建築・企画・設計・監理
(株)宮崎建築事務所 〒510-0242 鈴鹿市白子本町5-29 TEL:059-368-3330 宮崎達也 HP:http://miyazaki-archi.nobushi.jp/ mail:3839ttsy@gmail.com カテゴリ
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以前から生えていたのかもしれませんが、事務所の庭につくしが生えることを初めて知りました。 よく見てみると、たくさん生えています。 つくしは子どものころに、学校の帰り道の空き地などで取って、家に持って帰ることがありました。 母と一緒にハカマを取って、母が卵とじなどにしてくれて食べました。 たくさん取ったつもりでも、ほんの少ししかなかったような記憶があります。 大人になってからはつくしを取ったことはありませんでした。 事務所の庭に生えているのは、けっこう量があるように思ったので、久しぶりに取って、食べてみようと思いました。 (先週、複数の公共の仕事が終わったところで、暇だったもので…) 昼のうちに採取しておいて、夜、ハカマ取りを開始。 思ったより手間で、1時間以上かかりました。 水で洗って砂を落とし、ゆでた後に水に15分ぐらいさらしてから水を切って、しょうゆをかけて食べてみました。 事務所なので、食材も調理道具もほとんどないので。 しょうゆだけは買いました。 …おいしくない。 量は思ったよりも多くて、小さいお皿でしたが、山盛りで食べきれないほどでした。 そこで鍋でしょうゆをかけて煮詰めて、量を減らしてから食べることに。 そしたら、ちょっと苦みが強い感じではありましたが、なんとか食べることは出来ました。 そもそも、なぜこんな酔狂なことをはじめたかというと、それ以前に、釜石でふきのとうを食べたからです。 3月の初めに、妻と釜石市内のみちのく潮風トレイル(※みちのく潮風トレイルとは→過去の日記)を歩きました。 ところで、ふきのとうのことを、東北では「ばっけ」と言います。 なので以下、ばっけと表記します。 ばっけは、釜石近辺だと至る所で見られます。 最初は珍しいなと思ったのですが、どこにでも生えていて、鈴鹿のほうでつくしを見る頻度に近い感じです。 でも育ちすぎていると食べられません。 見つけたばっけは、ちょうどいい大きさに見えたので「食べてみよう」ということになりました。 家に持って帰ると、妻が調理して「ばっけみそ」にしてくれました。 翌日、鈴鹿に移動することになっていたので、珍しいだろうから母に食べさせるようにと、小瓶に詰めて持たせてくれました。 私は子どもの時以来、自然に生えているものなどを取って、調理して食べるということをあまりしてこなかったので、これはちょっと楽しいかもと思ったのでした。 そこで、その時点から、つくしのことが頭にあったのでした。 鈴鹿なら、つくしでそれが出来るなと。 ところで、つくしは実家の庭には、昔は生えていなかったのですが、近年、どういうものか、大量に生えるようになりました。 しかし、ばっけは鈴鹿では見ません。 山のほうにいけばあるかもしれませんが、私の住んでいるところは海辺なので、見たことがありませんでした。 ところが、今朝、母が庭で取れたと言って、見せてきたのがばっけ。 なんと、わざわざ、釜石から持ってこなくても、庭で取れるようになったのでした。 #
by 3839ttsy
| 2024-03-19 09:57
| プライベート
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物件購入後、まず悩んだのがリノベーションの計画です。 住む人が決まっていないと、とっかかりのイメージが出来ないということに気がつきました。 通常の設計業務だと、そもそも施主様からの依頼で始めるので、ヒアリングなどを行ったり、これまで住んでいた家または施設を見たりして、使うイメージを作りつつ、デザインを考えます。 またデザインはテーマを設定することで、考えられるようになるもので、そのためにも施主様のアイデンティティが手掛かりになるわけです。 仕事や趣味、生まれた土地や、住んでいた土地。 また家族構成はもちろん考慮すべきポイントで、大きさや動線計画に関わってきます。 しかし、今回は設計段階では施主がいません。 それがむしろ自由だと思ったのですが、実際に取り組むと、自由すぎて考えるの難しいことがわかったのでした。 そこで、住む人を想定することにしました。 浮かび上がってきたのは、職住一体の暮らしをする人です。 以前は伊勢型紙の職人さんが住んでいたらしいのですが、伊勢型紙職人はあまりにもターゲットが狭すぎます。 ではその暮らし方のエッセンスを抽出して、働くところこと暮らすところが1つの建物(または同じ敷地の建物)を作ったらどうかと思いました。 