|
運営者 建築・企画・設計・監理 (株)宮崎建築事務所 〒510-0235 鈴鹿市南江島町23-10 TEL:059-368-3330 宮崎達也(HN:ミヤ) 3839ttsy@excite.co.jp リンク 建築事務所日記~宮崎建築事務所スタッフの日記~ 星の指輪~つれづれ日記~ トンボの空 くりみるく テンカラな日々 気まぐれノート(ピアニスト西井葉子さんのブログ) 魅せブロ カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
ファン
|
昨日の大槌町のボランティアに、去年まで鈴鹿で働いていたという、若い男の人がいらっしゃったと書きましたが、実はもっと面白い話題を持った人でした。去年、その仕事を辞めてから、あるイベントの実行委員をされているそうです。 実行委員会の名前はボランティアフェスティバルジャパン。 活動内容は、復興ボランティアに参加した人だけが入場できる、被災地復興フェスの開催です。 フェスというのは、複数の音楽グループ、アーティストが参加する音楽イベントですが、通常は入場料が2万円ぐらいするそうです。 その入場料を、お金でなく、ボランティア活動によって支払うというアイデアを考えたというわけですね。 ということは、昨日のボランティア活動で、私もこのフェスに参加できるようになったということです。 ボランティアに行ってみたい気持ちはあるけど、どうしていいかわからなかったり、きっかけがなかったりする人を後押しするためイベントです。 予算は協賛金でまかない、出演料もボランティアということで、安くしていただけるのでしょうね。 結果的に、出演者もボランティアをするということになり、受け皿として2重の効果が期待できそうです。 しかも、開催地としての経済効果も期待できますね。 いや~スゴイ。よく考えました。 やっぱり復興に必要なのはアイデアですね~ そんな活動をしているためか、どんどん面白いアイデアを思いつくようで、ボランティアの最中にも、いろんなことをおっしゃってました。 側溝の掃除をしても、道路が砂利で、しかも側溝よりだいぶ高くなっているので、雨が降ったら砂利が流れ込んでくるんじゃないかという話をしていたら、「そこらへんに落ちている材料(瓦礫)で、土留めを作ればいいんじゃないか」というような提案をされていました。 う~ん、頭が柔らかい^^;それにプラス思考。 見習わないといけないな~と思いました。 なお、フェスの開催日程は今年の9月29日(土)30日(日)の2日間。 場所は宮城県白石市の南蔵王野営場です。 コンサートだけでなく、お笑いライブやグルメもあるそうです。 私も登録したので、是非、行きたいな~と思っています~ (株)宮崎建築事務所 今日は大槌町のボランティアに行きました。一昨日の日記にも書きましたが、私が住んでいる釜石も被災地なのですが、ボランティアのニーズは少ないようで、あまり募集がないようでした。 お隣の大槌町は、復興もまだまだで、ボランティアのニーズもたくさんあるようで、そちらに参加させていただきました。 大槌町のボランティアセンターの張り紙を見ると、海岸清掃や側溝の掃除、引っ越しの手伝いというのもあるようでした。 今回、私がさせていただいたのは側溝の清掃でした。 個人のボランティアは、私を含め総勢8名程度だったと思います。 他には上田市というところから、団体さんがバスでいらっしゃってました。 去年、ボランティアに行った時も、宿泊所で隣で寝ていた人が、実家が三重県で、しかも知ってる人の甥っ子さんだったとということで、すごくビックリしたのですが、今回のボランティアで、それも単なる奇遇ではないような気がしてきました。 今日、最初にお話しした、若い男の人は、住んでいるのは埼玉でしたが、去年まで鈴鹿市で働いていたそうです。ウチの事務所から車で5分のところです。 まず、それにビックリ。 しかし、それどころではありません。 次にお話した、神奈川から1人でいらっしゃったという女性は、またしても実家が三重県。 松阪市のご出身だそうです。 さらに、駐車してある車をなんとなく見ていたら、三重ナンバーを発見。 50歳代ぐらいのご夫婦が、三重県の方でした。 