップなものも多いのですが、見事にバランスをとって景観に取り入れていると思います。 その他、谷口吉生さんは、親子二代で建築家というところも特徴です。 お二人とも有名であるというのは、なかなか珍しいタイプだと思います。 お父さんは谷口吉郎さんといって、ホテルオークラ東京などを手掛けています。 そのホテルオークラを、息子の吉生さんが改修設計を行い、2019年に竣工しました。 父が設計した建物を、息子が改修して長く使われていくというのは、素晴らしいですね。 まだ行ったことがありませんが、ぜひ見てみたいです。 ニューヨーク近代美術館も、もしもニューヨークに行く機会があれば行ってみたいですね。 あらためて谷口吉生さん、素晴らしい作品を残していただき、感謝いたします。 心からご冥福をお祈りいたします。 #
by 3839ttsy
| 2024-12-25 10:54
| 建築
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でも、尾崎神社の本宮が尾崎白浜という小さな漁村集落にあって、そこでも釜石まつりと同じように、曳舟祭りが行われることは、知らない人もいるのではないでしょうか。 尾崎100年学舎(カテゴリ「尾崎100年学舎」参照)が活発に活動していたころ、話には聞いていたのですが、震災前は3年に1度、尾崎白浜本宮例大祭があったそうなのです。 震災の年の2011年が、開催の年にあたり、地域の人の生活再建もままならない状態では祭りは出来ないということで、それ以降途絶えていました。 仮設住宅もなくなり、住民のみなさんの生活も元に戻ったということで、そろそろ例大祭を…という話が持ち上がったようなのですが、コロナ禍があり、また延期になってしまいました。 それがようやく今年になって、開催することになったということです。 実に16年ぶりの開催。 正直なところ、尾崎半島の火災があって尾崎100年学舎の活動があまり出来なくなり、さらに私自身も病気になり、また翌年にはco-ba釜石がオープンになって、軸足がより仲見世に移ったこともあって、尾崎白浜から足が遠のいていました。 それで、直前に尾崎100年学舎代表のSくんから、連絡があるまで、例大祭があることを知りませんでした。 11月9日(土)に宵宮があり、10日(日)に曳舟があったのですが、日曜日の曳舟だけ見に行くことに。 9時30分に曳舟が始まるということで、その時間に向かうと、すでに20艘ほどの船が、港内で大漁旗をかかげてスタンバイ状態。 いつもあまり人気のない尾崎白浜に、見物の人もたくさんいて「おお!」となりました。 天気もよく大漁旗が映えます。 船か山道を徒歩で行かないとたどり着けない、青出浜の奥宮からご神体が運ばれ、昨日から本宮におさめられていたそうなのですが、そのご神体をのせた神輿が、すでに船にのせられていました。 その船が出港し、他の船もいっせいに港から出ていきます。 先導する船には、神楽や華やかな衣装を着た男衆がのっていました。 天狗のような面をつけた、猿田彦も乗っていたと思います。 後でわかりましたが、華やかな衣装を着た男衆の一人が、われらが代表S君だったのでした。 港の外を大漁旗をつけた数十艘の船が、大きな輪になって回ります。 小さな漁村の船が、せいいっぱいの装いをして海を彩る。 感動の光景でした。 船が戻ると、神事があって、神楽や「そうさ」という踊りが披露され、子ども虎舞も奉納されました。 5分以上にわたる踊りを、みごと踊り切りました。 その後は、お囃子の太鼓とともに、山の上の本宮に神輿が担ぎ上げられましたが、私は妻の側の不幸があったばかりだったので、境内に入るのは(念のため)遠慮しました。 しばらくすると、神輿が降りてきて再び船に乗り、汽笛とともに奥宮に帰っていきました。 山奥にいる神様が町に船でやってきて、町の人々が歓待して、再び山に帰っていくというストーリーが、ほっこりしていいですね 船が出た後、S君に話しかけたら、そうさの踊りは、1か月ぐらいでマスターしたそうです。 16年も途絶えていたら、出来る人もいなくなると思いますが、指導する人がいて、平成4年に撮った動画があったそうで、なんとかマスターできたということでした。 当時の動画があったのは幸運だったと思いますが、1か月でマスターするのは大変だったでしょうね。 尾崎白浜の神楽は、釜石まつりの時にも奉納されますが、実はもっといろいろな舞があると聞いていました。 例大祭が復活したことで、いろいろな伝統がよみがえってくるようで、とても素晴らしいことだと思いました。 #