型紙職人さんは、同じ建物で働いて、食べて、寝る暮らしをしてきたはず。 現代でもそのような暮らし方をしたい人がいると思いましたし、一方、そのニーズをかなえる住宅は、市場には少ないのではないかと考えました。 コロナでリモートワークをする人も増えたことも、ターゲットを広げる要因だと思いました。 といっても、必ず職住一体にしないといけないわけではなく、土間の空間を楽しく使えるなら、趣味の空間でも、アトリエのような空間でもいいと思います。 また、小規模な店舗などにも、適していると思います。 そんなわけで、計画は何となくできたわけですが、問題は資金です。 以前に、あちこちの銀行を回って融資を申し込んだのですが、断られ続けたというトラウマがありました。 どうしたらいいかわからずに、時間だけが過ぎるような感じだったのですが、あることをきっかけに道が開けました。 それはネットバンキングです。 去年の8月に銀行の振り込みなどが、パソコンで出来るようにネットバンキングを、取引銀行に申し込みました。 窓口でその手続きをしているとき、融資の担当者さんが挨拶をしたいとやってきました。 その日は申込書類を持ち帰って、会社で書くことになったのですが、数日後、担当者さんが取りに来てくださるということになりました。 担当者さんは古民家をリノベーションした当社を気に入ったようで、しきりにほめてくださったこともあり、「実は…」と融資の話を持ち掛けてみました。 そうすると、けっこう乗り気になったようで「上司に相談します」と言って帰られました。 その後、上司の方とも面談をして、融資していただくことになったのでした。 確定したのは12月だったので、時間はある程度かかりました。 12月に工事会社と契約し、1月から工事が始まりました。 ちなみに工事会社は、Blanc-Coメンバーの清水屋さんです。 そもそもBlanc-Coの活動から扱うことになった古民家でしたからね。 というわけで、現在は工事の真っ最中です。 パースを書いてもらう(外注する)のは、少なくない広告費ですが、売れないと恐ろしいので… 本日、なんと早くも内見が1件ありました。 さて、どうなる古民家!? #
by 3839ttsy
| 2024-03-14 22:52
| 建築
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メンバーと話していて結成から9年、来年で10周年ということに気づき、驚いてしまいました。 原作・脚本は旗揚げ公演以来の、こむろこうじさんです。 8月頃にzoom会議をして、今年度の公演をどうするか相談した時、こむろ先生(学校の先生なので、慣例的にそう呼んでいます)も出席いただき、本を書いていただくことになりました。 テーマとキャストを決めて「あてがき」で書いていただきました。 あてがきとは、先にキャスティングをしてから、ストーリーを作ることです。 今回特殊だったのが、それぞれのキャストに「妖怪」を割り当てたことです。 遠野で世界中の妖怪が集まる、妖怪サミットが行われるという設定で、妖怪の「都会」である遠野に泊まれずに、田舎の橋野(釜石市)に泊まっている妖怪たちの物語という構想が、団長にあったのでした。 なんとなく、それぞれのキャストのイメージの妖怪、天狗、河童、枕返しなどが割り当てられ、本ができるのを待ちました。 10月には最初の稿が完成しました。 読んでみると、面白い! これはいい舞台になると思いました。 しかし、すぐに問題に気づきました。 私の役は琵琶法師。 琵琶がないとかっこうがつきません。 ネットで調べたところ、中古でも10万円以上するようで、買うのは現実的ではありませんでした。 レンタルもなさそう。 しばらくどうしようか悩むというか、公演はまだ先だったので、結論が出ず、放置していました。 メンバーからはギターでいいではないかという話もあり、一時はギターにしようと思ったりしていたのですが、ある時、ふと思いつきました。 「あの人なら持っているのでは?」 それは、鈴鹿の地元の方で、民族楽器を手広く演奏する、音楽家Mさんです。 Mさんのお家は古民家で、耐震診断などを通じて知り合いました。 その後、演奏会に誘われて行ったりして、仕事だけでない付き合いになっていたのですが、ある時、楽器部屋を見せてもらったことがあったのでした。 無数の民族楽器が置いてあって、もしかすると、あの中に琵琶があったのでは?と思いました。 メッセージをしたところ、筑前琵琶が2本あるとのお返事が。 さらに快く貸していただきました。 当時は筑前琵琶と薩摩琵琶があることとか、なにもわからなかったのですが、とにかく小道具として、本物の琵琶があれば素晴らしいと思いました。 