建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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昨日、三重に戻って実家に泊まり、今日、岩手に戻ってきました。 何からどう書いたらいいか迷うところですが、思いつくままに、私が見てきた熊本の被災地のことを書いていこうと思います。 一昨日の日記に書いたように、最初、益城町の役場周辺の集落に徒歩で入りました。 北側からアプローチしたのですが、結果的にこれが最も入りやすい方法でした。 なぜなら、昨日の日記に書いたように、役場のある中心的な集落よりも南側が、広域にわたって被害を受けており、あちこち通れなくなっているからです。 北側と、南側で全然印象が違います。 昨日実際に見たり、新聞やSNSの情報でわかったことですが、被害は線状に分布していて、八代から宇城を通り、益城町から南阿蘇へ続いていたようです。 さらに阿蘇を挟んで大分まで被害が出たそうですが、それも地図で見ると、一本の線でつながる印象です。 阪神大震災でもやはり断層に沿って、線状に被害が出たと聞いたことがあります。 役場の前を通る、南北のメイン道路を、南向きに下っていくと(途中脇道にもはいりながら)、傾いた家や、倒れた塀があり、屋根瓦が落ちた家は無数にあって、ブルーシートをかける作業をしている方が多かったです。 しかし、明らかに倒壊している建物は、小屋などの簡易なもの、1階が車庫になった2階建ての離れとおぼしい建物など、いかにも危険そうな建物に限られていました。 母屋部分では、もう一度、大きい地震が来ると危ないというものが散見されましたが、倒壊しているところは、あまり見られませんでした。 役場を過ぎて、東西に走る大通りのようなところを境にして、状況はさらに深刻化します。 完全に倒壊した建物の割合が増え、1階がなくなって2階だけになっていたり、屋根だけになっている建物がたくさんありました。 アスファルト舗装が割れ、電柱が倒れ、道路が通れなくなっています。 建物が倒れて、道があったのかどうかわからないところも。 耐震診断の講習などで、古民家や築40年を越える建物が、倒壊する可能性が高いことは聞いていましたが、新しい建物は適切に耐震構造になっているため、倒れることはないと思っていました。 ところが、築10年前後と思われる建物も、1階がなくなっていて、衝撃を受けました。 平成12年ごろに義務化された金物も、一見、設置されているように見えます。 以前、やはり講習で映像を見たことがあるのですが、耐震補強した木造の住宅を、阪神大震災と同じ揺れを再現できる振動台に乗せて、加振したところ、1回はなんとか持ちこたえるのですが、2回目も同じ振動を与えると、倒れてしまいました。 耐震診断や補強設計の時は、補強をしても大きな地震には1回しか耐えられないので、余震の恐れがあるときは中に入らず、専門家の点検や修理を行ってくださいと説明します。 今回の地震は14日に震度7の地震があり、16日未明に震度6強の地震があったので、その実験に近い状況だったのかもしれません。 道路が割れたり、地面が割れたりしているのも衝撃的で、昔映画かテレビで見た記憶のある、亀裂が出来て、人が飲みこまれるシーンを思い出しました。 これは推測にすぎませんが、その辺りが、まさに断層の真上だったんじゃないかと思いました。 東西の大通りと、やはり東西に流れる川の間の数百メートルのエリアで、被害が集中している感じでした。 自分の持っている耐震の知識が、通用しない現実を見たような気がします。 そんな中でも、ほとんど無傷な家があったことも事実ですが、その差はなんなのか、もっと詳しく調べない限りわかりません。 半分近くの建物が、倒壊、半壊していて、道路も信じられないほどめちゃくちゃになっているエリアでも、住民の方が作業したり、自転車で(ところどころ担いで運びながら)往来したりしていました。 「はぁ悲しいねぇ」と言いながら、半壊した家のそばに座り込む女性。 「車をいつもと違うところに停めていたので、車だけでも助かったよかったです」と話しかけてきた若い男性。 報道関係の人も、よく見かけました。 印象的だったのは、テレビの撮影をしていたらしい、若い女性のレポーターと、男性のカメラマンのお2人。 近くを通ったのですが、話しているのは中国語のようでした。 外国の人が、ここまでやってきているのに驚きましたが、その後、女性レポーターさんに「台湾から来ました。この辺りの人ですか?」と日本語で聞かれました。 台湾のみなさんは、東日本大震災の時も多大な支援をしてくださいましたが、こんな大変なところにまで、事実を正確に伝えるために来てくださっていることに、なんとなく胸を打たれました。 報道の仕事は、そういうものなのかどうかわかりませんが、その情報を伝えることで、おそらく今後の支援につながっていくと思うと、本当にありがたいことだと思いました。 今日はこのあたりまでにします。 まだしばらく、16,17日に見てきたことについてお伝えしようと思います。 幸せのデザイン (株)宮崎建築事務所
by 3839ttsy
| 2016-04-18 19:16
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