伊賀にお住まいだそうです。 なんなんでしょうか。この三重県民率。 8人中4人が三重県民(元を含む)で、お1人が三重県に住んだことのある人でした。 ひょっとして三重県って、全国でもトップクラスのボランティア王国だったのでしょうか?(笑) (株)宮崎建築事務所 こちらでの生活もちょっと慣れてきたところで、ふと気がつきました。せっかく近くにいるのに、ボランティアをすべきでは!? ということです。 今までは土日もなんとなく仕事をしていましたが、少し余裕が出てきて、先週は釣りに行ったりしてます^^; そこで、初心に帰って、今度の日曜日はボランティアをすることにしました。 考えてみたら、去年は三重県から来るだけで大仕事だったので、「ボランティアって大変」というイメージでしたが、今は近いから簡単に出来るんですよね。 前にも書いたことがありますが、釜石のボランティアセンターはアパートから歩いて行けるところにあるのですが、調べてみたら、団体の受付しかしていませんでした。 そこで、月曜日、大槌町に行ったときに、ボランティアセンターがあったことを思い出し、そちらを調べてみました。 すると、現在も側溝の清掃などのボランティアがあるそうで、募集していました。 そこに登録しました。 実際に見比べてみると、釜石と大槌町では復興の速度が違うように思います。 釜石は交通の便もいいし、人口も多くて、お店や宿泊施設も多いし、被災の程度も半分ぐらい残っているような感じです。 しかし、大槌町は先日書いたように、ほとんど壊滅状態で、もともと交通は不便、お店も少なく、宿泊施設もあまりなさそうです。 しかも、町役場が被災して、現在仮設の建物で運営している状態です。 写真は先月撮ったものですが、防波堤も倒れたままになっています。 これでは、なかなか復興は進まないだろうと思います。 おそらくボランティアもあまり手が回っていなかったのでしょうね。 肉体労働で役に立てるかどうか自信はありませんが^^;がんばってみようと思います~ (株)宮崎建築事務所 大槌町を高台から見た写真です。大槌町は釜石市街よりも大きい波が来たと思われ、ほぼ壊滅状態になっています。 今ようやく瓦礫が片付いたというところでしょうか。 まだまだ、建物が出来たりする様子はありません。 今日は打合せが大槌町の町役場であったのですが、本当の庁舎は被災して損傷が激しいためか、仮設のプレハブが町役場になっています。 現在は大槌小学校の敷地にあるのですが、大槌町は津波のあと大規模な火事があったため、その小学校も火事で廃墟のようになっています。 その仮設町役場から裏の山のほうに登っていくと、公民館があり、そこで打合せがありました。 写真はその公民館の駐車場から見た風景です。 ところで、大槌町は以前の日記に書いたように、井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」の舞台でもありますが、もうひとつ有名なものがあります。 それは、昔NHKで放送されていた人形劇、ひょっこりひょうたん島です。 同じく井上ひさしさんの原作ですが、そのひょうたん島のモデルが大槌町にある蓬莱島なのだそうです。 高台から大槌町の風景を眺めていたら、角田さんが「あれがひょうたん島でねぇが?」というので、よく見たら、まさにその通りでした。ちなみに私は、ひょうたん島をリアルタイムで見ていた世代ではありません^^; 今設計している建物のデザインの手がかりになるかもしれないと思い、少し前にネットで調べていました。 こちらが本物の(?)ひょうたん島。写真ではよくわかりませんが、実際は確かにそっくりです。 ひょうたん島と同じように、先端に灯台があったのですが、津波で折れてしまったそうです。 朝日新聞の記事によると、今年度に灯台を復旧する計画があるそうです。 町の復興は見るからに困難と思われますが、新しく出来る灯台が、復興の第一歩になるといいですね。 (株)宮崎建築事務所 釜石のアパートの入居した日、ポストを見たらなぜか新聞が入っていました。管理会社の人に聞くと、無料で配布されている新聞だということでした。 それがこの復興釜石新聞です。 