by 3839ttsy
| 2024-11-12 11:16
| 尾崎100年学舎
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ETICさんは、釜石で地域おこし協力隊の制度をつかったローカルベンチャーのプログラムを提供している団体です。 ローカルベンチャーは全国の自治体で実施されています。 これまでボランティアなどで、輪島市門前町、羽咋市などに行きましたが、今回は能登町。 今までより、だいぶ能登半島の奥地まで入った感じであり、また半島の東側に行ったのも初めてでした。 最奥というか、半島最先端の珠洲市にもあと数十キロという地点でした。 作業は農地の復旧作業や、稲刈りでした。 1日目の派遣先の農家さんの田んぼは、山間部の棚田のようになっていて、そこを稲の高さをはるかに超える水が流れたそうです。 なんと1時間に100ミリの雨が降ったそうで、想像しただけで恐ろしい… 収穫直前で稲が倒れてしまい、稲刈り機は使えないし、地震も含めた復旧作業に追われていて、また手で刈るのも人手不足もあって、間に合わない状態でした。 知らなかったのですが、稲は倒れて水につかると、芽が出てしまうんですね。 芽が出ると、おいしくないので、出荷が出来なくなります。 作業は倒れている稲を手で刈って、芽が出ていないものだけを選別するという内容でした。 場所によっては、ほとんど芽が出てダメになっていて、たかだか数時間のボランティアでも、気持ちが沈んできます。 農家さんの心痛は想像を絶するものです。 現地のコーディネーターさんのお話では、やはり農家をやめることを考えている人も多く、今が重要なタイミングだということでした。 正直言って、ボランティアが1日やそこら来ただけでは、実質的に助けになりません。 でも、人が来てくれることが、再起への活力になるということでした お昼をごちそうになってしまい、かえって申し訳ないようなところもありました。 もちろん、弁当は持参で行きましたが「持ってきた弁当は、ここに用意したものを全部食べて、足りなければ食べてください」と(冗談ぽく)言われましたので、ありがたくいただきました。 ちなみに、その地域には「よばれ」という、近所の大勢の人に食べ物をふるまう文化があるそうです。 2日目は別の農家さんに行きましたが、そちらも稲刈り作業などをお手伝いしました。 そちらでも、いちごをいただいたり、近くの観光スポットのようなところを案内いただいたりして、歓待を受けてしまいました。 ETICさんのプログラムは、宿泊や食事などもこまかく配慮されていて、ボランティアが初めての人でも、参加しやすくなっていました。 スタッフさんが張り付きでいて、一緒に作業するというのも、一般的なボラセンではあまりないことかも。 ちなみに、誰かに会えるかなと思って行ってみたら、スタッフさんの一人は、以前、大槌で活動していたIさんでした。 いずみさんは、釜石大観音仲見世のイベントをお手伝いいただいたこともある方で、久しぶりに再会できてよかったです! ところで、ボランティアは楽しんではいけないとか、完全なる自己完結型でないといけないという声もありますが、そんな厳しい条件だと来る人が少なくなってしまいます。 復興初期はともかくとして、長い目で見て力となるのは、移住者や、関係人口だとすると、分母を増やすことは重要だと思います。 人と出会う、行ったことのない地域を見る、現地の人と話す、いずれも単なる観光では難しいことです。 というわけで、ETICさんのボランティアとてもいいなと思いました。 さて、最後におまけのエピソードを。 車でボランティアに行く人には、高速道路が無料になる制度があります。 その証明をもらうために能登町役場にいったのですが、どの窓口にいけばいいかわからず、ウロウロしていました。 すると、職員さんに話しかけている、私と同年代ぐらいの男性がいて聞いていると、どうやら同じ目的のようでした。 それで便乗して、窓口を教えてもらいました。 その男性は、熊本から来たとのこと。 熊本地震の際に、多くの人に助けてもらったので、能登で支援活動をされているということでした。 こういう話を聞けるのも、ボランティアのいいところですね。 #