12月にお邪魔して、無事、お借りすることができました。 もちろん琵琶を弾いたことはなかったのですが、ギターは弾いたことがあるので、同じようなものだろうと思っていました。 ところが、実際に触ってみると、かなり違うものでした。 私のイメージでは脚本に「ジャランと琵琶を鳴らす」と書いてあるところは、コードを弾けばいいと安易に考えていました。 しかし、YouTubeなどで演奏しているのを見ると、コードを弾くという場面はあまりありませんでした。 さらに、面食らったのはチューニングの仕方が、複数あるということでした。 例えば「平調」だと一絃~四絃が、それぞれミシミラ、「壱越調」だとラミレラとか。 そのためYouTubeの動画を見ても、どの調絃なのかわかりません。 もう一つ問題なのは、ギターでいうフレット(柱)ごとの音が、一つではないということです。 ギターは半音きざみになっていて、ただ押えるだけで、どんな音でも出せますが、琵琶は押える強さを変えて、3半音?ぐらい出さないと音が足りません。 強く押さえたり、弱く押えたりして、音を変えるのです。 動画を見てコピーしようと思ったのですが、そのあたりの指の動きとか、感覚がなかなかつかめませんでした。 これは大変だと思いました。 とにかく、毎日、動画を見ながら、触っていたという感じです。 劇中では、本格的な演奏をするわけではないので、いくつかのフレーズだけでも覚えようと思いました。 そんなわけでセリフは少ない役だったのですが、今回はとにかく琵琶を覚えるのがネックでした。 迎えた本番、不安しかありませんでしたが、多少はそれっぽく弾けるようになっていたので、失敗しても開き直るしかないという感じでした。 案の定、3回の公演中、満足に弾けたことは1回もありませんでした。 ただ、見ていた人に聞くと「そういうものだと思った」と言っていたので、まぁよかったのかもしれません。 ほとんどの人は、琵琶の演奏をあまり聞いたことないでしょうから、おかしくてもわからなかったという感じでしょうか。 さて、私の琵琶の話ばかりになってしまいましたが、他のメンバーのキャラクターや演技、演出、音楽、舞台美術などもなかなかよくて、アンケートを見ると面白いと書いてくださる方が多かったです。 主役のNさんは、団長の娘さんでした。 以前は子役で出たりしていたこともあったのですが、今は高校2年生になりました。 団長の指導を受けているだけあって、さすがの演技でした。 時がたつのは早いです。 ところで、演劇の面白いところは役者が「ギリギリ」であるところだと思います。 セリフが飛ばないか、動きを忘れないか、小道具を持って出るのを忘れないかなど、公演中は頭がフル稼働です。 余裕は全くありません。 もちろん演技力も大事ですが、それは経験があれば身に付くと思います。 出る前はもれなく緊張するし、逆に緊張しない舞台では張り合いがありません。 見る側も、役者がそういうギリギリで、全力を出しているところに感動するのだと思います。 私は今回の課題は、琵琶を劇中に弾くというところでしたが、他のキャストも初出演だったり、今までになくセリフが多かったり、けっこうギリギリだったと思います。 原作の面白さや演出だけでなく、そういうところも、評価(アンケートによる)につながったのではないかと思います。 こむろ先生も遠方から、来てくださって、本番を見て喜んでくださいました。 始まる前の、暗い舞台袖で待っている時間は他に例えようのない、緊張感です。 それを一緒に経験すると、仲間意識が強まります。 終わった後には、みんなでハイタッチです。 今回は、もともと大道具で役者でなかった私や、途中から入ったメンバー、新人さんなどが出演し、旗揚げ公演で出演した、団長とKさんが、音響照明をしていました。 2人はそのことが、感慨深いと話していたそうです。 釜石に新しい演劇文化を生んで、育てましたね。 本当は出たかったと思いますが、最近のメンバーはどういうものか役者志望が増えて、裏方がいなくなったという悩みもあるかも(笑) #
by 3839ttsy
| 2024-02-13 18:03
| 劇団もしょこむ