なんで無料なのかずっと不思議だったのですが、今日、ふと思いついてネットで調べてみました。 かつて、岩手東海新聞という地方新聞社があったのですが、津波で本社が被災し、現在は活動を休止しており、その元社員が集まって、合同会社釜石新聞社を立ち上げ、復興釜石新聞を創刊したそうです。 資金は市の緊急雇用対策事業から出ているようです。 そんな有志の新聞ということもあってか、普通の新聞と違って、前向きな話題ばかりで、読後はさわやか。 難しい顔をして読む必要がありません。 そして、表紙の左上には、釜石の町中で見かける「負げねぞ釜石!」のロゴマークが。 仕事から帰ると、お風呂に入って30分ぐらいしてから寝るだけなのですが、そんな短い時間で読めて(4ページなので)、明日もがんばるぞーという気持ちになります。 きっと地元の人たちにも愛されて、活性化に役立っているのではないかと思います。 新聞にこんな効果、力があるとは思いませんでした。 素晴らしい新聞ですね~ (株)宮崎建築事務所 前はなかったような気がするのですが、先日、ふと気がつくと、こういう看板(?)がありました。平成23年3月11日津波水位の痕跡と書いてあります。 上の赤白の棒が、津波の高さを示していると思われます。 前に見えるのが、勤務しているカクタ設計さんのあるビルですが、1階は天井近くまで浸水したということがわかります。 ここから先が、釜石市の繁華街のようになっていますが、土地がカクタ設計さんのビルのところから、さらに低くなっていて、被害が大きくなっています。 あろうことか、GW中にも大雨による洪水があって、床上浸水があったそうです。 私は幸いにというか、帰省中だったので、話に聞いただけですが、歩道などを見ると、舗装ブロックの下に敷いてある砂がそこらじゅうに散らばっているところがありました。 泣きっ面に蜂というか…言葉がありません。 この看板にも「大地震油断は禁物まず避難」と書いてあります。 震災の記憶というよりも、これからのために掲示したということのようですね。 なんとなく一度大きな災害があったので、もう2度と災害はやってこないような気がしていましたが、確かに油断は禁物なのだなぁと思いました。 (株)宮崎建築事務所 今回、岩手からの帰りにおみやげに選んだのが、この「かもめの玉子」。いわて花巻空港のおみやげ屋さんの中に、特設コーナーがあったので、有名なお菓子なのかなと思って買ってみました。 形が玉子のようになっていて、とってもかわいらしいお菓子です。洋菓子と、和菓子の中間のような感じで、周りは洋菓子風なのですが、中に餡が入っています。 今まで食べたことのないような感覚で、とっても美味しいです。 空港に着いてから、飛行機の出発まで、あまり時間がなかったので、詳しく見ずに買ったのですが、気になるのはやはりどこで作っているかということ。 復興支援のためには、より被災地に近いほうがいいですよね。 このお菓子はまさに被災地の、大船渡市で生産されていました。 さいとう製菓という会社の商品ですが、ネットで調べてみると、本社が津波で倒壊したようです。陸前高田にあった直営店も流されたのですが、工場が被災をまぬがれ、すぐに生産を再開したとのこと。 大変な苦労をされたことと思いますが、たくさん商品が売れて、街の再生に貢献できるといいですよね。 今回は時間もなかった上に、手持ちが心もとなかったので^^;小さい箱を1個しか買いませんでしたが、次回はもっと買って、お配りしようかと思います~ (株)宮崎建築事務所 去年の3月28日に初めて被災地に行きました。最初に訪れたのが、釜石のボランティアセンター、釜石市郷土資料館と、支援物資の保管所となっていたシープラザ遊です。 写真はピラミッド型が印象的なテント式建物、シープラザ遊です。 今日は閉まっているようですが、時々、ライブなどが行なわれているようです。 その向かいにある、郷土資料館も、今は本来の使用目的に戻っているようです。 1年前はこんな感じでした。自衛隊の車両が出入りし、物資を運ぶトラック、積み込み作業をするスタッフなどでいっぱいでした。 (※1年前の3月28日の写真) ボランティアセンターもボランティアの人でいっぱいでした。