by 3839ttsy
| 2024-10-14 11:41
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築年数不明の平屋建てで、その他の木造2階建て、赤い屋根、モルタル塗りの「仲見世モデル」が登場する前の建物です。 参考までに、これまで取得してきた、co-ba釜石や現在LIFULL FaMとなっている建物は、昭和52年築の仲見世モデルです。 釜石大観音が出来たのが昭和45年なので、おそらくその頃に建てられたと思われます。 とすると築50年というところでしょうか。 以前からオーナーさんに「買ってほしい」と打診されていたのですが、古いし隣の物件とくっついている(構造上一体になっている)ので、どうしようかなぁと思っていました。 しかし、ある時から、平屋だからDIYで直しやすいということに気づきました。 平屋なら外壁の塗替えなど脚立で出来るし、屋根の塗替えも2階建てよりは、かなりやりやすいです。 ただし、借りる人がいないと、お金がありません。 融資を受けるにしても、収入がないと返済できませんし、そもそも銀行は賃貸契約書がないと貸さないという立場であることは、以前のLIFULL FaMの物件で明らかになっていました。 賃貸契約が結ばれていて、その額が月々の返済額よりも多ければ、確実に返済することが出来るから、銀行としても、私としても安心というわけなのです。 その借りる人が、今年になって現れました。 なんとそれが女子高校生! …と、そのお母さんでした。 このブログのカテゴリーに「劇団もしょこむ」がありますが、そこに登場したことのあるAさんと、その娘さんのSちゃんでした。 Aさんは脚本演出をやっており、Sちゃんは稽古についてきていました。 当時は小学生でした。 それから年月が過ぎ、Sちゃんは中学3年生になり、進学を考える際に、普通に高校に通うより、起業してお店を作りたいと思いました。 それで時間の制約が大きい普通の高校ではなく、通信高校に進学することにして、その一方で古着屋を始めることにしたのでした。 ただ、実際に古着屋を始めようと思うと、未成年では制度上、難しいこともあり、お母さんと共同で店を始めることになりました。 長年、仲見世で店舗を開かせたいと思っていた私からすると、思わぬところから、嬉しい出店者が現れたという感じです。 実はきっかけとして、地域課題解決を通して企業研修を行う、日本能率協会さんのプログラム「ことこらぼ」があるのですが、説明が複雑になるので、省略させていただきます(参加者のみなさま、すいません💦)。 というわけで、Sちゃんが高校に進学するのと同時に、プロジェクトがスタートしました。 私の側では、まずお金を工面しないといけなかったのですが、おそろしいことに何もありませんでした。 とりあえず、多少の紆余曲折がありつつ、物件購入の資金を日本政策金融公庫でお借りすることが出来、6月に土地と建物を購入しました。 それから、改修計画を立て、図面を書いて、工事の見積もりを取得。 工事の頭金は、岩手銀行さんでお借りしました。 とにかく、待ちに待ったプレイヤーであり、しかもそれが小学生の時から知っているSちゃんということで、なんとかしないわけにはいきません。 そういうわけで、少しもたつきつつも、8月末に工事がスタート。 その前に、テナントさんのほうで、そのままになっていた物品を片付けていただいていたので、助かりました。 本当は大家側がやらないといけないのですが💦 なお、使えそうな土産物などの商品は欲しい人に持って行ってもらったり、陸前高田でリサイクルショップなどを運営している山猫堂さんに持って行ってもらったり、現在も無人販売所ならぬ、無人おすそ分け所を設置して、欲しい人に差し上げたりしています。 