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えんむすびマルシェは、同商店街を盛り上げる目的で、2018年にはじまりました。 主催は釜石大観音仲見世リノベーションプロジェクト(左のカテゴリーに項目がありますので、興味のある方はご覧ください)です。 そんなに前からやっている割に、回数が少ないと思われるかもしれませんが、第4回は、2019年と、2020年の2回延期になっており、コロナ禍もあって、それ以降、開催していませんでした。 昨年、えんむすびプチマルシェという名目で、小規模なマルシェとフリーマーケットを開催しましたが、正式な(?)えんむすびマルシェは、2020年以来となりました。 実はラグビーワールドカップが開催された2019年秋に、ちょっとしたトラウマとなるような出来事と、マルシェの集客にも失敗し、経費が大赤字になるという2つのショックがありました。 翌年、気を取り直して企画したところ、新型コロナの最初の行動制限がかかって、また中止になり、それ以来、モチベーションが下がってしまいました。 そして、今年開催するにあたっても「4」というのが、なんとなく不吉な数字でもあったので、開催できるまで心配だったところがありました。 なので、昨年は「プチマルシェ」という名前で、ワンクッション入れたという感じだったのでした。 無事開催できたので、どうやら悪い流れは去ったのでしょうか!? さて、今回のマルシェでは、10店舗の出店と、フリーマーケット2ブース、メンバー直営店が5ブースと、釜石商工高校の2ブースの出店がありました。 出店数や、売り上げを考えると、前3回のマルシェと比べて、やや少ないぐらいだったのですが、一方で住民の方や、来場者の方に「昔を思い出した」というお声をいただくことが多かったようにおもいました。 なぜなんだろうと思って、今回と以前との違いを考えてみたのですが、まず配置が違いました。 以前は、商店街全体に散らばるように、ブースを配置していたのですが、今回は大観音の山門に近いところから両側に配置して、長さでいうと1/3程度にギュッと詰まった形になっていました。 そしてまた、今回初めて道路を横断するように「フラッグガーランド」を設置しました。 たぶん、そのあたりがにぎわっている印象を与えた原因なのかなと思います。 それにしても、リノベーション界隈で定番となっていた、フラッグガーランドの有能さには、驚きます。 こんな簡単な操作で、普段は寂しい商店街が、華やかになるなんて、コスパがよすぎですね。 最近ではリノベ物件だけでなく、新築の建売住宅にも飾られていたりしますね。 一体誰が最初に思いついたのでしょう? #
by 3839ttsy
| 2023-11-15 22:07
| 釜石大観音仲見世リノベーションPJ
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全国各地で、水害が起こる中、以前のようにかけつけるフットワークが衰え、なかなか行くことが出来てなかったのですが、比較的近いということもあり、1日だけボランティアに行くことに。 最初の土日ではあったのですが、ボランティアは100名近く来ていたように思います。 9時に受付が始まって、受付が終わるとリーダーになる人が立候補し、そのリーダーに9名の人が集まって、10名のチームが出来ます。 チームが出来たら、住所やボランティア内容が書かれた紙を受け取って、チームの中から車で来た人に車を出してもらい、分譲して現地に向かうというスタイルでした。 今までも10人で1チーム、リーダーを選出するスタイルのボランティアは、東日本大震災直後の陸前高田、2015年の常総市、2016年の岩泉や、2019年の釜石で経験していましたが、現地にはバスなどで送ってもらいました。 でも、自分たちだけで現地にいくというスタイルは初めてでした。 そして、今回もなるべく避けようと思っていたのですが、やはりリーダーに選出されてしまいました。 このリーダーはなかなか荷が重い… しかし、ボラセン(社協)のスタッフさんも、たくさんボランティアが来ると、世話が焼ききれないので、効率はいいと思いました。 本来は10人のチームなのですが、最後のグループだったため、人数が足りず7人のチームとなりました。 まず誰に車を出してもらうか決め、必要と思われる物資を積み、住所をたよりに2台で現地に向けて出発。 …と言いたいところでしたが、助手席に座ってナビしようとしたところ、グーグルマップに住所を入力しても、赤い目印が出ません。 何度やっても同じ、しかしもう一台の車は、すでに出発しており、早くもパニック状態に。 そちらに電話したところ「市役所の前の通りで、停車して待ってます」とのこと。 土地勘がないので「市役所の前の通り?」とまたパニックになりかけましたが、運転者さんが地元の方で通じました。 前の車を発見して、無事合流、そして落ち着いて調べたら、検索にひっかからない理由がわかりました。 「つるべ町」とひらがなで書いてあった部分を「釣瓶町」にしたら赤い印が出ました。 これで軌道に乗って一旦は安心したのですが、到着すると問題が発生。 そのお家には、ピンクのビブスを来た先行のボランティアさんたちが、作業の真っ最中。 これはもしや…そうダブルブッキングでした。 にわかづくりの災害ボランティアセンターではよくあることです。 渡された用紙に書かれた番号に電話すると「ここはボラセンではない。