(※1年前の3月28日の写真) 写真ではわかりませんが、ここに降りた時は、10分ぐらいで芯まで凍りつきそうな寒さでした。 さすがに去年と比べると、ずいぶんのどかな感じになりました。 今もボランティアセンターはあるようですが、駐車場になっていたところに、仮設事務所が建っていました。去年、私もゴールデンウィークにボランティアに参加しましたが、やはり平日より何倍も多くの人が来ていました。 今年もゴールデンウィークに入ったからか、ボランティアらしき人をちらほらと見かけました。 まだボランティアの作業はあるのでしょうか。 ゴールデンウィークは鈴鹿に戻る予定にしてしまいましたが、こちらにいて、ボラティアをするという手もあったなぁと思ったりしました。 ちなみに、アパートからこのボランティアセンターまで、歩いてわずか5分。 去年みたいに三重から来るより、ずっと簡単に出来るのに…^^; (株)宮崎建築事務所 震災があって翌月ぐらいに、津波の被害を受けたある小学校の児童が、防災教育の成果を発揮して避難し、被害者がゼロだったという、ネットの記事を見ました。ある大学の教授が子どもたちを指導し、想定を当てにせず、自分の判断で逃げるようにと教えたそうですね。 でも、それがどこのことだったのか、あまりよくわかっていませんでした。 釜石のアパートには、復興新聞のようなものが無料で届きます。 先日、それを読んでいたら「釜石の奇跡」という言葉が目に入りました。 1年前に見たネット記事の出来事です。 そして私は今、釜石にいます。 ああそうか、あれはこの近くで起きた出来事だったんだと、やっと頭の中で、点と点がつながりました。 新聞の記事で見る事件や出来事は、自分と決して関わることのない、遠いところで起きていることのようにリアリティがないので、なかなか気がつきませんでした。 調べてみると、今いるところの隣町の鵜住居というところの小学校でした。 何回も通ったこともあります。 今日、釜石から大槌町の現場を見に行くときに、その奇跡の起きた学校を見てみました。鵜住居の街は壊滅に近いほどの被害を受けていて、今私のいる釜石の中心地よりも大きい波が来たと思われました。 学校は海のすぐ近くで、防波堤が倒れていたり、橋が壊れかけていたりするので、相当な勢いで津波が襲ったところのようです。 校舎のガラスも3階まで割れていました。この学校の児童、生徒が全員逃げ延びたというのは、ちょっと信じられない感じです。 まさに、奇跡ですね。 裏にちょっとした山があるので、そこに登ったのでしょうか。 鵜住居のあたりは、まだ津波の爪痕が色濃く残っていて、子どもたちが裏山へ逃げるイメージと相まって、津波のことをまざまざと思い出しました。 (株)宮崎建築事務所 釜石の桜です。ここは薬師公園というところで、階段を登って行く途中や、一番上の公園に、いろんな種類の桜が咲いています。 こちらは、まだこれからという感じです。 年に2回も桜が楽しめるなんて、得した気分です~ ところで、建物を建てるとき、どこにでも建てられるというものではなく、各市町の定めた都市計画によって制限されることはご存知の方も多いでしょう。 どこにどういうものが建てられるか、色分けで書いてある地図が、都市計画図です。 カクタ設計さんの釜石営業所の壁には、釜石市の都市計画図が貼ってあるのですが、それを見ていたら、あることに気がつきました。 事務所やその周辺は津波の被害を受けたところなのですが、その辺りが都市計画図には戦災復興地区と書いてあるのです。 所員さんに聞くと、戦時中、艦砲射撃を受け、壊滅的な被害を受けたそうです。 製鉄所があったため、標的にされたということです。 なんという受難の土地だろうと思いました。 薬師公園に行くと、その地域が一望出来るのですが、そこに当時の状況や写真を載せた看板(?)があります。その時の写真ほどではないにせよ、被災した街の状況が、現在と似ていると思いました。 戦災から復興し、また津波で壊滅的なダメージを受けながらも復興しようとする釜石。 街を歩くと、いろいろなところで「がんばっぺし釜石!」のスローガンを目にします。 その忍耐強さとガッツに、本当に頭がさがります。 (株)宮崎建築事務所 < 前のページ次のページ >
|