あ、ところで、テナントさんというのもなんなので、ここで屋号を発表します。 Crush on たすいち です。 Crush onはSちゃんのお店で、たすいちはAさんのお店です。 といっても、たぶんそんなにかっちり分かれるわけではないと思いますが。 たすいちはAさんがもともとやっていたこともあり、駄菓子屋をすることになっています。 駄菓子と古着の販売と、ダンスなどが出来る、貸しスペースになるということです。 9月中、大工さんが入って工事を行い、雨漏れや壊れていたシャッターの撤去と、外壁の修理、アルミサッシのリフォーム、その他、内壁の変更やドアの修理などが行われました。 一部、水回りの工事が残っていますが、店舗部分が完成というか、スケルトン状態になりました。 電気も使えます。 一方、Crush onたすいちのお二人は、クラウドファンディングを実施。 最初は遠慮がちなお二人のことで、スロースタートだったのですが、終盤の伸びがすごくて、最終日の終了直前に目標額に達するというドラマが。 これで資金も出来て、今月からは、DIYで内装を始める予定です。 特に、私でさえ、もう壊すしかないかなと思っていた古い建物が、なんだかオシャレな感じに見えるようになって、このインパクトは大きいんじゃないかと思います。 高校性のSちゃんがお店を始めるというニュースも、とてもインパクトがあるので、相乗効果で釜石大観音仲見世の再生が、一気に加速するんじゃないでしょうか!? #
by 3839ttsy
| 2024-10-09 15:22
| 釜石大観音仲見世リノベーションPJ
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<過去の記事> Blanc-Coの立ち上げメンバーである、株式会社清水屋の山野くんに工事を依頼して、まだ少し残工事もありますが、先月引き渡しされました。 古民家のリノベーションは、思ったより時間がかかることもわかりましたが、まだあまりチャレンジした人もいない(と思う)事業が、かなり実現に近づきました。 金額も一般的な中古の買取再販物件や、建売物件と比べて、高すぎることはないと思っています。 後は、購入されるお客様が現れることを祈るばかり… ちなみに、今回は1棟目ということで、手探りのところもあり、この値段になっていますが、徐々にデザインによってさらに付加価値をつけて、ブランディングしていきたいと思っています。 良質なリノベーション古民家が増えて、住民も増えれば、白子や寺家の町の文化や、経済状態がよくなる。 そこまで続けられればいいなと思っています。 今回もご苦労を掛けたと思いますが、古民家の工事は、新築工事と比べて、昔の技術を持った職人さんの手が必要です。 大工さんをはじめとして、左官屋さんや、建具屋さんなど。 新築だと、もちろん大工さんは入りますが、そもそも木が表面に現れていないので、仕事の内容がだいぶ違います。 建具も枠もほとんどが既製品で、建具屋さんの出番はないし、壁はクロスで、土壁を塗ったりする左官工事もありません。 そうなると、職人さんがいなくなってしまいます。 日本の職人さんの技術は高く、外国の人からは驚かれます。 その技術がなくなってしまうのは、惜しいですよね。 私の出来ることはわずかですが、少しでも技術の保存の機会を作ることができたらと思います。 もちろん古民家を保存することそのものも、伝統文化の保存になるはずです。 白子や寺家は伊勢街道に面したところもあって、比較的、伝統建築が残っているところですが、だんだんと建て替えも進んでいて、いずれはなくなってしまいます。 そうなると、景観も魅力的ではなくなってしまいます。 これからは、外国人の観光や国内外の移住者の獲得がまちづくりの大きなポイントになると思うので、景観の構築や保存も重要だと思います。 ともあれ、今回の事業に関しては、一つ一つプロセスが進んで、あとは最終段階を待つのみとなりました。 住んでいただける方が、現れますように! #
by 3839ttsy
| 2024-07-09 14:38
| 建築
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