だけど担当者から電話させる」というお返事。 だったらそこの番号を書くべきですが、いつの時代もボラセンが大変なのはわかっています。 少し待っていましたが、バタバタして忘れられるのではないかと不安を感じ始め、ボラセンに戻ったほうがいいのでは?と思いました。 そして、移動しかけたところ、電話がかかってきました。 事情を説明すると、では別の場所を伝えるので、待機するようにと言われました。 それから待つこと20分、メンバーにも口には出さないが、不安と不満の色が見え始めます。 「先に弁当を食べましょう」というメンバーも。 すると、電話がかかってきました。 別の住所を教えられ、家具の移動があるので、そちらに行くようにと言われました。 今度は問題なく赤い印が出て、スムーズに現地につきました。 指定されたお家を訪問すると、70才前後と思われる男性と、その奥さんと思われる女性が出てこられたのですが、なにやら雰囲気がおかしい。 女性は最初「やることはない」とおっしゃいました。 こういうこともたまにあるのですが、家族の意見が一致していないのです。 あとで聞いて分かったことですが、男性のほうがボランティアを頼んで、水に濡れてしまって捨てるものを、外に出してもらおうと思っていたのだけど、女性のほうは分別がいるので、第三者に頼むつもりはなかったということでした。 とはいえ、結局、女性2名が家の中に入って、分別を手伝い、残りは家の外側の泥で汚れたサッシの溝などを、ぞうきんでふくなどして清掃するということになりました。 本来10時ごろからスタートするものなのですが、作業がはじまったのは11時をまわっていました。 普通、ボランティアは12時になったら、休憩して昼食をとるものなのですが、12時になってもまだ始まったばかりという感じだし、しかも間もなく終わりそうでした。 タイムキープもリーダーの仕事なのです。 しばらく様子をみようと思っているうちに作業が終わりました。 それが12時30分ぐらいでした。 帰るころにはお家の方も、「助かりました」と喜んでいただいたので、よかったと思いました。 ボラセンに戻ると13時を少し回ったぐらいで、作業終了の報告書を書くように言われました。 災害ボランティアは15時に終わるのが通例で、今から昼食の休憩を取って、午後の作業に行くというのは微妙な時間でした。 報告書を書いて、提出すると受付の女性に「お疲れさまでした」とにこやかに言われ、振り向くとそこにはメンバーは誰もいませんでした。 これはチームは解散したということなのかな?と思って、社会福祉協議会の建物の中に少し入ったり、外に出てぼーっと立っていたりしましたが、メンバーは影も形も見えません。 ボラセンスタッフからも何の指示もなく、これは終わりということか?と思ってボラセンを離れました。 実は終わってから行こうと思っていたところがあって、予定より早かったけど、そこに向かいました。 駐車場について、車の中で作業用の服も着替えたときに、メンバーから電話が。 「どこに行ったんですか?」と。 「えっ?」といやーな予感がします。 聞くとみなさんは、私が報告書を書いている間に、社会福祉協議会の建物の2階に案内され、そこで昼食を食べていたと。 2階が休憩所になっているなんて知らなかったのですが、そこから社協のスタッフさんに電話がかわって「どこにいるんですが?戻って来れますか?」と聞かれました。 「戻るのには15分ぐらいかかります」というと、作業は15時までで、待っていると時間がないので、6人で行ってもらうのでいいですと言われました。 そして「次に来るときは、チームをはぐれないようにお願いします」と怒られました。 というわけで、午前の作業も少ししかせず、午後は結果的にエスケープしたような形になり、いい年して怒られるという、なんとなくふがいない結果となりました。 リーダーとしても役に立たず、すいませんでした。 秋田市は見たところ人口も多いようで、被災した家屋はかなりの数にのぼると感じました。 その上、猛暑で濡れたものが腐りやすく、暑さのために作業もはかどらないことと思います。 ボランティアは今回の私のように(?)思ったように貢献できないこともありますが、被災された方からすると、助けに来てくれる人がいるだけで心強いのだと聞きます。 また、秋田市だけではなく五城目町というところも被害が大きかったようです。 私の体験談を読んで萎えることなく、行こうと思われていた方は、ぜひ現地に行っていただければと思います。 (写真はやややけくそ気味に、思い切って入ってみたライブハウス) 食べて応援、飲んで応援もアリだと思います! #
by 3839ttsy
| 2023-07-26 22:16
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